海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

青年海外協力隊 平成19年度春募集 応募用紙

2010-04-25 | Weblog
(実際に提出した内容)

19春 青年海外協力隊 (B)応募用紙

記述された内容をもとに書類選考を行います。具体的にわかりやすく手書きで記入してください。

氏名:****
職種名:青少年活動
職種番号:624

1.下記の質問について、お答えください。
(1)ボランティア活動に参加する動機、抱負について記述してください。

 「無知をなくす仕事」「病気をなくす仕事」「差別をなくす仕事」。学生時代教育学の講義で心に響いたこの3つの仕事のどれかに、いつも関わりつづけていたいと考えている。ボランティアで、この仕事に従事できることが動機。だから、これに関わることができれば、派遣国や要請の内容にこだわりはなく、派遣された場合は要請に応えられるよう、自分のあらゆる知識、技術、経験、能力を最大限活用して要請内容とその目的を実現することに全力を尽くしてきたい。

(2)ご自身が考えるボランティア活動の意義、目的を記述してください。

 ボランティア活動の意義は、利益のためでなく、純粋に人間の幸せの追求を動機として活動ができること。そしてそれが、いずれは豊かな世界をつくる基盤となること。
 活動の目的は、世界中の人々が、出自等の外部要因によらず健康で文化的で、豊かに幸せに暮らせる世界をつくること。 ボランティア活動は、自分の実労働を提供することで、その目的に貢献できるところに意義がある。


2.選択した職種に関し、次の①~④の項目について具体的に記述してください。
① この職種を選択した理由

 自分のあらゆる知識、技術、経験、能力を最大限活用して取り組める職種だと考えたから。現在活動中の音楽ボランティア、日本語教授ボランティア、20年近くにわたる民間企業での業務経験や海外赴任生活などが活かせる。また、「無知をなくす仕事」、地球の宝物である青少年に関わる活動をしていたい、という希望に合致する。要請に応えるための日々の活動は、自分自身も成長させる、と考えたから。

② この職種に対するご自分の経験(実務等)、技術適合性(セールスポイント)を具体的に挙げ記述してください。

 3つのセールスポイントを挙げたい。1)社会人経験、2)音楽活動経験、3)日本語教授の資格と経験。
 1) 社会人経験:約2年の米国子会社赴任(カリフォルニア州)を含み、入社以来18年目、社会人のプロを自負。業務スキルは当然として、メンタルヘルス、体調管理も社会人スキルのうち。企業にいればよくも悪くも業務上、柔軟性や計画変更に臨機応変であること、突発事項への緊急対応は求められるし、冷静な態度やクールフェースも必要。人間関係や業績に悩んだときなどは精神的にタフでなければやっていけない、自己管理が要求される。また、入社以来、いつどの国にどのような職種で異動辞令が出るかわからなかったため、常に世界のどの地域や文化の中でも仕事をする覚悟はできている。現在は国際本部に所属、海外相手の営業、マーケティング、輸出業務を担当し、常時やりとりをしている国は10ヶ国以上、週に一度は想定外の国からひきあいがある。直近例ではウルグアイ、南アフリカ、イスラエルなど。海外相手だと、日本の常識は通用しない方が普通。米国赴任時は、先進国のアメリカでさえ日本とはまったく文化が異なることを体感し、鳥肌がたつようだった。米国で学んだ最大の収穫は「You are special」の文化。青少年育成の根幹となる。これと、日本の青少年教育の考え方「魚の釣り方を教える」を青少年活動の2つの柱とする。自分は年齢的に高度成長を目の当たりにしており、開発途上国の青少年との活動の中で、自分たちの力で未来を切り拓く、国を発展させる、世界平和に貢献する、という夢を共有したい。
 2) 音楽活動経験:音楽との関わりは30年以上、最近は「たいとう(台東)ミニピアノ楽団」というおもちゃのピアノを使った音楽ボランティア活動をしている。「誰でも楽しめる音楽活動」を目指しており、楽団には初心者も楽譜の読めない人もいる。希望の派遣先、モンゴルの要請では、情操教育の一環として孤児院での活動に音楽は大きな柱、素材となる。日本文化の紹介が要請される場合、日本の歌はその一つであり、「さくらさくら」などはその音の美しさで世界の人に感銘を与える可能性もあるが、青少年相手の場合はもっとビートのきいた音楽の方が楽しいだろう。机や壁をそのまま打楽器に見立てて使うなど、その場の雰囲気に合わせた編曲や即興で、一緒に楽しい時間を共有してきたい。
 3) 日本語教授の資格と経験:2005年に日本語教育能力検定試験に合格、1年ほど前から区の団体でボランティア活動をしている。主に初級を担当。協力隊として派遣された場合、派遣先の国には「日本語環境」はないことに留意した指導が必要になってくる。ただ、今や日本の企業は世界中どこにでもあるので、自分の民間企業での折衝経験を活かしてそれらの企業と連絡をとり、派遣先の国の子供たちと日本人との接触の機会をつくる企画もしたい。海外赴任していた自分の経験上、民間企業の駐在者でも現地の子供たちに日本語で話しかけるボランティアぐらい、いつでも引き受けるよ、という企業人は少なくない。
 このほか、家庭教師の経験(小学生から中学生10名程度)は学習指導に役立つだろうし、書道暦は10年以上で指導可能、あやとりや折り紙、なわとびや外あそび、絵本のよみきかせ、手作り紙芝居、かるた、絵本の製作経験など、過去の経験のひきだしからいろいろ素材が出てくる。派遣先では自分自身が異文化であることを利用して楽しい活動を展開してきたい。

