重文・佐藤家住宅。秋田県横手市増田町増田中町。横手市増田伝統的建造物群保存地区。
2023年6月2日(金)。
重伝建地区では、たいてい1軒または複数の住宅が重文に指定されているので、見学するようにしている。観光物産センター蔵の駅(旧石平金物店)の見学を終え、通りの斜め向かいに重文・佐藤家住宅があり、有名人の見学写真が紹介されていたので、料金300円を支払って見学することにした。
2014年の現天皇(当時皇太子)の見学写真。
案内は当主である。
佐藤又六家住宅の建築年代は、主屋が明治4年ごろ、文庫蔵が明治初期で、横手市増田伝統的建造物群保存地区のほぼ中央、南北に貫く旧小安街道(中七日通り)に東面する。増田特有の細長い敷地に縦長に家屋を配置した姿を現在に伝えており、増田地区最古の店(見世)蔵が現在も現役で使用されている。
間口8.7m、奥行111mの東西に長い敷地の南側を下タ堰が西流する。
佐藤又六家住宅の最大の特徴は、主屋の中にその店蔵が組み込まれているところにある。主屋は,長大な土蔵造の居住部にミセノマや居室を収め,装飾の施された覆屋で覆うという,類いまれな構成をもつ住宅である。また明治初期に遡る主屋と文庫蔵は,当地方の住宅の伝統形式を伝えるとともに,明治中期に行われた覆屋の拡張や装飾化などに増田の隆盛期における趣向をよく示しており,価値が高い。
当家の屋敷の奥行きは50間もあり、中ほどに主屋と繋がる明治前期の建造と思われる天井の低い文庫蔵と、そしてその奥に現在では解体されて現存にいないがもう一棟土蔵が建っていたという。
増田地域に残る数少ない店蔵、そしてそれを造ったのが宮大工であることをうかがわせる社寺装飾で飾られた豪華な主屋は、明治前期の増田商人の隆盛を後世に伝えている代表的な家屋となっている。
佐藤又六家は江戸時代から続く旧家で、明治28(1895)年、当町で創業された増田銀行(現北都銀行)の設立発起人の一人として創業時の取締役を務めた地域の名士の家柄である。
外見上は他家と同様に、木造の屋根の妻を張り出した大きな切り妻屋根の商家造りであるが、内部は土蔵造りで、いつ蔵に入ったか分からない不思議な感覚に陥ってしまう面白い構造となっている。
店舗部分は、その時代によって改修が行われたが、この家屋を後世に残したいとの当主の考えで再び改修が行われ、柱や梁を表した創建当時をうかがわせる姿に復旧されている。
仏間。神棚。
仏間、オエ、居間。
仏間、オエ、居間と通り土間。
オエ。
オエ、居間。
居間。
附属屋。水屋部分に進むと、背後に開かれた掛子塗の土戸と座敷が現れ、初めて今まで蔵の中にいたことが分かる。また、土蔵と取り付きとなる水屋の上部は吹き抜けとなっており、古の職人達が考え出した、豪雪地帯特有の井桁に組まれた太い梁や桁を望むことができる。
文庫蔵。板敷を基本とし、南西部に8畳の座敷を設ける。
なお、現天皇は時間の都合により、2階は見学していない。
附属屋2階への階段。
「店の間」上の2階への階段を昇った板敷廊下。
板敷廊下から見下ろす仏間。
2階。店の間と通りの上部を20畳の座敷とし、北に床の間を設ける。
2階。東の土戸両開きの開口からは下屋上部の縁への出入りを可能にしている。
2階。東の土戸両開きの開口部。
2階。下屋上部の縁部。
2階。下屋上部の縁から見下ろす中七日町通り。
このあと、通りを戻って「町の駅福蔵」の内部を見学した。