吉備国際大学大学院 通信制 連合国際協力研究科 修士課程
「社会学特論」第3回レポート(2010年)
レポート課題:移動と移民についての課題
移動と移民に関する問題群について教科書(3)※のなかから受講生各自の関心事項を一つ選び、グローバリゼーションについての議論と関連付けて論じなさい。必要に応じて、教科書(1)(2)で示されている諸見解とも照合し、結論部分では、自分の見解を根拠付けて述べること。(レポートの長さ:要約を含め3500字以上)
※教科書(3):伊豫谷登士翁編『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』有信堂高文社、2007
レポート本文
1. ビジネス界の人の移動
今回のレポートでは、「移動と移民についての課題」について、テキスト序章『方法としての移民』を参考にしながら、ビジネス界での労働力の視点から考えてみた。
ビジネス界では、昨今、グローバルな人材は、国内とほぼかわらない感覚で海外へ赴任するし、日本へも赴任してくる。「商品や資本の自由化は極端なまでに進みながら、人の移動への規制は強化され続けるのである(注1)」、「人は、国境を越えたからといって、容易には出自=ナショナリティを脱することはできない(注2)」は、ビジネス界のグローバル人材たちにはそれほど適用されない(注3)。ビジネス界では、グローバル人材の出自は、生産要素の出自と同じように「脱色され(注4)」、企業や企業グループに利益を生める人材なら、出自はどこでもかまわない。
この現象は、過去、労働力の必要なところへ、労働力の供給のために人が移民という形で移動してきた今までの移民と逆のようでもある。今は、労働力のある場所へグローバル人材が移動していく。そのほうが効率がよい。移民したエスニック集団の飛び地現象をエスニック・エングレイブというなら、これはビジネス界のマネジメント・エングレイブと呼べるだろう。
グローバル人材として出自を脱色された人材は、もはや人ではなく、能力を持った生産資材、もしくは資本と化す。ビジネス界のグローバル人材は、そのビジネス能力だけが問われる。それは報酬という名で経済価値に換算され、その人材の出自は生産要素と同じように不問となる。世界中のどの都会に行っても同じような「『コスモポリタン』で『フレキシブル』(取替え可能)なビル街が広がる(注5)」ように、世界中のどのビジネスエリアに行っても同じようなグローバル人材がマネージメントする現象が見られるようになる。これはグローバリゼーションのひとつの現象かもしれない。
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<脚注>
1.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 12
2.前掲、p. 12
ちなみに、「モノやカネの出自が問われることはない(注 )」についても、私がボランティアとして滞在していた中東のアラブの最貧国と言われるイエメンという国でさえ、中国製は買いたくない、日本製品は高いが品質がいい、といったコメントが日常きかれた(注3)ので、こちらも完全には支持できない。
4.前掲、p. 12
5.テキスト(2):梶田孝道編、『新・国際社会学』、名古屋大学出版会、[2005]2008、第7章「グローバル化の諸力と都市空間の再編-グローバル都市・東京の「下町」から-」p. 137
2. その他人材の周辺化
このような、かつて商社や一部製造業に限られていたグローバル人材が、日本の一般企業の中でも急速に増え、国境を超え、出自を問われず移動するようになった。そして、このような移動ができない非グローバル人材との間で差が出始めている。たとえば、私の勤務する*******社では、現在人事制度の見直し中で、社員全員海外転勤を含めた全国転勤あり、の雇用条件への転換を検討中である。だが、実際には、海外へ派遣できる社員とできない社員がいる。さまざまな理由があるが、簡単なところでは語学力の問題も含まれる。マネージャークラスを派遣するのに通訳はつけられない。もともと、海外でマネージャーをするなどという選択肢が人生設計の中にまったく入っていなかった社員も多い。が辞令が出れば受けるしかない。もしくは1年に一度、勤務内容の希望を出す際に、海外不可、と強く希望を打ち出すことは制度上可能だが、海外拡大を目指す企業において、海外不可の希望を強く打ち出すことがどのような結果を生むか想像に難くない。これを社員の周辺化というのではないだろうか。
