海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

JICA海外協力隊、秋募集がはじまります

2022-10-14 | Weblog
JICA海外協力隊、秋募集が始まります。
https://www.jica.go.jp/volunteer/application/index.html

将来参加を考えているかたも、ぜひご覧になってみてください。

【追記】こちらの募集は締め切られ、その後、短期隊員募集がはじまりました。

辞退という選択肢

2022-07-20 | Weblog
 JICA海外協力隊、派遣待ち合格者の立場で2年たちました。次に派遣打診が来るのはいつになるか、派遣先国がどこになるかわからない状態です。派遣されても、すぐにまた一時退避になるかもしれませんし、派遣先でリモートワークになる可能性もあります。一旦合格者ステータスは返上して、落ち着いて活動できそうな状況になったとき、あらためて応募しなおすことにしようと思いました。初めて参加したときのような、協力隊に参加する強烈なモチベーションはなく、今回応募したときの計画は変更を余儀なくされ、何のために行きたいのかわからなくなっていました。

 辞退方法の問い合わせには丁寧な回答がきました。

 辞退届に記入しようとして書式を開いたら、辞退と、派遣に関する希望事項の変更、のどちらも使える書式でした。そして、迷い始めました。この状態で派遣打診がきた場合、変更された任地や要請によっては、辞退する可能性もあるから、そのような不義をするぐらいなら、受けなおしたほうがよいと思ったけれど、本当に辞退してしまってよいのか。

 元の要請なら、行きたいだろうかと自問しますが、考えるたびに答えが動き、定まりません。ただ、行く覚悟はできていました。憧れだけで行くのではありません。最初の活動が、予想以上に充実したものだっただけに、次は失意と落胆の連続ということもあり得ると思っています。実際にそうなったとき、織り込み済みだと思えない精神状態になる可能性があることも想定しています。

 決定していた活動先の要請が再開されるのを待ちたいと思います、と申し出ても、派遣再開の見込みがたっていない国なので、このまま、待機期間終了もあり得ます。突然派遣再開が可能になるかもしれませんし、誰にもわかりません。

 一旦辞退したら、取り消しはできません。ようやく辞退と決められた、と、勢いこんで添付された辞退届をクリックしたのですが、書式を見た瞬間に手が止まってしまいました。

 もう少し、考える時間をとろうと思います。誰にせかされているわけでもありません。こんなに迷うほど、今、幸せな生活ができていることに、感謝しつつ。

満開の桜の日に。ランチお礼&ごあいさつ

2022-03-31 | Weblog
JICA協力隊の帰国隊員支援関連の業務に従事させていただいていました。
コロナでなかったら、なかったであろう、貴重な機会でした。

市ヶ谷はじめ、竹橋、全国の相談役のみなさん、そして関わらせていただいた隊員のみなさん、すばらしい時間をどうもありがとうございました。

きのうは、市ヶ谷の同僚3人に、近くのイタリアンレストランでランチをごちそうになりました。
JICA市ヶ谷から桜が満開の防衛省前を通り、坂の途中にあるレストランです。

食べる間は黙食なので、間にマスクをつけて小さめの声でお話しました。
コロナの影響もあり、4人で食事は初めてだったと思います。最後にほっこり。

プチデザートはさくらのジェラート。桜の塩漬け花びらが思いのほかおいしかったです。
3人は執務に戻るため坂を上がり、私は、坂下の駅に向かいました。

その後、2ヵ所ご挨拶に行き、竹橋の会議室で最後の打合せにも無事参加し、そこでごあいさつもできました。
オンラインでしかお目にかかったことのなかったかたたちにも、お会いすることができました。

最後にお伺いした育てる会の事務所のみなさんもあたたかく迎えてくださり、ご一緒させていただいたことをうれしく思います。

終わりよければすべてよし。感謝の気持ちでいっぱいで、満開の桜のような晴れ晴れした気持ちです。

デザートのペパーミントを食べたからか、今朝起きたとき呼吸まですっきりしていました。
みなさま、ありがとうございました。
心からお礼を申し上げます。

今年もよろしくお願いします。

2022-01-19 | Weblog
2022年になりました。みなさまいかがおすごしでしょうか。
もう半月、と思っていたら、もう明日で1月中旬が終わろうとしています。
昨年末に祖母が他界したため、新年のご挨拶を失礼させていただきました。106歳でした。

お年賀状をいただいたみなさま、ありがとうございました。
寒中見舞いでご返信をと思っておりますが、立春までに間に合うかどうか・・・。
ご返信が、来年のお年賀状になってしまいましたら、どうかご容赦くださいませ。

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。 

JICA海外協力隊春募集〆切 6/30、健康診断お急ぎを!

