ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

淡路から国生みの島へ13

2022-04-06 20:55:26 | 旅行

福良港でお土産を買い、
最後の目的地である
「おのころ島神社」を
めざしていくことにしましょう。

この神社は淡路の南部。
島の中ほどにあります。
ナビに導かれて進んでいくと、
結構静かな田舎町を抜けていきます。

あれ?ここの工場には杉玉が
つるされているぞ、
と思ったらそこが「都美人」の
醸造所でした。
ああ、こんなところにあったのですね。
かろうじて取れた写真がこれ。


地下水とかを組んでいるのかなあ。
で、その先に巨大な赤い
鳥居が見えてきましたよ。



そこが「おのころ島神社」ですね。



神社そのものが少し
台地になっています。



その森を、ここでは
「おのころ島」と呼んでいるようです。
ここで伊弉諾、伊弉冉の夫婦が
子作りをしたのですね。
それらは大地となり
日本が生まれてゆきました。

二人がどうして夫婦の契りを
交わすのかわからないときに、



このセキレイの石に飛んできた鳥が



それを教えたんだそうです。
なのでまあここがそのおのころで、
神社の名前が「おのころ島神社」と
なっているわけですね。
中には石に「日本発祥の地 おのころ神社」
などと書かれてありますよ。
あの沼島の「おのころ神社」に
対抗しているようですね。
おのころ島はほかにも
淡路島そのものをさしている
という話もあります。

もしかしたらさらに北側にある
伊弉諾神宮も住んでいた場所
というだけでなくおのころ島と
いわれていたのかもしれません。



おッ、このおのころ島神社には
千度石もあるし、百度石もありますよ。



千度回って、また百度回る?
どんな仕組みかなあ。
想像がつきません。

いずれにしても、国生みの現場を
見に来たこの旅には、
この神社はぜひとも訪れて
おきたい神社でした。



さあこれで当初計画していたところは
無事に行くことができました。
伊弉諾神宮は少し前に
経験済みです。
しかもミセスの職場時代の友達が
昨日伊弉諾神宮に行ってた
という情報も届いていました。

さあ、じゃ家に帰るかと思ったら、
ミセスがブラタモリでも
沼島がおのころ島って言ってたなあ
といいます。
そして淡路って瓦が有名やなあ
とも言われてました。
そうかあ、ブラタモリで言ってた
昔の瓦が転がっている海岸の
近くを通るので、そこに寄って
みることにしましょう。

帰路の途中の寄り道にしているのが、
慶野松原です。



国民宿舎の横を通り、
駐車場に車を入れました。
まあ寒い季節なんでがらがらですねえ。
海岸線の方に歩いてゆき、
昔の瓦なんかが転がってそうな
砂浜に入ろうとしたら、
ロープで閉鎖されていました。



やっぱりコロナが原因かなあ。
そんなに人が集まるとも
思えないのですが、閉鎖とはねえ。
残念でした。

では再び帰路につきましょう。
新しい施設がいろいろとできて、
にぎやかになっている
淡路の西海岸を北上してゆきます。

でっかいキティちゃんもいましたねえ。

時間的にはお昼ですねえ。
最後に神戸淡路鳴門自動車道の下にある
道の駅で食事をしてゆきましょう。

店がいくつかありますが、
doiron家が選んだのは海鮮丼と
淡路バーガーです。
お店に入り、海鮮丼をいっぱい頼みました。
それを二人で訳わけしながらいただきます。



「エビはお前にあげるよ。わしは
マグロをいただくわ」
なんてつつきながら、
年金暮らしの夫婦は
わびしく食事をします。



また淡路バーガーも1個を交代ごうたい
かぶりながら二人でいただきます。
ああ、まるで昔あった一杯の
掛けそばみたいですねえ。
淡路でささやかな幸せを求める
年金夫婦なのでした。

いやあ、二日間いろいろありましたね。

日本の国生みを実感しつつ、
目いっぱい楽しんできました。
そんな淡路旅もこれにておしまいです。

コロナ騒ぎも落ち着いて
またあちこち旅行とかしたいなあ



とか言いつつ明石海峡大橋をわたり、
帰って行ったdoiron家なのでした。

おしまい


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