③ 自己PR <割愛>

④ この職種に携わる際に想定される自分の弱点

 若くないこと。募集年齢ぎりぎりなので、体力だけを比較したら20代の頃の自分にはかなわない。その分、健康維持には留意、無茶をしないし、業務スキルは圧倒的にあるが・・・。
 日本語教授の際は準備が必要。即興で実施できるほど完璧ではない。

3. 実際に派遣された場合、どのようなボランティア活動を行うのか、活動内容、日常生活を含めて具体的に記述してください。

 要請に応える活動を計画、清々とこなす。スケジュール化してもマンネリ化することなくひとつひとつのメニューで青少年の知的好奇心を刺激し続けるよう入念に準備する。希望のモンゴルに派遣された場合、主役は対象者の孤児達。目一杯の愛情を注ぎつつ、卒業後も自力で知識や世界を広げていけるような自習方法の体得等サポートする。現地日本人や日系団体とも交流し協力を仰ぐなど、派遣先施設との橋渡しをする。

4.帰国後、参加経験をどのように生かしたいか記述してください。

 帰国後参加経験を即、直接仕事に生かすことは考えていないが、2年間全力で青少年の育成にあたるという経験によって広がった人間の幅や視野はその後の仕事にも役立つと確信する。そして、いずれまた、海外でボランティア活動をする際の経験基盤としたい。また、実際に経験した隊員生活やJICAの活動をまわりに語ることで、ボランティアにためらう人の背中を押す手伝いをしていきたい。
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カンボジア出張

2010-04-24 | Weblog
青年海外協力隊へ行く前、国際部にいた頃、カンボジアへ出張した。
アンコール・ワットのあるシェムリアップで開催されるセールス・ミーティングに出席するためだった。

詳細は忘れてしまったが、ミーティングが終わって夜、現地代理店社長の息子と夕食会へ行ったとき、レストランにはビールを売る若いウエートレスさんがたくさんいた。彼女らは、ビールのキャップ(王冠)1つでいくら、というキャッシュバックをもらうのが報酬となっていた。仕事の少ない現地では仕事があること自体貴重なことで、さらに女性が、うまくいけば結構な収入を得られると、人気の職種だった。ビール会社ごとの契約のため、不必要なほどの人数がいた。(と思う。彼女たちの待遇等も詳細は忘れてしまった。)

きれいなウエートレスさん、かわいいウエートレスさん、愛嬌のあるウエートレスさん、明るいウエートレスさん、ちょっとはにかんだウエートレスさん、賢そうなウエートレスさん・・・。