2021-06-18 | Weblog
JICA海外協力隊春募集、応募〆切6/30です。

健康診断が間に合わないと青くなったとき、速攻対応できたのが「東京ビジネスクリニック」でした。
今も対応しているとは思いますが、ご自身で確認してくださいね。

協力隊用の書式に記入してもらう必要があるので、印刷して持っていってください。
控えがほしければ、ならびのコンビニでコピーをとることができます。

東京ビジネスクリニック 八重洲北口
東京都千代田区丸の内1-8-2
鉄鋼ビルディング地下1階


朝広島で見つけて電話して午後4時の予約をとり、新幹線に飛び乗って、夕方受診、提出に間に合わせてから、もう2年近くたちます。早いわあ。

アサンテサーナ

2021-05-05 | Weblog
ゴールデンウイーク、時間があったら、「アサンテサーナ」を見ようと思っていた。
青年海外協力隊に関する映画のはず。
時間ができたので、ネットで有料映画でも見ようと気軽に検索をはじめたら・・・ない!
「アサンテサーナ」で検索しても、Wikipediaと、関係ないお店が出てくるだけだった。

まさか、と思ってアマゾンで検索したら、映画ではなく、アサンテサーナの報告書が表示された。終売品。
TSUTAYAのレンタルでネット検索したが、やはりない。
まだ信じ難く、近くのTSUTAYAに行ってレジで再度きいてみたが「お取り扱いありません。」

そうか。これだけネットで入手できる時代になっても、すべてがオンライン上にあるわけではないのか。

検索しながら、映画の舞台がタンザニアで、アサンテサーナの意味が「ありがとうございます」だとわかった。語感が耳に心地よいと感じていた「アサンテサーナ」の言霊か。

近況報告、おかげさまで

2020-11-07 | Weblog
近況報告です。2020年6月20日をもちまして、30年勤務した民間企業を定年退職いたしました。早期選択定年ですが、定年退職までなんとか勤め上げたと安堵しています。卒業です。

現在、パーソナル・コーチを中心とし、英語コーチ、キャリアカウンセラー、JICA国際協力出前講座の講師などをして楽しんでいます。なんとなく魅かれて参加したり勉強したりしてきたことがここへ来て役に立っています。アロハタロットはプロ占い師でもあるので、なにかお悩みありましたら占いますよ。

会社がなくなれば時間ができると思ったのに、残念ながらちっともゆっくりできていません。予定表に空白があると入れてしまうので、お休みの日がなくなってしまいます。情報収集や準備をする時間を確保していないことも原因です。まだペースがつかめていないのだと思います。コントロールしなくては。

いずれ協力隊の派遣が再開したら、2020年1次隊が派遣されたあと、2020年2次隊としての派遣が検討されると思います。しばらくは日本におりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

再チャレンジは・・・

2019-10-20 | Weblog
 協力隊秋募集、もうだめだと思った健康診断が何とか間に合ったと思ったら、心電図も胸部レントゲンもかすかに異常。しかたないからそのまま提出したら、控えまで一緒に送ってしまったようで確認のしようもない。協力隊は健康診断で一次の半分が落ちる。今まで一度もこのふたつともひっかかったことがなかったのに、どうしてここで。広島でこのクリニックを見つけ、幸い朝食もとっていなかったので夕方いちばん遅い時間に予約を入れてもらってとんぼ返りで受診した。疲れや焦りが結果に影響することはあるのだろうか。

 加えて、木曜〆切だった技術のWEB試験。提出時間を見落としていて大慌て。

 思えば、技術試験の通知を受け取ったのが出張先で土曜のジュネーブ、自宅のPCにwebアドレスを登録してあったが、出張先でどう検索しても入り口に行きつけなかった。JICAも3連休で問合せもできず、台風で帰国が遅れて帰国が火曜の早朝、事務局があく前にうちに帰りついたので急いで確認した。技術試験の問題は、手に負えない内容ではなかった。すぐにとりかかった。

 web応募のときには、〆切時間が23:59だった。技術試験は17:00。みなさま要注意!

 私を、行かせてください。

帰国後研修

2019-02-17 | Weblog
青年海外協力隊隊員の帰国後研修に行ってきた。
現職参加者向のプログラムで、現職参加OBOG3名のパネルトークの一人として話をさせていただいた。
どうやらちょうど一年前にも行ったようだ。
たしか2014年に現職参加者向けの帰国後研修がはじまってから昨年まで、研修の前座で帰国後体験談を話してきたが、今回から2日目の朝一番のこの形式になった。
現職の帰国隊員たちにはどうか焦らず、協力隊の経験をゆっくり消化し、血肉にしていってほしいと思う。
いつも、いつまでも、応援しています。