「『地方性から自由に逃走できる人は、その結果からも自由に逃げ出せる。これこそが、勝利した空間戦争のもっとも重要な成果である』(注6)」。グローバル人材は、この空間戦争の勝利者であり、それ以外の人はここから疎外されるということになるのだろう。(注7)しかし、その勝利のために、「『自らの人生を自らが描く』状況は、グローバル人材にも多くの負担をもたらす(注8)」。
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<脚注>
6.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 14、バウマンの言葉の引用
7.個人的に、自分の勤務する企業でのこのような周辺化は避けたい。グローバルであろうがなかろうが、本人の自由意志、希望で選択した勤務内容が、会社の利益に貢献する限り、対等、同等の社員である人事体系にしておきたい。理想論でしかないのだろうか。
8. テキスト(1):梶田孝道編、『新・国際社会学』、第2章「エスニシティの社会学」、p. 35、ここで筆者(樋口直人氏)は、「個人化に耐えうる資源を持つ『旅行者』」と表現している。
3. 国籍、出自の意味
「移動する人々は、なぜアイデンティティを問い続けられるのか(注9)」。これまでの移動する人々や移民は、そのアイデンティティを、自分の起源や文化のよりどころ、貢献するべき集団、所属はどこか、といった自らの立ち位置として模索していた。が、グローバル人材がその国籍や出自、アイデンティティに求めるものは若干異なる。それは、現実的な保護や安全保障である。「近代国民国家は、移動の自由を掲げながらも、人々を国民として掌握しようと試みてきた(注10)」。移動も移民も、定住を常態とし、いずれは定住すべきものと解されていたが、今のグローバル人材は、未来の定住を問題にしない。(注11)それでも、「固定的に考えてきた場所(注12)」が問い直され、「安定した場所が消失」(注12)し、それが常態となった状況の中で、グローバル人材は、自身の安全をパスポートが保障してくれていることを知っている。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する(注13)」。また、たとえば日本という国への信頼が自身の安全保障につながることもある(注14)。こういった場合は、自身の安全保障につながっている日本という国への信頼が継続されるような国であることを望む。これについては、「空間をつくりあげてきた側」「場をつくりあげるコストを負担してきた」一員として、要望する権利はあるだろう。(注15)
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<脚注>
9.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 8
10.前掲、p. 6
11.自身の出身国に最終的に落ち着きたい、というような要望を持っていない、という意味ではなく、あくまでビジネスマンとしての就業期間は定住の意志がない、という意味。
12.前掲、p. 3
13.日本国旅券表記より
14.逆に、反日感情のある国や地域では、それが危険を招くこともある。
15.ただ、今現在、その場にいてそれをつくりあげるコスト負担をしていないため、要望することはできても要請する権利はないかもしれない。
4. 日本の周辺化
以上のように、ビジネス界ではグローバリゼーションの影響により、グローバル人材とそれ以外の人材が区別され、グローバルに動けない人材は周辺化される現象が起こりはじめている。「ローカルな場に固定される人々、空間を移動できない人々は、社会的な損失と降格を受け入れざるを得ない(注16)」。労働者集団のいる国へ、地域へ、場所へ、グローバル人材が移動する。その際、日本は人件費が高く、教育水準も高く、効率のよい取替え可能な、つまりさほど専門性を要求されない労働者が集団でいる国、場所ではないため、日本自体がこの流れの中で周辺化されていく可能性がある。日本企業がタイやベトナムに工場拠点を移しマネージャークラスの社員を派遣していることから見ても、グローバリゼーションにおける日本の周辺化はすでに始まっていることが伺える。