みんな、18歳から20代前半。もし、この国の、ここに生まれていなかったら、どんなに将来の可能性を拓けたことか。逆もあり、はおいておき。

愛想をふりまいて、お金を稼いで、家族の幸せな顔を見て、それを「幸せ」と思う。否定しない。そして、それは、本当に幸せなのかもしれない。

でも、私にはそう見えなかった。もっと違う未来がある。その選択肢がない、考えたこともない、知らない。そしてそのまま一生終わってしまう。見ているだけで息が苦しくなった。代理店の社長の息子はいい人だったが、ウエートレスはウエートレスとしか見ていない。その国のその構造に、なにも疑問を持っていないように見えた。

そして彼女たちの兄弟や子供たちは、また同じ価値観の中で育ち、ウエートレスをするのだろうか。きれいな服を着て、にっこり笑って、ビールを売って稼いで。

協力隊に駆り立てられる、ほとんどいっぱいになっていたコップの水への最後の数滴のうちの1滴となった出張だった。

翌日追記:
にっこり笑ってビールを売って、を、どうして肯定できないのか、どうして正視できなかったのかを考えた。このとき、ジェンダーを問題にしているのではなかったにも拘わらず。
ジェンダーの問題を含んでいるかもしれないが、私は、女性がにっこり笑って人をハッピーな気持ちにすることには、実はそんなに異議を持っていない。
> みんな、18歳から20代前半。もし、この国の、ここに生まれていなかったら、どんなに将来の可能性を拓けたことか。
のあとに続く-「そして、その可能性は世界のために使えたかもしれない。」
明らかに聡明なウエートレスさんを見て、その聡明さの使い方が「間違っている」と思ってしまった。この考え方自体、間違っているのではないかとだんだん自信がなくなってくる。
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2.隊員報告会内容 (最終報告)

2010-04-18 | Weblog
(最終報告会で使用したパワーポイント資料)

最終報告
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  配属先:イエメン日本友好協会
  平成19年度3次隊 青少年活動
  派遣期間:2008年1月11日~2010年1月10日
  最終報告:2009年12月9日


報告内容
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1.配属先概要
2.配属先要請と本当のニーズ
3.当初課題と解決策 進捗状況 今後の課題
4.活動状況、結果


1.配属先概要
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1)配属先名:イエメン日本友好協会
2)配属先事業概要
  個人実業家の出資による慈善事業、メンバー制
  日本語講座を中心に日本文化の紹介等、日本とイエメンの文化交流活動を行う
3)組織
  会長 - 協会幹部(2名) - 協会職員(2名)、日本語教師、JOCV
4)予算状況
  協会全体年間 USD46,000、内家賃USD24,000、光熱費等USD15,000
  内日本語講座関連 USD7,000 講師謝礼、消耗品、イベント支出等
5)沿革
  1990年代はじめ:社会問題・労働省文化部門担当者によって設立
  2002年3月:在イエメン日本大使館の日本語教室を引き継ぐ。
  2005年12月:初代JOCV派遣受け入れ(短期隊員派遣後、現在2代目)


2.配属先要請と本当のニーズ
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1)配属先要請
 ・ 講座(日本文化、日本語)・イベントの企画運営
 ・ イエメンと日本の文化交流
 ・ 受講者数の増加
2)真のニーズ(要請に潜在)
 ・ 要請内容を協会スタッフで「継続的」「安定的」に「無理なく」運営できる
   状態にすること
 ・ 受講者を増やすことは可能だが、まずは将来に向けた運営の基礎固めをする
   → 魅力的な組織なら受講者は自然に増える(受講生推移後述)
3)達成のための年間計画
  初年度:トライアル事項試行、現地スタッフとの協業により経験蓄積
  次年度:初年度試行事項の取捨選択、ブラッシュアップ、現地への移管
  結 果:当初計画は達成、次世代JOCVによりさらに現地移管を推進 


3.当初課題と解決策 進捗状況 今後の課題
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1)課題1:組織、意識、環境に雑然感 → 組織の運営に
  解決策:理念、目標の設定、意識共有、業務分担
       → 業務遂行により意識は自然にかわる
  進捗状況:スタッフ協業体制、インフラ整備(図書室、教室設備等)
  今後の課題:現地スタッフへの運営完全移管、拡大に伴うインフラ整備継続

