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読書メモ「古代氏族の研究⑯出雲氏・土師氏「原出雲王国の盛衰」宝賀寿男②土師氏(大江氏、菅原氏)

2024年06月01日 10時01分54秒 | 歴史

読書メモ「古代氏族の研究⑯ 出雲氏・土師氏 「原出雲王国の盛衰」 宝賀寿男 2020年

②土師氏(大江氏、菅原氏、三上祝氏、凡河内氏、武蔵国造など東国諸国造)

土師氏や畿内の有力同族諸氏。

土師氏垂仁朝の野見宿祢を祖とする出雲国造家の有力支族であり、中央で活動した。本貫地は河内国志紀郡土師郷の道明寺一帯たつの市の権現山51号墳4世紀半ばの前方後方墳。最古の円筒埴輪である都月型円筒埴輪(特殊器台型埴輪)出土。

道明寺一帯。三ツ塚古墳。3基の方墳。実態は仲哀天皇陵である4世紀末の仲姫陵の南にある陪塚とされるが、土師氏の墳墓とみられる。道明寺は土師氏の氏寺。

桓武天皇の母方の祖母・土師真妹(まも)は山城国乙訓郡大枝郷の出身。娘の高野新笠が桓武天皇の母。一族は桓武天皇から姓氏を賜与されて、真妹の実家は大枝氏を、他の一族は菅原氏・秋篠氏を与えられる。

土師氏同族の分布と活動。野見宿祢の6世孫、大保度連の子・八島連の頃に4家に分かれる。①河内国志紀郡土師郷。②大和国添下郡菅原郷。奈良市西部。③大和国添下郡秋篠郷。氏寺は秋篠寺。④和泉国大鳥郡土師郷。堺市。大枝朝臣

⑤周防国佐波郡。土師宿祢。八島連の弟の子が推古朝に佐波に遷り、後裔は周防の在庁官人。周防二宮の出雲神社を奉斎。防府天満宮。武光氏。

菅原氏および大江氏の活動。菅原道真の曽孫菅原輔正が正三位参議。鎌倉初期に菅原為長が正二位参議。後裔に高辻家・五条家・唐橋家・東坊城家・清岡家・桑原家の堂上家

秋篠安人。従三位参議。

地方の管原姓武家諸氏柳生氏。同族に中坊氏。美作菅氏・前田氏・久松氏は系譜仮冒。

大枝氏。土師連富杼(ほど)は白村江の戦いで捕虜となるが帰国。子に祖麻呂、真妹(和史・高野朝臣乙継の妻)。縁戚の土師宿祢諸上・菅麻呂らに大枝朝臣を賜る。のち大江朝臣。大江音人。参議。大江匡房。従二位参議。大江広元。広元の兄・匡範の後裔は堂上家の北小路家。

大江姓の中世武家諸氏。毛利氏。長井氏。左沢氏の後裔に美濃の郷氏。明治に郷純造。

防府の武光氏の一族は武蔵国多摩郡津戸に住み、津戸・黒須・伏見氏など。忍氏。

武蔵には土師部がおり、浅草神社・浅草寺開創は土師真中知(まつち)

畿内・東国に展開した初期分岐の支族。

天津彦根命の子の天御蔭命(天御影命)の後裔で、畿内と周辺に物部氏の祖神・饒速日命とともに来た一族では、近江の三上祝凡河内国造が有名で、さらに茨城国造など多くの国造家を東国に展開した。

三上祝とその同族諸国造。天御影命(天夷鳥命・天目一箇命)の子の意富伊我都(おおいかつ)命の後は、その諸子の世代が畿内方面に移遷して大発展し、三上祝や凡河内国造、山代国造を出した。意富伊我都命の子のうち、彦伊賀都命は近江の三上祝・蒲生稲置や額田部連の祖、阿多根命は山代国造の祖、彦己蘇根(こそね)命は凡河内国造の祖とされる。

