2013年に行われた「さようなら原発講演」の記事です。原発の専門家である小出裕章さんが福島の事故は犯罪であると話しています。また、情報を知らなかった国民も「騙された責任がある」と云っています。あまりににも政治に興味のない国民が多く・・・逆に言うとあまりにも政治がひどすぎて聞く時間がもったいない。自分が生きていくために精一杯の努力をしているので政治への時間を取れない・・・・のが実態でしょう。しかし、自分の意志で聞かなかったということは、本人に責任はあります。自民党のひどさを一人でも多くの人たちが理解しなければ・・・・・
以下、BLOGOSより転載します。
放射線管理区域の東京でオリンピックなど正気の沙汰ではない/「原発は未来犯罪」(小出裕章さん)
国家公務員一般労働組合2013年09月06日 15:34
9月1日に日比谷公会堂で開かれた「さようなら原発講演会」での発言の一部要旨を紹介します。「東京の一部も放射線管理区域にしなければならないほどの汚染を受けている」という小出裕章さんの指摘を聴いて、放射線管理区域の東京でオリンピックを開催するなど正気の沙汰ではないことをあらためて痛感しました。(by文責ノックオン。ツイッターアカウントはkokkoippan)
▼東京オリンピックに使う費用は福島に使うべき
落合恵子さん
いま、まるで原発事故など無かったかのようにしようとしている政治の中に私たちは生きています。その恐ろしさを心に何度でも刻みましょう。ときどき疲れるでしょうが、刻み続けていかなければならないと思います。 あの汚染水のダダ漏れは、事故の直後から心ある専門家の方々は指摘してきました。それにもかかわらず、
参議院選挙が終わった翌日に明らかになる。それがこの国です。これがこの国のジャーナリズムの現実です。
「経済が基本」と言うのなら「原発そのものが経済を脅かすものだ」ということに私たちは気づかなければいけない。今度の国家予算にも原発予算が大きく組まれていますが、
福島のいまに対する対策よりも、推進政策が優先されています。
先日、福島の中学生、高校生とお話をしました。「
私たちは、僕たちは、原発を一度も選んでいないんだ」と言っていました。子どもたちは、若者も含め原発を選んでいないのです。「大人たちが勝手に原発を選び、作っておいて、それを私たちにどうにかしろというのですか?」という問いかけに私たちはどう答えられるのでしょうか?
「
勝手に原発を作っておいて、残して、先にバイバイ言うなんて、人間として何と無責任なんだ」という、この少年や少女たちの声に私たちはどう答えたらいいのでしょうか? この講演会場にいない人にこそ、私は声を上げ続けたい。ノックし続けたい。「あきらめない」と自分に言いたい。
東京オリンピック招致に使う費用をそのまま即時に福島に使うことを求めていきましょう。
絶望はいつだってできる。今は絶望なんてしない。後ずさりもしない。1ミリでも前に進む。おかしいことにはやっぱり「おかしい」と声を上げていく。それが、人であることを忘れてしまったこの国の、あの政権の中にいる人たちと、あまりにも長い間「原発安全神話」を流し続けた人々に対する、せめてもの私たちの人間としての復讐の形です。
お願いです。私も外に行って、まったく違う考えの人たちをノックし続けます。私たち一人ひとりが、今もって「原発安全神話」を生きている人たちをノックし続けましょう。
▼原発は「未来犯罪」
小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)
福島第一原発事故で、1号機2号機3号機は炉心が溶け落ちて、その炉心がどこにあるのかもわからない、どうしたらいいのかもわからないという中で、何次もの重層構造で下請けさせられる原発労働者たちが、今この瞬間も作業にあたっているという状態です。 4号機は事故当日運転はしていませんでした。それでも爆発して建物が吹き飛んでしまいましたし、未だに使用済み燃料プールという中に大量の放射性物質を抱えたまま、いつプールが落ちてしまうかもわからない困難な状況の中にあります。
2011年の暮れに当時首相だった野田さんが、事故の収束宣言などというものを出しましたけれど、残念ながら事故はまったく収束していないのです。今現在も危機は続いています。 運転中だった1号機2号機3号機は