日本は、築き上げてきた社会や技術力を消費されて終わってしまうのだろうか。人の見ていないところでも手を抜かないことを美徳とする道徳観が築き上げた優秀な製品が長い歳月をかけて築き上げた国際的な日本ブランドに対する社会信用、コツコツ築き上げた技術力が外国資本に技術者ごと買われてしまう。かつて金と銀との交換比率が海外で3:1の折、5:1で交換していた日本から大量の銀が海外へ流出したように、グローバルな荒波の中で、合理的な利己主義、自己利益の最大化を目指す価値観に日本も日本人も慣れていない。ぽかんとしている内今までそれを築き上げるコストをまったく負担してこなかったグローバル資本、グローバル人材にどんどん消費されてしまう。この結果、日本や、グローバル人材になり損ねた大多数の日本人は貧富の二極分化で貧のほうへ大量に押しやられることにならないか懸念される。日産のカルロス・ゴーン氏の年俸9億円近い報酬、ソニーのストリンガー氏の8億円強、これは世界的な合理性から見たら妥当(あるいは若干少ないと言われるかもしれない)だが、日本の企業文化からしたら法外だ。個人の利益の最大化の先にあるもの、庶民の生涯賃金よりもはるかに高額、使い切れないお金を報酬として受け取ることの先にあるものは何だろう。
グローバル人材とそうでない人材の区別があってもよいが、それが格差や不平等、差別につながる貧富の二極化のような現象につながることは避けたい。グローバル人材の道を選んでも選ばなくても、結果が経済格差ではなく、海外に行くか行かないかの違いぐらいの範囲で、個人が本当にその志向でどちらの道かを選択できる程度にしておきたいところだ。
「近代は移民の時代である、といわれる。共同体から個人を解放し、移動の自由を掲げてきたのは、近代という時代であった。近代の市民革命や産業革命は、共同体的な束縛から個人を解放した、といわれてきた(注17)」。その結果、「これまで接することのなかった人々との接触を引き起こすとともに、『われわれ』や『故郷』という共通した意識を生み出した(注18)」。移動の自由、国の保護、選んだ国で選んだ人生を送る権利と可能性を手に入れたと思ったら、次には、定住化することにより、グローバル人材と定住しかできない人材と選別されるリスクが待っていた、というような皮肉な結末が起きはじめている。世界中でマネージメントに飛び回り驚くような報酬を手に入れるグローバル人材市場の国際競争はとうにはじまっているが、日本は、このような結末への進行にまきこまれないよう、グローバル人材でない人材を非専門的な単純労働力化するのではなく、高い教育水準を持ち、勤勉、志、道徳といった日本独特の文化を背景とした誠実に仕事をする人材として「人財」化することが必要である。これらの「人財」によって技術開発やその活用、商品化レベルで国際競争力を持ち続け、世界をリードする国のひとつであり続ける、そしてその道徳観を持った公平、公正な商売で世界からの信用を保ち続ける。この価値観に賛同する世界中の人には広く門戸を開き、日本で、この信用を築き上げるコストを負担する人はこの成果を享受できる状態にする。
日本のビジネス界に身を置く者ができることとして、ビジネス界の動向を見ながら、この実現に向けて適切な声を上げていきたい。 <約3,700字>
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<脚注>
16.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p.13、ただし、このテキストの中では、この引用部分は、グローバル人材以外の人々のことだけを表すのではなく、場の移動はできても空間的に移動できない人々(能力的な問題)のことを含む。日本の場合は教育水準も高いため、途上国等と比較して空間的に移動できない人々より、場の移動ができない人々のほうが多いと考えられる。
17.前掲、p.5
18.同
【参考資料】
・ アサヒビール㈱ホームページ、『長期ビジョン2015 & 中期経営計画2012』http://www.asahibeer.co.jp/ir/event/pdf/presentation/2009_plan.pdf、2010年11月14日取得
・ 同、『アサヒビールグループ 長期ビジョン2015』http://www.asahibeer.co.jp/ir/managementplan/#chapter1、2010年11月14日取得
・ ブルームバーグ・ニュース、2010.7.1記事「日本企業は外国人役員が高給取り-ゴーン首位でストリンガー続く」、http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=azLDr5iBvTKc、2010年11月14日取得
【参考文献】
・ テキスト(1):梶田孝道編、『新・国際社会学』、名古屋大学出版会、[2005年]2008年
・ テキスト(2):佐藤寛『開発援助の社会学』、世界思想社、[2005年]2009年
・ テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、有信堂高文社、2007年
・ 『国際協力用語集 第三版』、国際開発ジャーナル社, [1987年]2005年 以上