<理念> 世界平和に貢献する人材 →  「市民講座か教育機関か」
<目標> 単なる語学学校ではない
     ・ 自分自身への深く落ち着いた信頼を醸成
     ・ 異文化を理解し、尊重する人格を形成(異文化人になるのではない)
     ・ 協会全体で、受講者の成長を見守る
<キーワード> 分業、信頼関係、事実直視  - 下らない感情に巻き込まれない

2)課題2:教師・協力者確保
  解決策:短期・長期にわたる優良講師の発見、依頼、勧誘、育成
  進捗状況:日本人講師ライセンス取得、アシスタント講師制度断念、先輩制度導入
  今後の課題:講師レベルの維持・向上、重層化、いつでも協力を申し出られる体制

3)課題3:経済的自立(要請はされていない)
  2009年2学期より受講料値上、2009年4学期より全員会員制制度開始


4.活動状況、結果 (→ 後日記載予定)
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1) 受講生推移、受講者の変化
2) 講座収入推移
3) 実施講座状況
4) 今後のスケジュール
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活動総括と協会理念

2010-04-16 | Weblog
第5号報告書より
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        第5号報告書(最終報告書)
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   青年海外協力隊 平成19年度3次隊
   派遣期間:2008年1月11日~2010年1月10日
   職種:青少年活動
   配属先:イエメン日本友好協会

1.活動総括
 私の配属先イエメン日本友好協会での2年間の活動は、次の協会理念に凝縮されると言っても過言ではないだろう。この実施、認識共有に専念してきた。内容は、実行がとても容易ということはないが、特に難しいということもなく、常識的な内容の理念だと考える。
 可能ならば、今後も協会の帰属者がこの理念を共有し、実行していくことで、将来にわたって当協会が発展し続けることを願う。

・ 添付資料
  イエメン日本友好協会 理念 (以下。元資料はパワーポイント)

■ 「協会理念」の設定
(スライド)
==================================================================
جمعية الصداقة اليمنية اليابانية
イエメン日本友好協会
Yemeni-Japanese Friendship Association
==================================================================
(ノート)
・ 活動期間を通して、最も重要視し、常に基本にしたのが「協会理念」
・ これを講師、スタッフ、学生ほか、協会に関与するすべての人で共有し、
  すすむ方向を一本化する
・ 年齢を問わず、帰属者の「大人の集団」を目指すことにより、協会内の秩序を保ち、
  全員がハッピーでいられる協会をつくる
・ いっしょに成長していこうというチーム意識、ここにいれば自分も成長できる、
  という手ごたえを得られるように
・ 協会に通う人には、常に新鮮さ、いつもなにか新しい発見がある躍動感、
  エキサイティング感を提供、かつ「わたしの協会」、来たらいつでも居場所が
  ある、という安心感を提供する
・ 理念の共有、実行により、今後もメンバー定着、増加につながっていく(だろう)


■ 協会理念
(スライド)
==================================================================
إحلال السلام العالمي
تسهم في إحلال السلام في العالم وذلك YJFA
من خلال معرفتنا و فهمنا و إحترامنا لثقافاتنا بعضنا المختلفة

異文化の理解を通して世界平和に貢献します
いぶんかの りかいを とおして せかいへいわに こうけんします

Yemeni - Japanese Friendship Association will contribute
to the peace of the world through the experience, understanding,
and respect for the different cultures.
==================================================================
(ノート)
・ シンプルで、わかりやすく、かつエキサイティングな理念
・ 「世界」に目を向けることで、日本、イエメンの文化でカバーしきれない部分、
  日本やイエメン独特で世界に通用しない文化を客観的に見られる基礎概念を提示
・ 日本文化を異文化理解のための「素材」とすることにより、日本語や日本文化を
  イエメンで学ぶことに意義を持たせる


■ 日本語講座の目標
(スライド)
==================================================================
اللغة اليابانية في جمعية الصداقة اليمنية اليابانية
تدريسنا للغة اليابانية هنا
يهدف لتعليم مهارات اللغة اليابانية الفصحى للنتواصل معاً بسلاسلة

