福島県文化財センター白河館「まほろん」。福島県白河市白坂一里段。
2024年6月1日(土)。
大木8a式土器。法正尻(ほうしょうじり)遺跡。磐梯町・猪苗代町。
法正尻遺跡は、磐梯町の法正尻地区から猪苗代町遠出にかけての磐梯山の南西に広がる翁島丘陵地東部、標高560m前後の場所に営まれた縄文時代中期(約5400~4400年前)を中心とする集落遺跡である。遺跡の位置する丘陵は、火山性の岩なだれ堆積物から構成された直径200~400m、比高10~50mほどの小丘、いわゆる“流れ山”が連続した波曲状の地形をなしている。流れ山の間は窪地や小盆地のようなところが何箇所もあって、かつては湿原や沼地も多くあった。こうした窪地は、流れ山が風よけとなり、豊富な湧水もあって、古くから生活する上で好適地であったに違いない。
法正尻遺跡では、1988(昭和63)年から平成元年にかけて磐越自動車道建設に伴う発掘調査が行われた。その結果、竪穴(たてあな)住居跡129軒、土坑759基、埋甕(うめがめ。土器埋設遺構) 26基などが見つかり、出土した遺物は実に26万点という膨大な数に上っている。
大木式(だいぎしき)土器と呼ばれる東北地方南部を代表する縄文土器が多く出土したほか、関東地方の阿玉台式(おたまだいしき)土器や東北地方北部の円筒式土器と共通するもの、新潟県に分布する馬高式(うまたかしき)土器と似ているものも含まれており、周辺地域との交流があったことが裏付けられた。
2009(平成21)年には、こうした文化の交流の実態に迫る貴重な出土資料として、縄文時代中期を中心とする土器・土製品・石器など855点が国の重要文化財に指定されている。
中でも装飾品として身に着けた長さ8cm以上ものヒスイ製の大珠は、新潟県の糸魚川地区産の石材で、規模の大きな遺跡に限って出土する大変珍しい遺物として知られる。その他、石器に利用された黒曜石もまた新潟県や栃木県からもたらされたことが分析によって判明している。このように、出土したさまざまな遺物は、今から約5,000年前、山間のこのムラに多くのヒトとモノが集ったことを物語っており、その情景はまさに縄文文化の十字路と呼ぶにふさわしい。
桑名邸(くわなやしき)遺跡。天栄村大里字西畑。
縄文時代中期を中心とした集落遺跡。奥羽山脈の東側に広がる丘陵地帯の、丘陵の平らな段丘面に位置する。遺跡からは、縄文時代中期の竪穴住居跡37軒、土坑511基が見つかっている。土坑は、貯蔵穴と思われるものが含まれ、土器が投棄された状態で見つかったものもある。遺物は、完形品を含む縄文土器のほか、石器類、土製品などが見つかっている。縄文土器は、完全な形をしたものが多く見つかり、なかには関東地方や、北陸地方の影響を受けた文様を持つものもある。
上ノ台(うえのだい)A遺跡。飯舘村大倉上ノ台。
縄文時代中期前葉から後期前葉に至る集落跡。阿武隈高地を流れる河岸段丘上に位置する真野(まの)川とその支流の木戸木(ことぎ)川および大倉沢に挟まれた舌状浸食段丘上に立地する。昭和五七―五八年(一九八二―八三)に真野ダム建設に伴う調査が行われ、住居跡・土坑群・配石遺構・礫群などの祭祀遺構などが明らかとなった。出土遺物の量から縄文時代中期前葉において大倉地区の中核的集落を形成していたと考えられる。遺跡からは、竪穴住居跡70軒、土坑41基、埋甕25基、配石遺構6基などが見つかっている。石と土器を巧みに組み合わせてつくられた「複式炉」といわれる炉が見つかっている。遺物としては、縄文土器や石器の他に石剣も見つかっている。また、ニホンジカとイノシシの獣骨も見つかっており、縄文時代の生業(狩猟)の一端を示す貴重な資料となっている。
羽白(はじろ)C遺跡。飯舘村大倉羽白。
縄文時代前期を中心とする縄文時代早期から晩期の集落跡。真野(まの)川流域、大倉盆地南東部に形成された河川浸食段丘上に立地する。遺跡からは縄文時代の竪穴住居跡141軒、土坑501基、埋甕49基などが見つかり、縄文時代前期の地域の中心となる集落であったと考えられる。
遺物としては、大量の縄文土器や石器のほかに、土偶や土版などの祭祀に関係した土製品が見つかっている。祭具の石剣の製造過程が解明された点は注目され、石剣の未完成品の出土が目立つ。土でつくった錘(おもり)なども見つかっており、真野川で行われたであろう漁労活動の一端もかいま見ることができる。
荒小路遺跡。郡山市田村町谷田川字荒小路。
縄文時代後期を中心とした集落の跡で、福島県のほぼ中央、郡山盆地東部に位置している縄文時代後期前葉~後期中葉の集落跡である。竪穴住居跡のほか、埋甕、配石遺構、狩猟用の落とし穴などが発見された。多数の縄文土器や石器のほか、土偶や獣形などの土製品が見つかっている。
出土した土偶の1つは、顔の形状がハート形を呈する土偶(ハート形土偶)の代表的なもので、2009年ロンドンの大英博物館に出展された。
土偶。縄文時代後期。柴原A遺跡。三春町柴原字柴原。
縄文時代の中期から後期を中心とする集落跡。遺跡は、阿武隈高地を流れる大滝根川の河岸段丘上に位置している。遺跡からは、竪穴住居跡20軒、敷石住居跡8軒、埋設土器40基、集石遺構60基等が見つかった。なかでも、縄文時代後期の石を敷いて作られた敷石住居跡は残りが良く、洪水の堆積層の下から当時の集落跡がそのまま見つかった。
縄文土器や石鏃等の石器類、土錘や土偶などの土製品等も大量にみつかっており、土偶には完全な形のものもある。