溶けた炉心がどこにあるかもわからず、ただ、ひたすら水を入れ続けて冷やすしかないということを2年半にわたって今日までやってきました。
しかし、水を入れてしまえば汚染水があふれるのは当たり前なのであって、マスコミは最近になって「汚染水が大変だ」って言い始めたわけですが、私としては「なにをいまさら」と思いました。2011年3月11日から、
ずっと汚染水は流れ出ていたのです。これからも何十年もこうした作業を続けなければいけない困難なものなのです。
4号機は建屋が爆発し炉心の中にあった使用済み燃料も使用済み燃料プールというところに入れられていたのですが、そのプールが宙吊り状態になって今存在しています。そのプールの底には、広島原爆に換算すればおそらく
1万4千発ぐらいに相当する膨大な放射性物質が宙吊り状態のプールの中に眠っているのです。一刻も早く何とかしなければいけないのですが、いかんせん、何かをしようとすれば労働者が被曝をするしかないという状態の中で、今でも苦闘が続いています。
では今まで一体どれだけの放射性物質が環境に漏れてきたのでしょうか。国際的な原子力推進団体、原子力マフィアの一つの組織であるIAEAという組織があるのですが、その組織に日本政府が報告書を出しました。その報告書の中に大気中に放出したセシウム137という放射性物質の量が書き込まれています。その報告書の中で、当日運転中だった1号機から3号機を合わせると、
広島原爆の168発分をすでに大気中にばら撒いたと、日本国政府自身が言っているわけです。
しかし私はこの
数字は過小評価だと思っています。なぜかと言えばこの事故を引き起こした直接の責任は東京電力という会社にありますが、その東京電力に「お前のところの原子力発電所は安全だ」「安全性を確認した」といってお墨付きを与えたのは日本政府なのです。福島原発事故の重大な責任は日本政府にあるわけで、私は「責任」という言葉は甘いと思いますので、「犯罪」と呼ぶべきことを日本政府がやったことになります。犯罪者が自分の罪を重く申告する道理はないのです。犯罪者が自分の罪をできる限り軽く見せたいと思ってはじき出した数字がこの広島原爆の168発分ですから、おそらくこの2倍か3倍が大気中に放出されたと私は思います。 つまり、福島原発事故は、広島原爆が放出した放射性物質の400倍とか500倍をすでにまき散らしてしまった大変な事故なのです。
かつての戦争で日本は負けました。負けたけれども「国破れて山河あり」だった。国家なんていうものが負けたって、
大地があれば人々は生きられる。しかしもう
人々が生きることすらができない汚染地域ができてしまっているのです。戦争が起きたって、こんなひどいことは起きないということが、今もうすでに発生してしまっています。
そして、
福島県を中心に東北地方、関東地方にずっと広がり、群馬県の西部、宮城県の南部・北部、岩手県の一部、茨城県の南部、千葉県の北部、東京の一部も現在の法律に照らしあわせるのならば「
放射線管理区域」にしなければなりません。法律に照らしあわせるのならば普通のみなさんは入れないのです。私のようなごく特殊な人間だけが立ち入ってもいいと許されるのが放射線管理区域です。私は立ち入ることはできますが、その場所に立ち入った途端に水すら飲めなくなるというのが放射線管理区域です。それがこうした広さですでに生じてしまったということになりました。
1年間に1ミリシーベルト以上の被曝はしてはいけないし、させてもいけないという法律があったのです。放射線管理区域から何か物を持ちだすときには、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えているような汚染物は、どんな物でも持ち出してはいけないというのが法律で決まっていたのです。しかし先ほど紹介したような広い地域の多くが1平方メートル当たり6万ベクレルを超えてすでに汚れているのです。それも放射線管理区域の中で汚れた私の実験道具では無い、私の実験着でもない、「大地そのものが全部汚れてしまった」のです。
これに対して、日本という国は何をしたか? 私は先ほど犯罪者だと呼んだわけですけれども、その犯罪者の
日本政府は自分が決めた法律を一切反故にしてしまい、「