教育を受けた人の気持ちよい日本語を目指します
きょういくを うけたひとの きもちよいにほんごを めざします

Targeting Educated and Diplomatic Japanese Language Skills and Manners
for Good Communications
==================================================================
(ノート)
・ アニメなどの影響により友達ことばに流れがちな学習者に、「教育を受けた
  日本語」「全世界で生涯にわたって使い続けられる日本語」を提供することを
  理解させ、学習したことと、よく耳にしたり使われたりする日本語との矛盾を
  解決する
・ 学生自身を守ることができる日本語を教える。です・ます体を基本にする、など。
  教師はこれに対する学生からの批判には毅然とした対応をする
・ 「ありがとうございます」についてはうるさいほどに教えた。理解、協力して
  くださったほかの先生がたに感謝


■ 運営について
(スライド)
==================================================================
تدار جمعية الصداقة اليمنية اليابانية
تدارعن طريق المنحين و المتطوعينYJFA

寄付とボランティアで運営されています
きふと ボランティアで うんえい されています

YJFA is operated by donation and volunteers
==================================================================
(ノート)
・ 個人実業家の寄付で運営されていることを告知することにより、資金的な
  問題をかかえている認識を共有してもらう。
・ 学生自身、ほかの協力者のみなさんがボランティア(無償の活動提供)を
  すすんでできる動機を与える
・ 資金はおさえたいが講座料はおさえたい、という矛盾の解決のため
・ 将来的には、サポート会員からの寄付で運営をまかなうことを目指す
  → 今学習している学生が、ここでの学習や活動が自分のためになったと
  思ったら、自活するようになったとき、後輩のために寄付をする、という
  サイクルをつくりだす


■ メンバーシップ
(スライド)
==================================================================
٣ أعضاء جمعية الصداقة اليمنية اليابانية هم
طلاب دورات اللغة اليابانية النظامية، وأعضاء الأنشطة
و الأعضاء المانحين

3つのメンバーシップ
日本語講座受講生、アクティビティ会員、サポート会員
にほんごこうざじゅこうせい、アクティビティかいいん、サポートかいいん

3 Memberships: - Japanese Language Regular Course Students,
Activity Members, and Support members
==================================================================
(ノート)
・ ソーシャルネットワークの手法を利用。広告や宣伝でなく、ここに関連する
  人の紹介で広がることにより、宣伝費用をかけずにメンバーを増やしていく
  ことが可能で、また、帰属意識も醸成できる
・ 協会の建物に入るためには、なんらかの形でメンバーになっている必要がある。
  IDカードを発行、門でのチェックにより安全面も確保
・ 全員のメンバー化(2009年8月~)により微々たるものながら収入源の
  確保になる
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青年海外協力隊隊員活動報告/イエメン日本友好協会

2010-04-16 | Weblog
配属先イエメン日本友好協会での活動の記録。

青年海外協力隊 平成19年度3次隊
派遣期間:2008年1月11日~2010年1月10日
職種:青少年活動
配属先:イエメン日本友好協会
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なぜ協力隊に参加したか

2010-04-10 | Weblog
 帰国後、3ヶ月たった。「なぜ協力隊に参加したか」ときかれることがあるが、正直言ってもうよく覚えていないので、参加する前に書いた手紙をここに転記しておこうと思う。これからおいおい、協力隊の活動をここに整理していくかもしれない。

 手紙の背景を先に補足しておくと、この手紙は、協力隊参加前に何人かに出した手紙で、会社や周りとの折衝の後、どちらかというと失意の中で書いている。国破れて山河あり、虚しく理解を求める敗者の悲哀が若干漂う。今、折しも協力隊の春募集の時期で、女の子が「行こう!」と明るい決意をするテレビCMが流れており、私も、外から見たら、同じように見えただろう。が、実際は、まあいろいろあるわけで。この手紙を書いたときの年齢は、協力隊の募集年齢上限の39歳だった。(40歳以上はシニア海外ボランティアとなる)

 一部、固有名詞のみ、伏字にさせていただきます。

・・・

ご迷惑をおかけするみなさまへ

このたび、青年海外協力隊に参加するため休職をすることをご報告いたしましたが、あらためて、お礼とお詫びを申し上げさせていただきたいと思います。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません。そして、勝手を許してくださって、ありがとうございます。心より、お礼を申し上げます。

