海外協力隊への応援歌

青年海外協力隊はじめJICAボランティアを心から応援しています。
2010年1月帰国、イエメン、青少年活動隊員より

スタンス

2006-01-26 | business
 会議のあと、後輩二人が質問をしてきた。一人は、「なぜ、最初から赤字の予算を組んでいる地域があるのですか?」「うちの部の売上を全部あわせても○○県より少ないのはなぜですか?」もう一人は損益分岐点がわからなかったらしく「このファイルがどこにあるか教えてください。計算式を見てみたいので。」

 最初の後輩の質問には答えてしまったが、「どうしてだと思う?」と聞き返すべきだったなあと反省。もう一人の後輩は、自分で計算式を見て計算自体は理解したと思うが、損益分岐点がわかったかどうかは怪しい。きかれたとき思わず「一冊会社の財務の本読んだら?貸してあげようか?」と言ったら「そうですね」と笑っていた。事務職と思って入ったからといって会社生活6年以上損益分岐点を知らずにすごせるとは、日本の女性に対する会社の期待度の低さをよくあらわしている。彼女がいつまで勤めるかわからないし、損益分岐点を知ったからといって何がかわるというのだろう、いやかわるよ、かわる。

 このくらいの初歩は、知っているのが当たり前で教えようと思うこともなかった。自分はどうやってこれを知ったのかというといつの間にか勉強していただけで教えられた記憶はない。ふと、女性が事務職と思って会社に入ったら自分で勉強する内容に入ってこないのかもしれないことに思い至り、ショックを受けた。

 彼女に貸してあげる、と言った本を家に帰って探したが、さすがにそこまで初歩の本は引越しを繰り返すうち実家にでも置いてきたか古本屋に売ってしまったようでちょうどいいものがない。まずはちょっと損益分岐点からははずれるが、漫画の「会社法」という本でとっかかりにしてもらってあとは週末に本屋で見てこよう。

 しかし、彼女までビジネスマンにする必要があるのだろうか。が、この機会を逸したら、当分彼女が財務の勉強をすることはないだろう。そして、彼女が仕事を続けるという選択肢を選ぶことになったとき、事務職からはじめるしかなくなってしまう。事務職がわるいというのではない。数字にも弱くはないし、彼女は自分の中にある可能性を知ってもいいと思う。その上で事務職を選ぶならそれでよい。

 最初の後輩は、自分で米国公認会計士の資格をとろうと勉強している。損益分岐点はおそらく勉強をはじめた最初の2~3日で学んだことだろう。彼女の場合、まだ勉強している内容と実務がつながってきていないが、そのうち1つつながりはじめたらあとは相乗効果でどちらの理解も一気に深まることだろう。そうしたらもう、私の教えられることはなくなるかもしれない。

 能力的にはそんなにかわらない二人が、仕事をはじめたときのスタンスでこんなに違うのかと興味深いが、男性だったら片方のスタンスはあり得ないと思うとおそろしくなる。

南アフリカ

2006-01-21 | business
 先週、南アフリカに商品のサンプルが届くはずだったが、クライアントからヨハネスブルグの空港でなくなってしまったとメールがきた。「恥ずかしい。ヨハネスブルグに到着した記録は残っている。トランジットのとき空港職員か税関職員が盗ったに違いない。かかった費用は全額補償してもらうよう必ず交渉する。」

 南アフリカは割とまともな地域だときいていた。が、まあ商品のサンプルが無事に届かなくたって驚きゃしない。空港職員や税関職員が盗ったとしても世界の半分はそんな国だ。サンプルがなくなったというメールがきたときは、やっぱりな、と思った。もう一回送れと言うんだろう、その手にはのらんぞ、次のサンプルは買ってもらう。よくある話だ。

 結局、サンプルが小さかったため、ヨハネスブルグの空港の倉庫の隅に置き忘れられていただけらしく、輸送業者の担当が見に行って無事見つけ、ケープタウンへ転送したようだ。来週会社へ行ったら配達完了通知がきているだろう。

 メールの相手はマイク。彼の「恥ずかしい」発言と、南アフリカがなくなった品物について全額補償するようなモラルの通用する国であるということに驚いた。彼はきっと若いんだろう。空港で荷物がなくなってしまうことに怒り、ほかの国に対して恥ずかしいと考えるなんて、なかなか世界に通用する常識人じゃないか。見直した。

 彼とのメールのやりとりには以前から一種すがすがしいものを感じていた。が、だまされていないとも限らないので、まだ完全に信用はしていない。残念ながら、世界と取引するときには、完全な信用というのは有り得ない。今回も、とにかく初回の売買取引を完了して、ビジネスのできる国であることを示してほしいと願っている。そうやってどの国も一歩ずつ信用力をつけていくのだ。

 今はまだちょっと青くさいけど、このマイク、立派な商人になれるような気がする。

誰でもやれる仕事は誰の仕事か

2006-01-12 | business
1.「誰でもやれる仕事は自分の仕事ではない」(自分にしかできない仕事をするのが自分の仕事)
2.「誰でもできる仕事は自分もできる」(できるだけ管理職も含めみんなが自分でやる)
3.「誰でもやれる仕事はやりたくない」(1の本音)
4.「誰でもできる仕事は手のあいている人がやる」(それはあなた?それとも私?それは基本的に私、申し訳ないがたまに助けてもらわないといけないことがあります。もちろん私も喜んで手伝います)

 日本のすばらしさは4でもうまくまわるところにある、と思う。

評価者

2006-01-04 | business
 昨年の評価の時期になり、後輩が評価シートをボスに提出する際、私にメールの写しを入れた。私には評価の権限はまったくない。ボスが後輩の仕事内容をすべて知っているとは思えない(その必要もない)から後輩の気持ちはわかるが、どうしたもんだろう。

 うちの会社の場合だけかもしれないが、評価は公平なようで公平ではなく、不公平なようで不公平でもない。言った者勝ちのようなところがあるのは確かで、お人好しは損をする。当然なのかもしれないが、理想の世の中は本当はこうじゃない。が会社は現実なので折り合いは自分でつけるべし。

 一生懸命仕事をし、やりがいも見出し工夫してやっている後輩たちに、優劣をつける必要があるのだろうか。低い評価をつける上司は自分の指導力のなさを露呈しているだけではないかと常々思ってきた。評価のしかたに関して、昔のボスたちにそのうち相談しなくてはならないときがくるだろう。

 私の場合、悪い評価でも必ずしもがっかりするのではなかった。いいに越したことはないが、やった以上の評価をほしいわけでもない。自己評価は120%(20%高くしがち)、他人の評価は80%(20%低くしがち)、ということもわきまえている。ただ、理由も言われずに低かったときにはやりきれない思いだった。理由がなければ次に上げようがない。

 人間だから、評価に好悪が入るのも仕方がない。女性だからと得をする人も損をする人も得をすることも損をすることもあるだろう。評価は動機のひとつにはなるが、いわゆる評定をされるためにだけ仕事をしているわけでもない。いずれ評価をする立場になったとき、私はどんな評価をするのだろうか。