昨日、2011年の東日本大震災から8年が経ちました。
様々な思いで、過ごされた方が多かったと思います。私もそうでした。
テレビやネットなどで報道があった通り、いろいろな追悼式典もあった様です。
そんな中、ちょっと心にとまったのが、とある町の人のインタビューでした。
「テレビやマスコミの報道は、どうしても偏りがち。まだまだ悲しみの言えない人もいるけれど、笑顔が戻ってもいるのです。3月11日は、私たちにとってはただの一日。ずっと続いているのです」(要旨)という言葉でした。
そうなんです。
毎年、東北を訪問して思ってきたことが、まさにそれ。
たとえて言うと、足を怪我した友達がいたとして、始めはうまく歩けないとする。家族や友人はもちろん、肩を貸し、手を取り、階段では先に回って手伝ってあげたりします。が、だんだん怪我が治り、歩けるようになってきて、本人は少しづつ自力を取り戻している時に、まだ周囲の人が肩を貸そうとしたり、手を取って導こうとしたとしたら、どうでしょう。本人は、ありがたく思いながらも、違和感を持つと思うのです。
「もう、けっこう大丈夫なのにな…」と。
毎年の報道を見ていると、そんな風にも思えてしまうのです。
確かにまだまだ大変なことは、もちろんそうです。そこに異論はありません。けど、時間のたち方によって、関わり方も変わってくるんですよね。。。
試みに、震災当初と一昨年の同じ場所の写真を掲載します。宮城のとある学校です。
当時
いま
今の写真は天気が悪く暗くなっちゃってますが、まさに、こんな感じ。
傷跡はそのまま残りますが、がれきはなくなり記念碑が立てられています。
みなさんの心の中も、こんな感じじゃないかなあ、と思っています。
昨年募金を届けに行ったとき、あるお店で、「震災の募金を届けにきました」と話したら、「それは、いつの地震?」と聞き返され、一瞬戸惑ったものでした。まさにこれが今の状態。
このようなとき、報道などでよく「寄り添う」という言葉を聞きます。私はここ数年、ずっとこの言葉に違和感がありました。その原因が、今書いたことに由来していたと、ようやく気づきした。
癒えたわけではないけれど、傷はふさがりつつあるのかな、と。であれば、今は今の気持ちで、いっしょに歩んでいくことが、本当に「寄り添う」ということなんじゃないかな、と思いました。それが、なんというか、この日が来るたびに、大変だね忘れないよ、と言いはするものの、被災地の「過去から現在」を、リアルに見てきていないから、どうしても、型通りのものになってしまうんですね。報道する側が持っているイメージ通りでしか、報道がなされてないというか。
決して、それが必要ないとか、間違っているとまでは言いません。が、一年に一度報道で思い出したように「悲しい話」、「大変な出来事」として流すのではなく、少しでもいいから、現地に行ってみましょうよ。東北のみなさん、思ったよりは、元気ですよ(^^)
街に活気も戻ってきています。
くどいですが、大変なところ、人も、まだまだいるのも本当です。ただ、そこにばかり光が当たってしまうのはどうかな、と。そんな風に思いました。
まだこれからも、東北、訪れてまいります。そんな私の3・11.
今の気持ちを書きました。
誤解なく、まっすぐにつたわりますように。。。。
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