ばらばら
ばらばらに
存在するものたちを
あつめてみると
エックスが
ただよいはじめる
ときには そのなかから
おもいもよらぬものが
すっくとたちあがる
不安げにみえても
コンクリートがかたまるように
うごきがとれなくなって
そのまま このまま あのまま に
いすわると
一人前にみえてくる
奇妙であっても
存在の価値が
不思議とうまれてくる
ばらばら
ばらばらに
存在するものたちを
あつめてみると
エックスが
ただよいはじめる
ときには そのなかから
おもいもよらぬものが
すっくとたちあがる
不安げにみえても
コンクリートがかたまるように
うごきがとれなくなって
そのまま このまま あのまま に
いすわると
一人前にみえてくる
奇妙であっても
存在の価値が
不思議とうまれてくる
Rappelle-toi Barbara : Serge Reggiani . po醇Qme de Jacques Pr醇Pvert
庭の木と空の不思議な関係
青空になったので
庭にでて
空をみあげた
天日に
アカやミドリやキミドリのハッパが
はりついている
お空までのあいだの
何もない
空間が
どれだけの広さなのかを
ヒトははかれるのだろうか
ながいかみじかいか
どちらかの数式で
大体
約
ほぼ
まあまあ
近似値
とかでわかるのだろう
それがどうした
ということが
いちばんよくわかるのが
ゲンジツ
の
空
である
遠くて
近い
さして
重要でもあり重要でもないとおもえる
不思議
言葉 と 風
かぜ というもの は
くうき が いどうする とき の
げんしょう で ある
ということはさておいて
そんなに いどうして ゆくえしれずになる ものに
ことばをからませると
つねにことばはどこかえうごいていって
じっとしていられない幼児のようになって
けんかしたりして おとなにしかられる こども ではないですか
もっと いうと むいみな げんしょう におちこんでしまう
ということをまともにうけとめると
いきおい かぜ なんかに ことばを からませては ならない
というけっかから うわさのように しか
ことばがつたわらない ことになって
このことば 木のように しげっていく みたいだけれど
いったい だれが こんな ところに
ひとのみにくい ところ を えらんで
ことばの木をうえて
いったいだれが それを そだてていくの かい
と もんくいわれても いたしかたがない ではないか
だから 辞典 というかたちで
ほごされているとしたら
その 辞典 とやらに
おさまっている 言葉 は
だれさん の 言葉 ですか
新語 という 言葉 はないのですか
ぼく は 新語 をたのしみにして いきています
ぼく は 新語 をじぶんでつくります
ぼく は 新語 でしゃべりたいのです
そんな ふうな こえ が
それこそ 風 にふかれて このあいだ
ぼくのまえに とんできました
ああ うれし