「社会学特論」第3回レポート(2010年)
レポート課題:移動と移民についての課題
移動と移民に関する問題群について教科書(3)※のなかから受講生各自の関心事項を一つ選び、グローバリゼーションについての議論と関連付けて論じなさい。必要に応じて、教科書(1)(2)で示されている諸見解とも照合し、結論部分では、自分の見解を根拠付けて述べること。(レポートの長さ:要約を含め3500字以上)
※教科書(3):伊豫谷登士翁編『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』有信堂高文社、2007
レポート本文
1. ビジネス界の人の移動
今回のレポートでは、「移動と移民についての課題」について、テキスト序章『方法としての移民』を参考にしながら、ビジネス界での労働力の視点から考えてみた。
ビジネス界では、昨今、グローバルな人材は、国内とほぼかわらない感覚で海外へ赴任するし、日本へも赴任してくる。「商品や資本の自由化は極端なまでに進みながら、人の移動への規制は強化され続けるのである(注1)」、「人は、国境を越えたからといって、容易には出自=ナショナリティを脱することはできない(注2)」は、ビジネス界のグローバル人材たちにはそれほど適用されない(注3)。ビジネス界では、グローバル人材の出自は、生産要素の出自と同じように「脱色され(注4)」、企業や企業グループに利益を生める人材なら、出自はどこでもかまわない。
この現象は、過去、労働力の必要なところへ、労働力の供給のために人が移民という形で移動してきた今までの移民と逆のようでもある。今は、労働力のある場所へグローバル人材が移動していく。そのほうが効率がよい。移民したエスニック集団の飛び地現象をエスニック・エングレイブというなら、これはビジネス界のマネジメント・エングレイブと呼べるだろう。
グローバル人材として出自を脱色された人材は、もはや人ではなく、能力を持った生産資材、もしくは資本と化す。ビジネス界のグローバル人材は、そのビジネス能力だけが問われる。それは報酬という名で経済価値に換算され、その人材の出自は生産要素と同じように不問となる。世界中のどの都会に行っても同じような「『コスモポリタン』で『フレキシブル』(取替え可能)なビル街が広がる(注5)」ように、世界中のどのビジネスエリアに行っても同じようなグローバル人材がマネージメントする現象が見られるようになる。これはグローバリゼーションのひとつの現象かもしれない。
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<脚注>
1.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 12
2.前掲、p. 12
ちなみに、「モノやカネの出自が問われることはない(注 )」についても、私がボランティアとして滞在していた中東のアラブの最貧国と言われるイエメンという国でさえ、中国製は買いたくない、日本製品は高いが品質がいい、といったコメントが日常きかれた(注3)ので、こちらも完全には支持できない。
4.前掲、p. 12
5.テキスト(2):梶田孝道編、『新・国際社会学』、名古屋大学出版会、[2005]2008、第7章「グローバル化の諸力と都市空間の再編-グローバル都市・東京の「下町」から-」p. 137
2. その他人材の周辺化
このような、かつて商社や一部製造業に限られていたグローバル人材が、日本の一般企業の中でも急速に増え、国境を超え、出自を問われず移動するようになった。そして、このような移動ができない非グローバル人材との間で差が出始めている。たとえば、私の勤務する*******社では、現在人事制度の見直し中で、社員全員海外転勤を含めた全国転勤あり、の雇用条件への転換を検討中である。だが、実際には、海外へ派遣できる社員とできない社員がいる。さまざまな理由があるが、簡単なところでは語学力の問題も含まれる。マネージャークラスを派遣するのに通訳はつけられない。もともと、海外でマネージャーをするなどという選択肢が人生設計の中にまったく入っていなかった社員も多い。が辞令が出れば受けるしかない。もしくは1年に一度、勤務内容の希望を出す際に、海外不可、と強く希望を打ち出すことは制度上可能だが、海外拡大を目指す企業において、海外不可の希望を強く打ち出すことがどのような結果を生むか想像に難くない。これを社員の周辺化というのではないだろうか。
