![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/5a/3b5fc495d26765c6426211bec46b6016.jpg)
山形県立博物館。山形市霞城町。
2024年9月8日(日)。
城輪柵(きのわのさく)。
奈良時代末期に造営された出羽国国府。庄内平野北半部のほぼ中央東寄りに位置する。
遺跡の外郭は一辺約720mの方形をなし、その各辺中央に八脚門を構え、また各四隅に2×3間の小さな櫓状遺構を配している。遺跡の中心部は自然堤防を核として整地され、周辺より1m程高い。一辺約115mの1本柱塀や築地塀で囲まれた政庁の正殿や後殿、東西両脇殿等の主要殿舎群が「コ」字形に配置された。
慈恩寺(じおんじ)。山形県寒河江市。
神亀元年(724年)行基が、この地が景勝の地であるのを見て京に帰り、聖武天皇に奏上し、天平18年(746年)聖武天皇の勅命でインドの婆羅門僧正が開山したという。その後、鳥羽天皇の勅で再建され、後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。平安時代は藤原摂関家、鎌倉・室町時代は地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。
江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。
本尊は弥勒菩薩で、脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する日本国内でも珍しい五尊形式である。創建当初は八幡大菩薩を鎮守神として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。
見学後、二の丸東大手門から市街に出て、聖ペテロ教会へ向かった。