読書メモ「古代氏族の研究⑯ 出雲氏・土師氏 「原出雲王国の盛衰」 宝賀寿男 2020年
②土師氏(大江氏、菅原氏、三上祝氏、凡河内氏、武蔵国造など東国諸国造)
土師氏や畿内の有力同族諸氏。
土師氏は垂仁朝の野見宿祢を祖とする出雲国造家の有力支族であり、中央で活動した。本貫地は河内国志紀郡土師郷の道明寺一帯。たつの市の権現山51号墳。4世紀半ばの前方後方墳。最古の円筒埴輪である都月型円筒埴輪(特殊器台型埴輪)出土。
道明寺一帯。三ツ塚古墳。3基の方墳。実態は仲哀天皇陵である4世紀末の仲姫陵の南にある陪塚とされるが、土師氏の墳墓とみられる。道明寺は土師氏の氏寺。
桓武天皇の母方の祖母・土師真妹(まも)は山城国乙訓郡大枝郷の出身。娘の高野新笠が桓武天皇の母。一族は桓武天皇から姓氏を賜与されて、真妹の実家は大枝氏を、他の一族は菅原氏・秋篠氏を与えられる。
土師氏同族の分布と活動。野見宿祢の6世孫、大保度連の子・八島連の頃に4家に分かれる。①河内国志紀郡土師郷。②大和国添下郡菅原郷。奈良市西部。③大和国添下郡秋篠郷。氏寺は秋篠寺。④和泉国大鳥郡土師郷。堺市。大枝朝臣。
⑤周防国佐波郡。土師宿祢。八島連の弟の子が推古朝に佐波に遷り、後裔は周防の在庁官人。周防二宮の出雲神社を奉斎。防府天満宮。武光氏。
菅原氏および大江氏の活動。菅原道真の曽孫菅原輔正が正三位参議。鎌倉初期に菅原為長が正二位参議。後裔に高辻家・五条家・唐橋家・東坊城家・清岡家・桑原家の堂上家。
秋篠安人。従三位参議。
地方の管原姓武家諸氏。柳生氏。同族に中坊氏。美作菅氏・前田氏・久松氏は系譜仮冒。
大枝氏。土師連富杼(ほど)は白村江の戦いで捕虜となるが帰国。子に祖麻呂、真妹(和史・高野朝臣乙継の妻)。縁戚の土師宿祢諸上・菅麻呂らに大枝朝臣を賜る。のち大江朝臣。大江音人。参議。大江匡房。従二位参議。大江広元。広元の兄・匡範の後裔は堂上家の北小路家。
大江姓の中世武家諸氏。毛利氏。長井氏。左沢氏の後裔に美濃の郷氏。明治に郷純造。
防府の武光氏の一族は武蔵国多摩郡津戸に住み、津戸・黒須・伏見氏など。忍氏。
武蔵には土師部がおり、浅草神社・浅草寺開創は土師真中知(まつち)。
畿内・東国に展開した初期分岐の支族。
天津彦根命の子の天御蔭命(天御影命)の後裔で、畿内と周辺に物部氏の祖神・饒速日命とともに来た一族では、近江の三上祝や凡河内国造が有名で、さらに茨城国造など多くの国造家を東国に展開した。
三上祝とその同族諸国造。天御影命(天夷鳥命・天目一箇命)の子の意富伊我都(おおいかつ)命の後は、その諸子の世代が畿内方面に移遷して大発展し、三上祝や凡河内国造、山代国造を出した。意富伊我都命の子のうち、彦伊賀都命は近江の三上祝・蒲生稲置や額田部連の祖、阿多根命は山代国造の祖、彦己蘇根(こそね)命は凡河内国造の祖とされる。
風土記の山代日子命は天夷鳥命(天目一箇命)か意富伊我都命とみられる。意宇郡山代郷に鎮座した山代神社は式内社であった。
