パワハラという言葉がいつできたのかわからないが、この言葉は避けなくてはならないものと職場で共通認識を持つ上で必要な言葉だ。部下や後輩を持ったら本当に気をつけなくてはならない。先日、他愛ないことだったが不機嫌な気分のまま応答をしたときに後輩が萎縮するのがわかってはっとした。他意はなく、にこにこと対応する気持ちの状態になかっただけだったのだが、その反応に立場が上位の者は、虫の居所が悪いだけで下に脅威を与えうるのだと気がついて驚いた。組織の人間関係に上下があるのは肩書などの序列を含め仕方がないが、人間としては対等なはずだ。脅威を与えてしまうなら、それを意識的に避けなければならない。上になるほどまわりにイエスマンが集まると見たり聞いたりするが、パワハラの結果だろう。そういう人に限ってそれに気づかず、自分が正しいからまわりがイエスと言っている、と誤解する。立場が上ということ自体がすでにパワハラだ、くらい肝に銘じて仕事をする必要がある。
ボスと言われるのは気恥ずかしくても、どうせなるなら立派なボスになりたいと思うのは人間共通の健全な上昇意欲だろう。ビジネスマンとはこういう自然な志向を自分で上手に利用するものではないかと思う。
私の考える理想の上司像は、いるのかいないのかわからないような存在だが部下たちはなんとなく楽しいし閉塞感を感じない、つまり自由にのびのびやっている気がする、部下自身どうしてかわからないけれど一生懸命になっている、チームも仕事もうまくまわっている、というボスだ。失敗には原因があるが、うまくいくときにはあまり理由は見つからないものだ。どうしてかわからないけれどなんとなくうまくいっている、というチームで仕事をしたいし、そんなチームのつくれる上司の下で働きたいものだと思う。いつかもし上司になるようなことがあったら、そんなチームがつくれたらいいな。
ボスと言われるのは気恥ずかしくても、どうせなるなら立派なボスになりたいと思うのは人間共通の健全な上昇意欲だろう。ビジネスマンとはこういう自然な志向を自分で上手に利用するものではないかと思う。
私の考える理想の上司像は、いるのかいないのかわからないような存在だが部下たちはなんとなく楽しいし閉塞感を感じない、つまり自由にのびのびやっている気がする、部下自身どうしてかわからないけれど一生懸命になっている、チームも仕事もうまくまわっている、というボスだ。失敗には原因があるが、うまくいくときにはあまり理由は見つからないものだ。どうしてかわからないけれどなんとなくうまくいっている、というチームで仕事をしたいし、そんなチームのつくれる上司の下で働きたいものだと思う。いつかもし上司になるようなことがあったら、そんなチームがつくれたらいいな。