
国史跡・大安場(おおやすば)1号墳。福島県郡山市田村町大善寺大安場。
2024年5月28日(火)。
三春城跡を見学後、復元された前方後方墳・大安場1号墳のある郡山市の大安場史跡公園へ向かい、1号墳下のガイダンス施設横の駐車場に12時過ぎに着いた。ガイダンス施設から見上げる大安場1号墳は圧倒的な威容を誇っていた。朝から強い雨が降り続けていたが、舗装路のため古墳見学には問題はなかった。
大安場古墳群は、古墳時代前期後半頃の築造と推定される前方後方墳1基、円墳4基からなる古墳群で、4世紀後半の築造とされる大安場1号墳は全長約83mの東北地方最大の前方後方墳で、2~5号墳は、5世紀後半に造られた円墳である。周辺は大安場史跡公園として整備され、ガイダンス施設が併設されている。
大安場1号墳は,福島県内阿武隈川沿いの通称中通り地方にあり,阿武隈川東岸の平野に面した標高約250m,平野からの比高差約15mの低丘陵上に立地する。前方部を北に向ける前方後方墳で,全長は約83mと推定できる。
大安場1号墳は,阿武隈川流域の最大級の古墳であり,また前方後方墳としては東北地方全体で最大となる。同じ福島県内でも会津地方では前方後円墳が卓越しているのに対して,中通り地方の大安場古墳は前方後方墳であり,前方後方墳を盛んに築造した下野・那須地方との関係がうかがえる。
主体部・副葬品の内容から見ても,東北地方を代表する前期古墳のひとつと言うことができ、東北地方への古墳文化波及に関して重要な意味をもち,東北南部の古墳時代の政治・社会を考える上で欠くことのできない古墳である。
墳丘は一部改変を受けているが,もともと存在した自然丘を削り出した工法によって、後方部3段,前方部前面2段になる。
2号墳付近から大安場1号墳。
大安場1号墳の前方部から登る。
大安場1号墳の前方部から後方部。
大安場1号墳後方部から前方部と2号墳。
後方部墳頂はかなり削平されていたが,表土直下で南北方向の主体部が確認された。
長さ10m,幅2mの粘土棺床をもうけ,長さ9mの長大な木棺(割竹形木棺)を安置したものである。
棺内北寄りに朱粒が撒かれ,その南から緑色凝灰岩製腕輪形石製品1点が出土した。
腕輪形石製品は,東北地方における初めての確かな出土例で,宝器として被葬者に添えられていたと考えられる。
腕輪形石製品以外の副葬品は棺内南半部に置かれており,大刀1点,剣1点,槍1点,鎌1点,板状鉄斧1点などがある。大刀は鞘・把の木部が良好に残り,2cm程度の幅の布を巻いて樹脂で固めている様子が観察できる。
後方部の墳丘斜面から,二重口縁壺と棒状浮文壺の2種類の赤彩された底部穿孔壺形土器が50個ほど出土しており,本来墳頂に据え置かれていたと推定される。
ガイダンス施設の屋根の形は腕輪形石製品をモチーフにしている。
2号墳~ 5号墳。
5世紀後半に造られた円墳。近くの南山田遺跡・永作遺跡の集落指導層の豪族の墓と推定される。国史跡・2号墳の埋葬部は、割石を組み合わせた箱型石棺である。