海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

どうする?

2006-07-16 | business
MBA(米国トップクラスを想定)をとりに行こうか転職しようか迷っている部下がいてどう指導しようか思案している。客観的に見て、今の状況ではその部下はMBAコースに貢献の期待できる経験があるかという点では入学許可は厳しいだろう。通るような仕事の内容に自分ですることは可能なのだが、そこまで自律するのは若い社員にはちょっと難しい。一方、転職は手っ取り早い。どっぷりと日本の企業であるうちの会社ですでに数年経験があるので、外資系に行って、最初から職務資格で雑用のないポジションに入り、必死でこなせばMBAのコースに貢献できると判断される仕事を1年で仕上げることは可能だ。日本の企業文化を知ったメンバーという点での貢献も期待される。

うちの会社からMBAをとりに行かせてもらえる可能性はほぼゼロに近い。仮にとったとしても、その社員が帰国後勤め続けることもないだろう。うちの会社の仕事内容がMBA理論を活かしてがんがんもうけるような内容ではないからで、MBA保持者の側からすれば、高い報酬がとれるのになにもうちの会社の給料で働くこともない。

どちらもうまくいくかもしれない仕事の与え方はあるのだが、賭けのようなもので、さすがにそこまで会社もお人好しではないだろう。

日本から世界で活躍するビジネスマンになる手っ取り早い方法は、このとおり、外資系でMBAコースに貢献できる実務経験→MBA取得→MBA限定のポジションに応募、だろう。一時流行った日本の大企業で会社からの援助を受けていく場合、古くさいが使命感を持ち、恩に感じて忠誠を尽くすことのできる高い精神性で日本の企業を代表した意見を言えればMBAのコースに大いに貢献できると思うが、そんなのは時代遅れの精神論で若い社員にはとんちんかんな内容でしかない。

思うに、ケーススタディを勉強するのも、若手が仕事を覚えていくのも、そんなにかわらない。ただ、MBAは下積みの時間を圧倒的に短縮できる手っ取り早いキャリアパスだ。がんばれば高い報酬も約束されるし、ビジネスの世界で際限なく挑戦していけるステージに早くから立てる。やりたければやってみたらいいと思う。若い人はどんどん挑戦したらいい。

MBAプログラムは教育であって、ビジネスそのものではない。どちらを近道と感じるかは人それぞれかもしれない。ケーススタディで学ぶか、下積みで学ぶか、それは、本人が選択すればいいことなのだろう。

どんな選択をするだろう。

異業種交流会

2006-07-15 | business
異業種交流会に参加してきた。若手で集まって話をして交流しましょう、何か勉強になるかもしれないし、といういかにも大企業にありそうな余裕の遊び心からはじまった集まりで、メンバー企業は4社、各社4~5名で4時半から開始、そのあと飲み会のかなり気楽な会だった。人事部主導のため業務として時間内に会社を出た。

一応勉強会なので、4社各10分ほどプレゼンをした。興味深かったのは日立さん。業務上の悩みというテーマを与えられていたので、技術畑の人が他部署との連携がうまくいかない、という内容で話をした。社内の問題をさらさらと社内外に向けて言ってしまえるところに日立さんの社風のよさが見えて、この企業は大丈夫だな、と思った。ただ、その問題の質は一朝一夕で解決できる内容ではなく、正直、大なたでもふるわないと解決しないと思う。

日立さんといえば、地味で、製品はいいものなのにどうもあまり魅力的に見えないイメージがある。ただ、質実剛健、確かな技術、真摯なものづくりへの取り組み姿勢、なんといってもやはり日本を代表する優良企業のひとつであるという認識は、今回の会でも再確認した。

答えは

2006-07-11 | business
 すすめてきたプロジェクトの方向性に自分でも自信がなくなりどこにも答えがない。数人の小さなプロジェクトとはいえ、自分の決断でメンバーが右往左往することになる。こういうときは原点にかえって、というにはすすみすぎた。明日午前はその打合せだ。この状態で打ち合わせをしても結論は出ない。無理に結論を出してまたさらにすすんでしまうのだろうか。さっさとすすめて一旦完了させたほうがよいのだろうか。あと一晩ある。寝てる間にだれか解決してくれないかな。小人のくつやさん、お願いします。お休みなさい。

転換

2006-07-09 | business
 以前は、ルーティンは雑用だと思っていた。メインの仕事は将来の会社の業績に貢献するための壮大な計画を練ることで、それができるようになるための訓練として小さな計画をたて、実行していくことが日々の業務で重要なことだ、というように、そして業務の9割は雑用にとられても、頭は9割こういった将来に向けての計画に使うこと、と思っていた。簡単なことができなければ、壮大な計画を実行することなどできない、というのは一理あるし、一事が万事、というのも真実のひとつではあるので、ルーティンは口笛吹きながら片手間であっさり片付けられるようになりたかった。

 今でもルーティンは職務上業務のメインにはなり得ないが、ルーティンをこなすのも、壮大な計画を実行していくのも実はあまりかわりないような気がしてきた。ただ、だんだんと判断の難しいものが増えてくる。最近は、「Yes」「No」で瞬時に判断しがたいものが多い。そしてたくさんある選択肢のどれもが同じように大きなリスクをもっていたり、同じように大きな可能性を持っていたり、なのに折衷案はどうしても成立しなかったり、毎日毎日、頭を抱え、決断したあとも迷う。まだ間に合う、でも、決断したあとは、その方向で清々とすすめないとすすまない。

 少し前まで、こういった判断はパズルのようなものだった。いろいろな組み合わせやら少しずつ過去の経験の応用でなんとかなった。それがここへきて、考えてもわからないことが増えてきた。生みの苦しみ、というと大げさだが、サラリーマンながら、自分の仕事は自分で解決しなければならなくなってきた。そしてこういう苦しい仕事が楽しいような気がする。

 会社というところは、しかし、その当人の能力以上のことまで任せるほどのリスクはとらないから、まあ、自分で解決しなくてはならないと思える程度の課題なら、苦しみながら解決していけばよいかと思う。

 束縛されるのがきらいなので会社はいつも辞めたいけれど、仕事がおもしろすぎて辞められない。