「『地方性から自由に逃走できる人は、その結果からも自由に逃げ出せる。これこそが、勝利した空間戦争のもっとも重要な成果である』(注6)」。グローバル人材は、この空間戦争の勝利者であり、それ以外の人はここから疎外されるということになるのだろう。(注7)しかし、その勝利のために、「『自らの人生を自らが描く』状況は、グローバル人材にも多くの負担をもたらす(注8)」。
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<脚注>
6.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 14、バウマンの言葉の引用
7.個人的に、自分の勤務する企業でのこのような周辺化は避けたい。グローバルであろうがなかろうが、本人の自由意志、希望で選択した勤務内容が、会社の利益に貢献する限り、対等、同等の社員である人事体系にしておきたい。理想論でしかないのだろうか。
8. テキスト(1):梶田孝道編、『新・国際社会学』、第2章「エスニシティの社会学」、p. 35、ここで筆者(樋口直人氏)は、「個人化に耐えうる資源を持つ『旅行者』」と表現している。
3. 国籍、出自の意味
「移動する人々は、なぜアイデンティティを問い続けられるのか(注9)」。これまでの移動する人々や移民は、そのアイデンティティを、自分の起源や文化のよりどころ、貢献するべき集団、所属はどこか、といった自らの立ち位置として模索していた。が、グローバル人材がその国籍や出自、アイデンティティに求めるものは若干異なる。それは、現実的な保護や安全保障である。「近代国民国家は、移動の自由を掲げながらも、人々を国民として掌握しようと試みてきた(注10)」。移動も移民も、定住を常態とし、いずれは定住すべきものと解されていたが、今のグローバル人材は、未来の定住を問題にしない。(注11)それでも、「固定的に考えてきた場所(注12)」が問い直され、「安定した場所が消失」(注12)し、それが常態となった状況の中で、グローバル人材は、自身の安全をパスポートが保障してくれていることを知っている。「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する(注13)」。また、たとえば日本という国への信頼が自身の安全保障につながることもある(注14)。こういった場合は、自身の安全保障につながっている日本という国への信頼が継続されるような国であることを望む。これについては、「空間をつくりあげてきた側」「場をつくりあげるコストを負担してきた」一員として、要望する権利はあるだろう。(注15)
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<脚注>
9.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p. 8
10.前掲、p. 6
11.自身の出身国に最終的に落ち着きたい、というような要望を持っていない、という意味ではなく、あくまでビジネスマンとしての就業期間は定住の意志がない、という意味。
12.前掲、p. 3
13.日本国旅券表記より
14.逆に、反日感情のある国や地域では、それが危険を招くこともある。
15.ただ、今現在、その場にいてそれをつくりあげるコスト負担をしていないため、要望することはできても要請する権利はないかもしれない。
4. 日本の周辺化
以上のように、ビジネス界ではグローバリゼーションの影響により、グローバル人材とそれ以外の人材が区別され、グローバルに動けない人材は周辺化される現象が起こりはじめている。「ローカルな場に固定される人々、空間を移動できない人々は、社会的な損失と降格を受け入れざるを得ない(注16)」。労働者集団のいる国へ、地域へ、場所へ、グローバル人材が移動する。その際、日本は人件費が高く、教育水準も高く、効率のよい取替え可能な、つまりさほど専門性を要求されない労働者が集団でいる国、場所ではないため、日本自体がこの流れの中で周辺化されていく可能性がある。日本企業がタイやベトナムに工場拠点を移しマネージャークラスの社員を派遣していることから見ても、グローバリゼーションにおける日本の周辺化はすでに始まっていることが伺える。