天御影命の後裔氏族のなかでは、嫡流が三上祝氏で、近江国野洲郡三上に住み、御上神社の神職であった。大岩山銅鐸出土地や大岩山古墳群が近くにある。一族の息長水依比売は彦坐王の妃となって丹波道主命を生んだ。支族は蒲生稲置・菅田首、茨城国造・桑名首・額田部連、野洲郡の安国造など。蒲生稲置は竹田神社(日野町)、菅田首は菅田神社(近江八幡市)、桑名首は多度大社を奉斎した。蒲生氏郷の蒲生氏は後裔。
速都鳥命は長門国造に定められ、子孫は長門一宮の住吉神社を奉斎。長門国造一族から河内の桜井田部連。応神天皇の妃で隼総別皇子の母を出した。
山代国造。山城国南部の綴喜郡が本拠。摂津国武庫郡(西宮市)の広田神社。後裔は鷹羽氏。山代宿祢氏の支族に御栗栖の大道寺氏。小田原北条氏の重臣。
桑名首氏。多度神社。桑名神社。
凡河内国造と座魔五神。河内国大県郡あたりが本拠か。のちに西摂津の兎原郡(神戸市灘区)に遷る。御影は先祖の名。摂津国西成郡の坐魔神社。大阪市中央区久太郎町。摂津一宮。祭神は座魔五神。天孫族の祖神。河内の一族の娘が崇神天皇に反乱を起こした武埴安彦命を生む。摂津の三島郡に勢力があった。摂津国造。平安中期の歌人、凡河内躬恒。後裔と称したのが播磨国広峯神社祀官家の広峯氏。南北朝期に尾張の恒川氏。
東国への分岐。茨城国造と同族諸国造。筑簞(つくばこ)命の後裔。崇神期に常陸へ派遣。茨城国造と筑波国造。嫡宗は茨城国造。相模の師長国造。額田部連。上総の須恵国造・馬来田国造。
武蔵国造と東国の諸国造族。
武蔵等東国諸国造の分岐。天穂日命の後裔。兄多毛比(たもひ)命。氷川神社。相武国造。大山阿夫利神社。奈良時代の僧・良弁。相模一宮の寒川神社。伊勢津彦。下総千葉郡の寒川神社。千葉国造。伊甚国造。安房夷隅郡。
2世紀後葉の神武東遷により、東方へ退転した諏訪建御名方命一族、少彦名神後裔一族、伊勢津彦一族。素賀国造(のち遠江国造)。三遠式土器、アラハバキ神信仰。
少彦名神を祭神とする神社が関東南部に多く分布。伊豆国造。三嶋大社。知々夫国造。信濃の阿智祝。大國魂神社。
武蔵国造族と氷川神社等の奉祀。出雲の斐伊川から氷川。男躰社の祭神は須佐之男命。本来は波比岐(はひき)神(アラハバキ神、五十猛神)。
アラハバキ神と荒神様。東北地方を中心に信仰された。関東では大宮氷川神社が分布の中心。荒脛巾などの表記。三河一宮の砥鹿神社。巨石の磐座。韓地の安羅。
武蔵国造の歴史。上・下海上国造。安閑天皇元年(534)、武蔵国造の乱。笠原直使主。奈良時代、大部(おおとも)直不破麻呂。子の弟総は武蔵国造。子孫は郡司を世襲。天慶の乱のときの武蔵武芝。本来の本宗家は无邪志直。一族は奥羽にも広がり丈部。武蔵国造本宗家の墳墓は、亀甲山古墳、芝丸山古墳。埼玉古墳群は知々夫国造。
武蔵七党と古代国造家。畠山・河越・渋谷・千葉・上総介は知々夫国造後裔。相模の三浦・大庭・梶原・長尾は武蔵国造同族の相武国造の後裔。桓武平氏は常陸の大掾氏、越後の城氏。
武蔵国造と縁の深いのは野予党と村山党。武蔵国造一族の物部直の後裔が源頼義配下の物部長頼。