この応募に至った経緯を、きちんとご説明できたらよいのですが、私はあまり話すのが上手ではありませんので、手紙にしたためさせてください。

青年海外協力隊は、おそらく、自分の中で、20年以上の懸案だった気がします。
「無知をなくす仕事、病気をなくす仕事、差別をなくす仕事」。世の中には3つの大切な仕事がある。学生時代の講義できいてから、この、3つの大切な仕事、という言葉がずっと心にひっかかっていました。自分はこのどれかに従事しているだろうか。

ビールを売りながら、ビールを飲んだときの楽しさを提供している、心を癒したり、友達との語らいの潤滑油になったり、おふろあがりにおいし~い!という幸せを提供している。とても単純で、でもとても大切な仕事をしていると思っていました。利益を出せば、それを社会貢献にも使えるし、******の社員はみなお人好しでビールが好きで、ビールを喜ぶ人を見るのが好き。本当にいい会社だと思います。でも、そんな中で、ときどき、先ほどの3つの大切な仕事のうちのどれに貢献しているんだろう、という疑問がわいては、もう少し待って、もう少し待って、と先送りしてきたように思います。

戦後、日本は高度成長を経験し、安かろう、悪かろうのイメージから品質で世界中の信頼を得るようになりました。国際の仕事をする中で、この理由は日本人一人一人の意識の高さ、勤勉さと誠実さだと思うようになりました。人の見ていないところでも手を抜かない、自分に恥ずかしくない仕事をする。***で働く中で、工場の人たちのビールに対する情熱や誠実さに、何度も感動しました。この人たちのつくったビールなら誇りを持って売れる。もし、なにかあっても営業として絶対楯になるぞ。そんな気持ちで営業をしてきました。

この一人ひとりの意識の高さは、道徳と教育からくると思います。敗戦国である日本を植民地にしないで国として立ち直るようにしてくれたのは戦勝国である当時の先進国たちでした。今、日本は先進国といわれ、ゆたかになりました。そろそろ世界に恩返しをしてもいいんじゃないか、開発途上国に、ぼろぼろになった国から先進国になれた日本だから伝えられることがあるのではないか。では自分に何ができるかと考えたとき、高度成長を目の当たりにした自分だから伝えられることがあるのではないかと思いました。ボランティアでだれかがいかなければ教育の機会の与えられない子供たちに教育の機会を提供したい。貧しい国でも、教育があればゆたかになることができるんだという希望をわかちあいたい。

青年海外協力隊は春と秋、年2回募集があるのですが、昨年秋の募集が終わったころにJICA(国際協力事業団)のホームページを何気なく見たら、年齢制限があることに気がつき、しかも次の春募集が年齢的に最後のチャンスであることがわかりました。青年というくらいなので、年齢制限があるのは当然なのかもしれませんが、はじめて気がついたんです。いつか応募するかもしれない、と漠然と思っていたことが一気に最後の機会、もうあとがない、という現実になりました。

今しかないけど本当に応募するのか?会社はどうする?仲間は?生活は?自分にいったいなにができるというのか?

4月頃、平成19年の春募集が始まり、早い時期にJICAの青年海外協力隊説明会に行きました。広尾のJICA広場だったと思います。後に面接試験の待合室となる、大きな講堂でした。そのとき、なぜか最初から最後まで涙が止まらなくてたいへん恥ずかしい思いをしました。まわりはみんな20代そこそこの若い人たちです。もともと涙腺は弱いほうですが、一人だけおばさんで、そうでなくても恥ずかしいのに、しかも泣いている。みっともいいもんではありません。隠そうにも、あとからあとから涙が出てきて止まらないんです。小一時間の説明がすんだら質問もしたかったのに、トイレに行って顔を洗わなくてはなりませんでした。応募するの?本当に?なんで?何のために?

