ハブ ア ナイス doi!その2

2024年。今年はどんな年になるかなあ。とりあえずしっかり遊ぼう。
日々のこと、つらつらと書きます。

淡路から国生みの島へ7

2022-03-30 21:14:30 | 旅行

沼島の西側半分を放浪して、
港に戻ってきました。

平坦な島に見えて、
道は結構アップダウン



で、もうミセスの足は大わらわです。
最後にはこの神社も越えて
急階段を降りてきましたね。



あれ、ここにも神社があるのかな
変わった名前の神社ですねえ、
普通に読めば、



「じぎょうじんじゃ」ですが、



これは前回言ったように
おのころ神社と読むんですね。



山の中を通ってお参りをし、
この神社にお参りをし、



旧階段をどんどん降りて
いったら港町に出ました。



途中階段の手すりにこんな注意がありました。



ああ、この島ってイノシシが
多いんですね。
上立神岩に登っているときにも
こんな捕獲折りが置かれていましたねえ。



でもこんな狭い島にイノシシって
いるんやねえと思っていたのですが、
この島とイノシシって
最近の事案なんですね。

昔はこんな生き物なんか
一頭もいなかったのに、
急に増えてきたんだそうです。

淡路島から4キロの海を
泳いで渡ってきたようなんです。
まるでトライアスリートですねえ。
イノシシって泳ぎがうまいらしいです。
あんな体だから、海に入ると
ぽっかりと浮かぶようで、
スムーズに泳ぐそうです。
そうして浮かびながら
日本の形を作った中央構造線を
泳いで超えてきたわけですね。
そのため一気にこの島のイノシシが
増えていきました。

集団で泳いできたのかなあ。

そんなイノシシのために、
この島の農業は絶滅しかかっています。
200本植えた芋がすべて
食い尽くされたなんてことも
あったようです。

農業者が一気に減ったそうです。
これはいかんと、捕獲折りを
設置するなどして、数年前には
年間で70頭くらいを
この島で捕獲したんだそうです。
そんなにいたんですねえ。
これだともう沼島の名物が
「はも」のてんぷらに加えて
「しし鍋」になっていたかもしれません。

doironが歩いているときも、
山の片隅で眺めていたのかもしれませんね。

下におり切ったところで時間を見ると、
次の船の発着迄1時間くらいありますので、
港町を歩きつつ、
この島の人たちの暮らしを
覗いていくことにしましょう。



海岸線近くまで降りて、
船乗り場の方に
向かって歩いていきます。

昼ご飯を食べた食堂を眺めながら、
西半分を一周した感じです。

あ、村のあちこちにまだ、
あの地図会社の人たちも
歩いていましたよ。
大変やなあ。



港町の片隅にだんじり小屋がありますねえ。
ここへ収納しているんでしょう。
でも横にある消防倉庫より
ずっと大きな祭りの倉庫。
海辺を中心にだんじりでにぎわう
祭りを開催するという、
島の人たちの暮らしを象徴するような
景色なのかもしれません。

港で飛び交うトンビの鳴き声を
聞きながら、歩いていくと
右手の山の方に階段と神社が
見えてきました。



訪ねてみましょう。



ここが沼島八幡神社です。

1436年に創建されたそうで、
沼島にとっては重要な神社です。
だんじり祭りもこの神社中心に
行われるようです。



あ、ここで沼島村の
道路元標を発見しましたよ。
これは貴重ですねえ。
この地点を中心に沼島の道路が
広がって行ったのかもしれません。

さあではお参りしていきましょう
と言うと、え~、この階段を上るの?
とミセスは躊躇しています。

でもねえ、せっかくここまで
来たんやからと説得して
登ってゆきました。



少し登ると、階段の左側に、
おおきな神馬像が置かれています。

下に書いてある案内を読むと、
大阪在住の沼島出身者が、
昔ここに神馬を寄贈した
そうなんですが、
戦争で供出させられ、
台座だけが残っていたそうです。
それを見た島の人々が
氏子総代の発起と当該の沼島の
人たちの協力を得て、
再度神馬が設置されたそうです。

続く


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 淡路から国生みの島へ6 | トップ | 自治会も年度末 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事