日本は、築き上げてきた社会や技術力を消費されて終わってしまうのだろうか。人の見ていないところでも手を抜かないことを美徳とする道徳観が築き上げた優秀な製品が長い歳月をかけて築き上げた国際的な日本ブランドに対する社会信用、コツコツ築き上げた技術力が外国資本に技術者ごと買われてしまう。かつて金と銀との交換比率が海外で3:1の折、5:1で交換していた日本から大量の銀が海外へ流出したように、グローバルな荒波の中で、合理的な利己主義、自己利益の最大化を目指す価値観に日本も日本人も慣れていない。ぽかんとしている内今までそれを築き上げるコストをまったく負担してこなかったグローバル資本、グローバル人材にどんどん消費されてしまう。この結果、日本や、グローバル人材になり損ねた大多数の日本人は貧富の二極分化で貧のほうへ大量に押しやられることにならないか懸念される。日産のカルロス・ゴーン氏の年俸9億円近い報酬、ソニーのストリンガー氏の8億円強、これは世界的な合理性から見たら妥当(あるいは若干少ないと言われるかもしれない)だが、日本の企業文化からしたら法外だ。個人の利益の最大化の先にあるもの、庶民の生涯賃金よりもはるかに高額、使い切れないお金を報酬として受け取ることの先にあるものは何だろう。
グローバル人材とそうでない人材の区別があってもよいが、それが格差や不平等、差別につながる貧富の二極化のような現象につながることは避けたい。グローバル人材の道を選んでも選ばなくても、結果が経済格差ではなく、海外に行くか行かないかの違いぐらいの範囲で、個人が本当にその志向でどちらの道かを選択できる程度にしておきたいところだ。
「近代は移民の時代である、といわれる。共同体から個人を解放し、移動の自由を掲げてきたのは、近代という時代であった。近代の市民革命や産業革命は、共同体的な束縛から個人を解放した、といわれてきた(注17)」。その結果、「これまで接することのなかった人々との接触を引き起こすとともに、『われわれ』や『故郷』という共通した意識を生み出した(注18)」。移動の自由、国の保護、選んだ国で選んだ人生を送る権利と可能性を手に入れたと思ったら、次には、定住化することにより、グローバル人材と定住しかできない人材と選別されるリスクが待っていた、というような皮肉な結末が起きはじめている。世界中でマネージメントに飛び回り驚くような報酬を手に入れるグローバル人材市場の国際競争はとうにはじまっているが、日本は、このような結末への進行にまきこまれないよう、グローバル人材でない人材を非専門的な単純労働力化するのではなく、高い教育水準を持ち、勤勉、志、道徳といった日本独特の文化を背景とした誠実に仕事をする人材として「人財」化することが必要である。これらの「人財」によって技術開発やその活用、商品化レベルで国際競争力を持ち続け、世界をリードする国のひとつであり続ける、そしてその道徳観を持った公平、公正な商売で世界からの信用を保ち続ける。この価値観に賛同する世界中の人には広く門戸を開き、日本で、この信用を築き上げるコストを負担する人はこの成果を享受できる状態にする。
日本のビジネス界に身を置く者ができることとして、ビジネス界の動向を見ながら、この実現に向けて適切な声を上げていきたい。 <約3,700字>
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<脚注>
16.テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、p.13、ただし、このテキストの中では、この引用部分は、グローバル人材以外の人々のことだけを表すのではなく、場の移動はできても空間的に移動できない人々(能力的な問題)のことを含む。日本の場合は教育水準も高いため、途上国等と比較して空間的に移動できない人々より、場の移動ができない人々のほうが多いと考えられる。
17.前掲、p.5
18.同
【参考資料】
・ アサヒビール㈱ホームページ、『長期ビジョン2015 & 中期経営計画2012』http://www.asahibeer.co.jp/ir/event/pdf/presentation/2009_plan.pdf、2010年11月14日取得
・ 同、『アサヒビールグループ 長期ビジョン2015』http://www.asahibeer.co.jp/ir/managementplan/#chapter1、2010年11月14日取得
・ ブルームバーグ・ニュース、2010.7.1記事「日本企業は外国人役員が高給取り-ゴーン首位でストリンガー続く」、http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=newsarchive&sid=azLDr5iBvTKc、2010年11月14日取得
【参考文献】
・ テキスト(1):梶田孝道編、『新・国際社会学』、名古屋大学出版会、[2005年]2008年
・ テキスト(2):佐藤寛『開発援助の社会学』、世界思想社、[2005年]2009年
・ テキスト(3):伊豫谷登士翁編、『移動から場所を問う-現代移民研究の課題』、有信堂高文社、2007年
・ 『国際協力用語集 第三版』、国際開発ジャーナル社, [1987年]2005年 以上