JICAボランティア秋募集

2017-09-11 | Weblog
間もなく、JICAボランティアの秋募集が始まる。
今まで何度も要請を見てきたが、応募できそうな要請がなかった。
25歳のとき、協力隊の説明会に行って、3年セールスをやったのに、分厚い要請の中にひとつも応募できるものがなくて愕然としたことを思い出す。30年近くたってまた同じ思いをしている。
シニアボランティアは合格率数%の狭き門。

青年海外協力隊春募集

2017-04-30 | Weblog
協力隊の春募集の時期だ。
東京の地下鉄に乗るとポスターを見かける。
ぜひ、応募してください。合格するかどうかわからないのだから、まずはチャレンジを。

民間企業からの現職参加を考えているかたは、募集説明会に行って、個別相談で制度を確認してきてください。
制度のある企業でも、現職参加制度がフルに適用される企業はほとんどない。会社との交渉は、精神的にとてもハードだ。だれも同じ立場で相談できる人のいない中で、孤軍奮闘することになる。
そんな合格者が、毎回何人かはいる。どうか、最善の結果、待遇を手に入れてほしい。

ボランティアに行くのに待遇や条件の交渉をするなんて、というような考え方はしなくてよい。しないでください。言われても気にしないように。日本が国として、それだけの価値を認めているからそれだけの制度があるのだ。その待遇ならだれでも行きますか?余剰にもらっていると思うなら、その分、途上国につぎこんできたらいい。戻ってから寄付してもいい。
一歩でも過去例より進歩があるように。あとに続く後輩のためにも。

心から応援します。

国際協力出前講座

2017-01-15 | Weblog
今月下旬に久しぶりに国際協力出前講座に行く。中学2年生の講座だ。
いつもの「国際協力」について、青年海外協力隊の体験談を話す依頼と若干内容が違って、仮題は「国際社会で働くとは」となっている。
中学生が、職業について考え、各自で職場などを訪問して調べてまとめたので、その視野をもう少し国際に広げて理解を深める機会に、という目的だという。

協力隊の体験談は、帰国後フレッシュなほうがよいと思って最近遠慮していたが、国際社会で働く、ということだったら、協力隊経験のほか、海外駐在も、輸出入で海外取引をしたこともあるので、フレッシュでない部分を補った講座ができるかなと思って手を挙げてみた。

そろそろパワポなどもつくりはじめようと考えはじめ、いつものことながら産みの苦しみを味わっている。
ほんとに期日までにできるのかな、と毎回思って毎回なんとかなるので今回もたぶんなんとかなるとは思うけれど、まだどこに持っていこうか、落としどころが見えない。

毎回なんとかなる、というよりは、いやでも講座の時間はやってくるので、その時間をすごさないわけにはいかないだけのことだ。協力隊の体験談は、それだけで非日常であり、きかなければ知れないことなので、小学生、中学生、高校生ぐらいだと、その柔軟な心で体験談から自分に必要なことを吸収してくれるのは講師として救われる。

さて、どんな講座にしようかをいろいろ考えているとき、今までで、いちばんうれしかった反応を思い出し、今日このブログを書こうと思った。

「私も中学生のときにこんな講座をきいていたら、人生がかわっていたかもしれない。」

先生に言われたのか、父兄さんに言われたのか忘れてしまった。私に向かって言われたというよりは、つぶやきのような感想だった。だから、本当に思ったんだな、と私も感じたのだと思う。

いちばんうれしかった感想が、中学生の講座に行って、中学生の感想でないところは、本当にこの講座は正解だったのか、成功だったのか、という疑問を残すが、それはまた別の問題としておこう。

説教くさくならないようにしないとなあ。SDGsの話もしたいけれど、今この限られた時間と私の実力では1時間の講座でこれをもりこんでまとめあげるのは無理そうなので、まずは今までの手持ちネタを中心に構成してみようと思う。あと1週間ぐらいかけて構想をふくらませ、熟成させ、取捨選択してまとめに入らなくては。落としどころがどこにくるのか、今はまだぜんぜん見えない。

協力隊で思ったこと(3)

2016-10-31 | Weblog
そして、企業人として最も深く心を打たれたことは、自分が、日本製品に守られていると感じたことだ。

タクシーに乗る。イエメンでは初乗りメーターは「ゼロ」からはじまる。整備も危ういぼろぼろのタクシーだが割とメーターはついていた。
乗るとほぼ例外なく「シーニー?(中国人か?)」ときいてくる。「ラー(いいえ)、ヤバニーヤ(日本人)」と言うと、これもほぼ例外なく同じ答えがかえってきた。「ヤバーン(日本)、タマーム(いいね!とか、すばらしい!の意味の方言。英語のgreat、good、というかんじ)」運転手によっては、後ろをふりかえって大げさなぐらい敬意を表してくれる。危ないから前見て運転してちょうだい。

