国史跡・崎山貝塚。宮古市崎山貝塚縄文の森ミュージアム。岩手県宮古市崎山第1地割。
2023年6月7日(水)。
崎山貝塚遺跡は、縄文時代の前期から中期にかけて南東と北西の斜面に形成された貝塚と、中期後半に営まれた集落跡からなっている。
南東斜面には3地点の貝塚が確認され、前期初頭から中期の初頭に形成され、シカ、イノシシ、タヌキ、イヌ、オットセイなどの獣骨、マイワシ、カタクチイワシなどの小型魚を主体にしてカツオ、ブリ、マダイ、フサカサゴ科・アイナメなどの魚骨、イガイを主体とした岩礁性二枚貝、フジツボ、ウニなどの動物遺体、土器、石器、釣針・刺突具・骨針・骨箆・叉状角製品・装身具などの骨角器などの多種多様な遺物が、厚いところで1.2m以上に累積している。
北西斜面の貝塚は、斜面の中ほどに位置し、中期後半に形成された。
巻貝型土器。近内中村遺跡。縄文時代後期。
大英博物館でも展示された近内中村(ちかないなかむら)遺跡の巻貝形土器。
縄文時代後期(約4000~3000年前)の近内中村遺跡から全国的にも珍しい巻き貝形土器が出土した。この土器がどのぐらい珍しいかと言うと国の重要文化財となっている新潟県上山遺跡の縄文後期の層から昭和36年(1961)に出土した巻き貝形土器と、巻方が左右対称なことを除いて瓜ふたつなのである。
巻き貝形土器は通常の暮らしに使われた器ではなく、何らかの儀式に使われたものと考えられ、新潟上山遺跡に続いて昭和41年(1966)に宮城県伊具郡岩ノ入遺跡で出土したものと、この近内の3点しか出土例はない。 他県の遺跡では雑多な土器郡と混じり合って破損して発見されているが、近内では竪穴式住居跡から猪の土製品などと一緒にほぼ完形品として発見されている。
巻き貝形土器は全長23.5センチ、幅11.5センチ、重さは370グラム。濃い褐色で全体にイボ状の突起やらせん模様がある。関東方面に生息するボラ科の貝をかたどったとみられるが、巻き型は実際のものと逆の左巻きである。
近内から巻き貝形土器が発見されたということは、はるか昔の縄文時代に新潟県で発見された物と同一の制作者が流れきたのか、あるいは製品として同じ物が交易品として流通したのかいずれにせよ縄文時代の何かをつないでいた架け橋があったという物的証拠でもあり、この近内の巻き貝形土器は、国の重要文化財の土器と従兄弟的な物品であることは間違いないと言える貴重なものである。
「石刀」。近内中村遺跡。縄文時代晩期。
肉などを切るような鋭利な刃はなく、短い柄の部分にはうっすらと赤い色(ベンガラという酸化鉄)がみられる。実用性を欠いた形状であり、儀式や祭りなどに用いられた宗教的な遺物と考られる。
「板状土偶」。重茂館(おもえたて)遺跡群。縄文時代中期。
体が板のように平たく作られた土偶で、頭部は目や口などが表現されている。中心部には穴が二つ開けられており吊り下げて使用していたのかもしれない。
14時20分ごろに﨑山貝塚を出て、宮古盛岡横断道路で盛岡市内に行き、志波城跡を見学して、雫石町の道の駅へ向かうことにした。10日土曜日に滝沢市で「チャグチャグ馬っこ」を見学するためである。