
国史跡・北斗遺跡。釧路市北斗。
2022年6月12日(日)。
釧路市湿原展望台および湿原展望遊歩道の見学を終え、10時ごろに駐車場に着き、南隣する国史跡・北斗遺跡および史跡北斗遺跡展示館(釧路市立北斗遺跡博物館)へ向かった。釧路市湿原展望台から釧路市方向へ戻り、道標にしたがい湿原側に入ると、展示館が見えてくる。史跡北斗遺跡展示館は、国指定史跡北斗遺跡のガイダンス施設である。史跡北斗遺跡展示館を15分ほど見学した。
北斗遺跡は、釧路市街地の北西約7㎞の釧路湿原を望む標高20m前後の段丘上に所在する。約1万年前の旧石器時代から縄文・続縄文時代を経て約900年前の擦文時代に至る重複遺跡で、東西2,00m・南北500mの範囲に、縄文・続縄文時代の浅い円形・楕円形竪穴102軒、擦文時代の四角形竪穴232軒がくぼんだ状態で残されている。釧路湿原をとりまく丘陵上の遺跡群のなかで中核的な性格をもつものとして重要である。
現在遺跡の一部には竪穴住居5棟が復元され、「擦文の村」(現・釧路市北斗遺跡ふるさと歴史の広場)として公開されている。
「擦文の村」の時代と鎌倉時代は、ほぼ同じ時代であり、奥州平泉氏時代からラッコの皮や鷹の羽など蝦夷地の特産物は京都の貴族社会に送られ、源頼朝はその特産物交易を奪取して独占した。
史跡北斗遺跡展示館から北斗遺跡の野外展示施設である「擦文の村」へ向かった。北斗遺跡へは車道兼遊歩道を10分余り歩く必要があり、展示館では熊鈴も貸与してくれる。
マップでの園路は高台経由になっているが、実際には展示館前に続く車道兼遊歩道を利用する。立入禁止用のロープをくぐって水平な未舗装路を展示館で貸してくれた熊鈴を鳴らしながら10分ほど歩くと、遺跡手前の丘にある史跡展望台が見えてきた。
遺跡手前の丘にある史跡展望台の解説板。
史跡展望台に登ると、西側の竪穴住居跡の窪みが並んでいた。
さらに歩くと車道から釧路湿原方向への歩道が分岐している。
木道が濠の下へ潜って、対岸の「擦文の村」がある丘の平地に向かっている。
右に復元住居が見えるが、そのまま通り越し、振り返って一望できる展望地を探したが、なかった。
多く残っている窪地は竪穴住居の跡である。
住居群へ入っていくと、復元住居の前で管理人の高年男性と千葉県から来たという見学客の中年男性が話していた。
住居の中に入ると、炉の火が見え煙がくすぶっていた。
15分ほど滞在し往路を戻った。