イエメンでも電化製品は売られていた。うちのテレビは「Konka」だった。コニカの模倣品。町には「Pensonic」パナソニックの模倣品、そのほか似たようなまがいものがたくさんあった。バイクのカワサキやスズキも、上手にもじった名前の模倣品があったように記憶している。中国製品は、庶民でもなんとか買える値段だったが、1か月ほどでたいていこわれる。安定しない電圧に耐えられない設計なのだろう。日本製品は、ソニー、パナソニック、どれもぴかぴかだった。ショーウインドーがまぶしい。10倍の値段だとしても、10倍以上の期間使用に耐えるとわかっていても、庶民には手が出なかった。日本の製品は憧れであり、それがそのまま、日本への尊敬につながっている。と私は感じた。

家具付きアパートを借りていたうちの大家が、洗濯機のところまでわざわざ私をつれていき、日本製だと自慢気に言ったことを鮮やかに思い出す。当時はまだ日本企業のSANYO(サンヨー)製だった。隊員生活の2年間使ったが、こわれなかった。シャワーの水がかかり、トイレの上に置くという過酷な条件下だった。ペパーミントグリーンの二層式洗濯機だった。しばしば突然停電するので、全自動でないほうがありがたい。

配属先で、日本からの援助を受けられることになり、ジェネレーター(自家発電機)を買えることになった。停電は日常茶飯事なので、ジェネレーターは必要だった。単位は忘れてしまったが、1000何某かの馬力の中国製は1100ドルだった。2000ぐらいの馬力のKOMATSU(コマツ)製は、6000ドルだった。負担をかけるとすぐに中国製は壊れてしまうだろうから、配属先の同僚と相談して、中国製を2台買うことにした。KOMATSU製を買ったほうが長く使えることはわかっていたが、予算上、どうしても買えなかった。紫色のジェネレーターを、どんなにうらやましく眺めたことだろう。これがあれば夕方停電があっても授業を続けられる。数年は使えるはずだ。生まれてはじめてのどから手が出るほどほしいという思いを経験した。そして、中国製のジェネレーターは1か月たたないうちに2台とも壊れた。同僚はショップとかけあって、何度も修理を依頼し、何度か修理をしてもらったが、やっぱりだめだった。まともに動いたのは、最初の1~2回だけだったように思う。それでも、停電で初めてこのジェネレーターを使って発電し、明かりがついたとき、配属先の協会では学生たちから拍手と歓声が起こった。

かくして、イエメンの人たちは日本が好きだった、これが言い過ぎならイエメンの首都、サナアの人たちは、それでも言いすぎなら少なくともサナアのタクシーの運転手たちは、日本が好きだった。日本を信頼していた。

日本の政府のそれほど特別でもない一言で撃たれる覚悟をする生活の中で、日本製品への信頼とあこがれが日本人への信頼につながり、おそらく引き金をひくとしても一瞬迷うぐらいの影響は与えてくれていたと思う。日本人のつくるものは確かだ、ごまかしたりしない。町中を歩いている数少ない日本人に、彼らは日本製品の供給者をオーバラップし、米英寄りの日本政府は気に入らないけれど、(さらにイスラム教徒でもないけれど)、やっぱり日本人ってのはいいモノを誠実に作る国民性であることは確かだ、ここんとこは認めてやらなくちゃな、ってとこかと思う。(ちょっと眠くなってきたので、このあたりとこのあとの部分は後日推敲します。)

かつて、ビールの営業をしていたときに訪問した自社の工場で、現場の人たちの誠実でひたむき、真摯な製品づくりに心を打たれた。この人たちと同じ会社にいることを誇らしく思い、この人たちのつくってくれたものを売ることへの使命感を抱き、万一なにか事故やクレームがあったとしても、お客様との間で絶対盾になるぞと思った。今思えば、私は心を打たれただけでなく、心奪われ、現場に恋をしたのだと思う。そして今回、協力隊の赴任地で、私は再び恋に落ちた。日本製品と、それを供給する日本の企業に。帰国したら、私はそんな企業のひとつに戻るのだと思った。製品で世界の信頼を得られる国に戻るのだと。

・・・すみません、今日のところはここで投稿します。後日推敲、修正します。おやすみなさい。

協力隊で思ったこと

2016-10-30 | Weblog
役員への回答は先の2つに留めたが、もうひとつ、

・ 西部戦線異常なし
  日本の政府がアメリカ寄りの発言をしたことが現地のテレビで報道された日、「今日は撃たれるかもしれない」と覚悟して家を出た。
  はじめて、国民として、政府の発言が国民に影響することを実感し、また、政府が全員は守れないかもしれないことに気付いた瞬間だった。