堤防の石はまだほかにもありますよ。
こういう京橋渡染の絵が残っています。
先ほど歩いてこの橋を渡ったときに、
中洲の島を渡ったと書きましたが、
この絵を見ても昔から京橋は
中州を経て橋が二本かかっていた
ことがわかりますね。
また岡山には夏目漱石も逗留していた様で、
そんな説明の石も置かれています。
それから、これが東門の後で、
これが素軒屋敷櫓跡の案内。
ああ、立っている石の中身も
近づいてきた岡山城に関するものが
増えてきました。
そもそも旭川と先ほどから書いていますが、
これは北海道のように「あさひかわ」
と読むのではなく「あさひがわ」とよみます。
京橋なんかのように
最近できた川の名前かというと
そうではなくて、あさひがわという名前は
古今和歌集の歌からとられた名前で
昔からそう呼ばれているようです。
その川はここからぐりっと回っています。
そうですその岡山城の堀として
使われているようですね。
岡山県立商業学校跡から、
水位観測所を抜けたら
広い車が走る道路に出ます。
この辺りから堀の様相を示し始めます。
ここに岡山城の案内が立っていました。
この城は「宇喜田秀家」が
1597年に築城しました。
黒く塗られた壁から「烏城」と
呼ばれていました。
長く岡山藩の城府となり
明治時代に廃城されたものです。
しかし昭和20年の岡山大空襲で焼失し、
その後公園として整備されているそうです。
そして今も復元修理や
石垣の展示なんかもされているそうで、
オカデンの終点から旭川に出て
堤防をあれこれ見ながら
旅してきましたが、
さらにここから岡山城内へと
旅は続いていくのです。
きりがいいので今日はここまで。
続く
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