国際調査で「日本のメディアリテラシーの順位」が低いのは、「人々に報道やデマを吟味する力がない」せいではなく、じつはメディア側の問題だった
Yahoo news 2025/2/28(金) 現代ビジネス 飯田一史(ライター)
昨今の兵庫県知事選挙やフジテレビ問題と週刊文春の報道をめぐるソーシャルメディア上の反応を見ていて、日本人のメディアリテラシーってどうなんだろう?と思った人も多いのではないだろうか。私も国際的に見て日本人のメディアリテラシーはどのくらいの位置にいるのか気になって調べてみた。European Media Literacy Index 2023では47カ国中第22位と凡庸な成績だった。しかしそもそも「メディアリテラシー」とは何を指標にしているのか、日本で使われているニュアンスと海外の用法との違いを掘り下げていくと、日本の課題が見えてきた。
報道の自由度とPISAのReading Literacyが主要な評価軸
Open Society Institute–Sofia (OSIS)によるEuropean Media Literacy Index(EMLI)およびその拡張版Expanded Media Literacy Index(2023年)ではメディアリテラシーの順位で日本は47カ国中22位。1位のフィンランドから8位のスイスまではクラスター1(もっとも上位のグループ)、9位のオランダから27位のポーランドまでがクラスター2で、日本はここに属する。
北欧諸国のスコア&順位が軒並み高いことから、EMLIに対して文化的偏見、つまり特定の地域や文化圏に有利に働く指標を選んでいるにすぎず、異なる社会文化的背景を持つ国々の実態を正確に反映していないという批判もある。
ともあれ、この調査ではどんな能力をメディアリテラシーとみなしているのか?
EMLIでは、メディアリテラシーを「社会が偽情報や誤情報(いわゆるフェイクニュース)に対する耐性を持つ潜在能力」として捉え、具体的には、次の要素が基盤とされる。
1.教育:批判的思考力や分析力を育む教育水準(PISAスコアなど)
2.メディア自由度: 報道の独立性や透明性
3.社会的信頼: 他者や制度への信頼感
4.電子参加(e-participation): デジタル技術を活用した市民参加の度合い
これはほかのメディアリテラシー調査と比べると
・測定対象が「社会全体」に焦点があてられている(たとえばUNESCO調査では多くは個人レベルでのアクセスや分析、評価、クリエイティビティを重視)
・教育(とくにReading Literacy)とメディア自由度がもっとも重視され、それぞれスコアの30%と40%の重み付けがされている(ほかの調査ではデジタルスキルや批判的思考能力が強調されることが多い)
ことが大きな特徴となっている。
つまり「メディアリテラシー」と言ったときに、メディアで発信された情報を「受け取る側」のみならず、取材・報道するジャーナリストや「メディア側」がどうなのかも重視しているのである。
日本は「報道の自由度」の低さが順位を押し下げている
日本にとって不幸(?)なことにここで参照されているPISA(OECD加盟国の15歳を対象にした学習到達度調査)は2018年のもので、このときは日本が読解力(Reading Literacy)が過去最低の18位となった回であり、2022年調査(2023年末に公表)では3位に再浮上したので、今ならもう少し順位が上がっていた可能性がある。
EMLIでPISAのReading Literacyが重視されていることから「読解力」とメディアリテラシーに何の関係があるのかと思った人もいるかもしれない。PISAでは物語や評論文の読解にとどまらず、書類や図やグラフを伴う資料の読み解き、ウェブサイトの評価、複数資料の比較検討、文章のアウトプットなどを重視しており、これらを含めてReading Literacyとみなして測定している。日本でもこうしたPISAの動向を踏まえて、文科省が高校の国語に「論理国語」を導入した(従来の国語科を「文学国語」「論理国語」に分けた)したと見られている。
また、PISAは2015年、2018年でデジタル機器でのテスト実施を導入しており、PCなどをスムーズに操作できるかどうかが評価の前提となっている。したがってデジタルリテラシーもメディアリテラシーに含まれる考えだと言えるし、PISAのこうしたスタンスをEMLIも踏襲していると言える。
それにしても国別にPISAのReading Literacyと報道の自由度とを並べると、日本は前者の高さと比べて著しく報道の自由度が低いことが足を引っ張っていることが一目瞭然だ(同じタイプの国はポーランド、ハンガリー、ウクライナといった東欧、旧共産圏に目立つ)。
一応確認しておけば、「報道の自由度」指数とは国境なき記者団(Reporters Without Borders、RSF)が各国の専門家へのアンケートや統計、法制度や政策分析から、以下の5つの主要指標に基づいて発表している「世界報道自由度指数」のことだ。
- 政治的コンテキスト
政府や他の政治的アクターからの圧力に対するメディアの自律性、政治的な報道の多様性、公益のために政治家や政府の責任を追及するメディアの役割などを評価
- 法的枠組み
ジャーナリストやメディアが検閲や司法制裁を受けることなく自由に活動できる度合い、情報へのアクセスや情報源の保護に関する法的保障など
- 経済的コンテキスト
メディアの経済的独立性、政府や企業からの圧力の有無、メディア所有の集中度などを評価
- 社会文化的コンテキスト
ジャーナリストに対する社会的な態度、自己検閲の程度、センシティブなテーマに関する報道の自由度などが考慮
- 安全性
ジャーナリストの身体的・精神的安全、脅迫や暴力の有無、オンライン上での嫌がらせなどを評価
日本は記者クラブ制度、特定秘密保護法、政府や大企業からのメディアへの圧力、自己検閲の問題などが低評価につながっている。
メディアリテラシーは「社会」や「メディア側」の問題でもある
EMLIなど海外のメディアリテラシーの調査を見ていくと、日本国内でよく使われる「メディアリテラシー」ではあまり語られない側面が含まれていることに気づく。
日本では「メディアを読み解く能力」「アクセスし、活用する能力」のようなメディアの受け手、利用者としてのスキルというイメージが強い印象がある。
だがたとえばUNESCO(国連教育科学文化機関)の定義は「民主主義社会におけるメディアの役割と機能を理解する」「メディアがその機能を十分に発揮し得る条件を理解する」なども含み、定義がより広範囲で、批判的思考や社会参加を強調する傾向がある。
また、EMLIのようにICTスキルも重要な要素に位置づけられ、さらにはメディア側の自由度も「社会全体としての」メディアリテラシーに関わるものと捉えられている。
たしかに人々が報道やデマを吟味する力があったところで、そもそも取材・発信が制約され、大きな力を持つメディア自体が腐っていたら意味がない。
そして国際比較からわかるのは、日本は人々のReading Literacyは(意外にも?)決して低くない一方で、報道の自由度が終わっている点が、国・社会としてのメディアリテラシーを押し下げている、ということだ。
昨今のメディアと報道をめぐる問題も、こうした観点から捉え直してみる必要があるのではないだろうか。