風土記の山代日子命は天夷鳥命(天目一箇命)か意富伊我都命とみられる。意宇郡山代郷に鎮座した山代神社は式内社であった。

天御影命の後裔氏族のなかでは、嫡流が三上祝氏で、近江国野洲郡三上に住み、御上神社の神職であった。大岩山銅鐸出土地や大岩山古墳群が近くにある。一族の息長水依比売は彦坐王の妃となって丹波道主命を生んだ。支族は蒲生稲置・菅田首、茨城国造・桑名首・額田部連、野洲郡の安国造など。蒲生稲置は竹田神社(日野町)、菅田首は菅田神社(近江八幡市)、桑名首は多度大社を奉斎した。蒲生氏郷の蒲生氏は後裔。

速都鳥命は長門国造に定められ、子孫は長門一宮の住吉神社を奉斎。長門国造一族から河内の桜井田部連。応神天皇の妃で隼総別皇子の母を出した。

山代国造。山城国南部の綴喜郡が本拠。摂津国武庫郡(西宮市)の広田神社。後裔は鷹羽氏。山代宿祢氏の支族に御栗栖の大道寺氏。小田原北条氏の重臣。

桑名首氏。多度神社。桑名神社。

凡河内国造と座魔五神。河内国大県郡あたりが本拠か。のちに西摂津の兎原郡(神戸市灘区)に遷る。御影は先祖の名。摂津国西成郡の坐魔神社。大阪市中央区久太郎町。摂津一宮。祭神は座魔五神。天孫族の祖神。河内の一族の娘が崇神天皇に反乱を起こした武埴安彦命を生む。摂津の三島郡に勢力があった。摂津国造。平安中期の歌人、凡河内躬恒。後裔と称したのが播磨国広峯神社祀官家の広峯氏。南北朝期に尾張の恒川氏。

東国への分岐。茨城国造と同族諸国造。筑簞(つくばこ)命の後裔。崇神期に常陸へ派遣。茨城国造と筑波国造。嫡宗は茨城国造。相模の師長国造。額田部連。上総の須恵国造・馬来田国造。

武蔵国造と東国の諸国造族。

武蔵等東国諸国造の分岐。天穂日命の後裔。兄多毛比(たもひ)命氷川神社。相武国造。大山阿夫利神社。奈良時代の僧・良弁。相模一宮の寒川神社。伊勢津彦。下総千葉郡の寒川神社。千葉国造。伊甚国造。安房夷隅郡。

2世紀後葉の神武東遷により、東方へ退転した諏訪建御名方命一族少彦名神後裔一族、伊勢津彦一族。素賀国造(のち遠江国造)。三遠式土器、アラハバキ神信仰。

少彦名神を祭神とする神社が関東南部に多く分布。伊豆国造。三嶋大社。知々夫国造。信濃の阿智祝。大國魂神社。

武蔵国造族と氷川神社等の奉祀。出雲の斐伊川から氷川。男躰社の祭神は須佐之男命。本来は波比岐(はひき)神(アラハバキ神、五十猛神)。

アラハバキ神と荒神様。東北地方を中心に信仰された。関東では大宮氷川神社が分布の中心。荒脛巾などの表記。三河一宮の砥鹿神社。巨石の磐座。韓地の安羅。

武蔵国造の歴史。上・下海上国造。安閑天皇元年(534)、武蔵国造の乱。笠原直使主。奈良時代、大部(おおとも)直不破麻呂。子の弟総は武蔵国造。子孫は郡司を世襲。天慶の乱のときの武蔵武芝。本来の本宗家は无邪志直。一族は奥羽にも広がり丈部。武蔵国造本宗家の墳墓は、亀甲山古墳、芝丸山古墳。埼玉古墳群は知々夫国造。

武蔵七党と古代国造家。畠山・河越・渋谷・千葉・上総介は知々夫国造後裔。相模の三浦・大庭・梶原・長尾は武蔵国造同族の相武国造の後裔。桓武平氏は常陸の大掾氏、越後の城氏。

武蔵国造と縁の深いのは野予党と村山党。武蔵国造一族の物部直の後裔が源頼義配下の物部長頼。

 



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