撮影、富根~鶴形間、2008.2.22
立秋を迎えましたが、もはや21世紀は昔の暦とは合致しなくなっている今日この頃・・・。今日も暑い
それにしても、私が退職してから、事件事故の多いJR・・・まあ、同期の連中が管理職になっているころで、入社当時「平成6年採用は最低」とレッテルを張られたものそれにしても情けないと思う日々、早々に辞めて正解だったかも。
さて、気分が向いたので、またJR時代のお話を。
土崎工場(現秋田総合車両センター)
かくして、南秋田運転所(現秋田車両センター)を追い出され、憧れの土崎工場へ転勤となりました元々機械いじりの好きな私、しかも地元の工場で働けるなんて嬉しくてしょうがなかったです!
1.配属になった職場
これも申し合わせたように「エンジン職場(内燃機職場)」平成7年8月から12月まで居ました。仕事は、「キハ40系エンジンのDMF15HSA」グループ。ただ、私自身は昭和52年に見てから好きにはなれないエンジンだと思ってはいましたが、それでも「国鉄型」なので、食わず嫌いで頑張りました。
まずは、ボルト磨き&選別から始まり、徐々に本体組立へと進みました。しかし、まいったのは、さすがにこの細身の身体では非力だと思い知らされましたでも、頑張ればなんとかなるもので、後半は、ターボチャージャー(20~30㎏ある)を床から1mの取り付け台まで難なく持ち上げることができました
グループの先輩方は、目の敵にされている「国労組員!」。ところが、物おじもしなければ、大卒ぶるわけでもないので、大変お世話になり、毎日が公私ともに楽しかったです。
後日、生産管理科(事務部門)長が、私をわざと人間性や3k仕事で潰そう?と試したらしいのですが…。
その後、エンジンに付属する部品の全ての検修を私の我がままで、研修させて頂きました。「エンジンというのは本当に部品の塊で構成」されているのだと感心し、どれが欠けてもダメなことが痛切に感じられました。ただ、カミンズ社のDMF14HZは部品が少なく簡単でしたが、力が一番必要で、トルクレンチ(1.5m位長で50㎏)を一発でかけることはできず、落第でした(泣)
2.品質管理科への転属
エンジン職場の組長さん方が、結託して、車の車検に当たる485,701系の落成検査へ平成8年1~11月末まで働くことができました。ここでは、古株の主任さんが生意気な奴だと文句を言われましたが、最後には私の仕事ぶりを見てか良くして頂いたのには感謝しております。ここに来て、やっと、南秋田運転所で完全に理解できなかった電車の仕組み(図面ではわからないからくり)を習得することができましたちなみに、今は無き485系3000番代も検査しました。
ここでの楽しみは、なんといっても試運転!!構内試運転を行った後、南北へと本線試運転へ行くのですが、実際に添乗し、運転士にあれこれ言って行って頂いて、我々も実際に操作できたのは鉄道マン冥利に尽きるというものでしょうか。
工場でのことはまだあるので次回に述べようと思います。