そのころ、本か協力隊のレポートかで、「笑うことを知らない子供たち」の話を読みました。5歳、6歳の子供がそれまで一回も笑ったことがないというものです。協力隊の人形劇だかなんだかで、集まってきた子供たちが生まれてはじめて「たのしい」という感覚を体験した、はじめて笑った、というんです。私には最初、この意味がわかりませんでした。食べ物がなくてひもじいとか、教育を受けられずおつりをごまかされていつまでも貧しい、という世界があることは知っていました。でも、笑ったことがない子供がいる、何年も生きていて、一度も笑うことを知らずにそのまま死んでいく子供たちがいる、という事実が、自分にどうしてもわからなかった。うちも相当貧乏でしたが、さすがに笑ったことくらいはありました。楽しいこともありました。私は自分に子供がいないからわからないのかと思いましたがそれも違うような気がします。そして協力隊に応募するべきかどうか考えながら調べているうち、「娯楽に飢えた子供たち」という表現を何度も見かけることになりました。子供に娯楽?飢える?どういうこと?私には実は今でもわかりません。結局、これが最後まで自分の背中を押し続けた気がします。

今の仕事は楽しいです。お金儲けは大好きです。利益が出るのはおもしろく、利益を正しく使える企業がたくさん儲けて、社会貢献にもどんどんお金を使ったらいいと思っています。仲間にも恵まれ、営業も私には天職で、一生ビールを売り続けるのもいいかなと思っているくらいです。ただ、ビールを売りながら、ときどき、世界のお取引先はその国の富裕層で、その同じ国に、飢えた子供たちがいること、教育を受ける機会のない子供たちがいることを思い出し、どこかしらちくりちくりと心がいたんでいました。どこかで、一度、バランスをとらなくてはいけない限界にきていたのかもしれません。自分の中の矛盾を一回解決してあげないといけない。それが、今だったのではないかと思います。

合格できる自信はありませんでした。一所懸命勉強もしましたし、情報も集め、いろいろな人にご助言を仰ぎ、試験に備えました。でも、倍率も高いし、自分のバックグランドを考えると、即戦力になりそうもない。受験は、私にはとてもたいへんでした。合格できなければあきらめよう、仕事をして稼いだお金を寄付にまわせばいいのだから、と、自分を励ましながら、準備をしました。

青年海外協力隊の年齢は上限39歳で、私は派遣者の中では最高齢です。試験会場でもひとりだけ年がぽっかりと上でした。二次試験の日、待合室の講堂には200名近く受験者がいたと思いますが、面接は一人ずつで、待っている長い時間、若い人たちがどんどん話に花が咲く中、私は9時半ころから5時すぎまで一人でした。話の世代があわなかったということもありますし、本当にいいんだろうか、ばかなことをしているのではないだろうかという迷いで、なんとなく、話に入っていく気になれませんでした。合格するかもしれない、しないかもしれない。合格したらしたで、訓練所ではまた若い人たちの間で一人年が離れ、語学の覚えも悪いだろうし、体力も追いつかないかもしれない、それでもやるんだろうか。

8月11日、結果通知を受け取り合格だとわかったとき、行こう、と思いました。生活も、仕事も、仲間も、友人も、なにもかも放り出すのだな、と。もし、理解してくれる人が誰もいなくても行くか?やっぱり行くだろう。ばかだなあ、行かないという選択肢もあるのに。そして、参加同意書を提出しました。これが、青年海外協力隊への経緯でした。

本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。たいへんなわがままですが、2年間、現地で一所懸命活動してきます。現地に、精一杯の愛情をそそいできます。ビール会社の誇りを持って、世界中の人がビールを楽しめるくらいにゆたかになれるように、微力ながらできることをやってきたいと思います。そして、2010年、******グループのどこかに戻ったら、また会社の利益のために一所懸命稼ぎます。

長文、読んでいただいてありがとうございました。
どうか、お体にお気をつけて。2010年に、またお目にかかれるのを楽しみにしています。今まで、ありがとうございました。できましたら、これからもどうぞよろしくお願いいたします。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。ほんとうに、ごめんなさい。

・・・

 協力隊参加前に何人かにあてて出した手紙の内容は以上。結果的に、思いがけないほど会社での経験を活かすことになる配属先だったが、このときの自分はまだそれを知らない。

 2010年4月10日、帰国後、3ヶ月たった日に。
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