1ミリシーベルトなんていう基準はもう守れない、20ミリシーベルトの被曝までは我慢しろ」と言って「放射線管理区域の基準は超えているけれども、そこにみんな住め」ということにしてしまいました。今逃げている人に対しても、「
帰還しろ」、あるいは「
勝手に逃げるなら国は何にも知らない」というようなことを言っています。
そしていま彼らは、この原発事故をなかったことにしようとしています。日本ではこれまで58基の原子力発電所が作られてきました。その
すべては自民党政権が「安全性を確認した」として作ったのです。 その原子力発電所が事故を起こしているのに、いま
自民党政権は「安全性を確認して、いま止まっている原発を再稼働させる」と言っている。まさに正気の沙汰ではないと私は思います。さらに安倍さんは「
新しい原発をつくる」、そして「
海外に原発を輸出する」ということまで言っているわけです。
そしてそれをやるためには、「福島の原発の事故を忘れさせる」ということが彼らにとって必要になっているのだと思います。マスコミもそれに乗っているようですし、福島のニュースはどんどん少なくなってきて、被災者の方々がどれだけ苦しんでいるのかということについても、マスコミ報道はほとんどなされなくなってきていると思います。 そうであれば、私たちに必要なことは「
福島を忘れない」ということです。私もそうしたいと思いますし、今日この会場にいらっしゃって下さっている方はその思いでここに集まって来て下さっていると思います。これからも「福島を忘れない」ということでぜひともお願いしたいと思います。
私は原子力を研究する人間として、原子力は徹底的に危険だと思います。原発や核兵器などを作ってはいけません。加えて私が原子力に反対しているのは単に危険だからではありません。
原子力というのは他者の犠牲の上にしか成り立たないものです。他者の犠牲の上で、差別にもとづかなければ原子力は成り立たないものに私は反対しています。
もともと原子力発電所で働いている労働者の被曝は、9割以上は下請け孫請けの労働者が担ってきました。そこで事故が起きたら大変だということで、都会を離れて過疎地に原発を押し付けてきました。過疎地で事故が起きてしまえば、そこの人たちが本当に苦難のどん底に突き落とされて、そして事故の収束に行くのは下請け孫請けの労働者たちがまた被曝をさせられてしまうということになります。
仮に事故が起こらなくても、原子力を使ってしまう限りは、核分裂生成物という放射性物質を生み出してしまって、
その放射性物質を私たちが無毒化する力を持っていないのです。
100万年にもわたってどこかに隔離をしなければいけない。そんなことができる道理が無いのです。 私が死んでも、皆さんが死んでも、自民党政権なんて存在しなくなっても、無くならない
毒を残していくことになるのです。
いま私たちが原子力を選択することに対して、子どもたちには何の決定権もありません。何の決定権も持たない未来の子どもたちが毒物だけを押し付けられるということになります。「
未来犯罪」とでも呼ぶべきだと私は思います。
原子力というのは核です。核兵器そのものなのです。皆さんは原子力と核は違うものだと思い込まされてきたかもしれませんが、同じものなのです。 その
核を持つことが世界を支配するための力なのだと、自民党政権などは思っているわけですけれども、力の論理で平和が築けるはずはないのです。
そのことに気づかなければいけないと思うし、私たちは他の人々を犠牲にするという、そういう原子力、原子力的なものというものを捨てるということが必要なのだと思います。 自由と平和を守るということは大変難しい。自由や平和をつくっていくことも大変難しいことだと思います。日本国憲法の前文の初めの方にこう書いてあります。
「
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言」する。つまり、政府がバカなことをやらないように私たち国民がきちんとチェックして政府を監視するんだと、それを決意したというのが日本国憲法なのです。私たち一人ひとりがしっかりしなければならない。そうしなければ自由も平和もつくれない。また戦争になってしまうよということが憲法前文に書いてある。そして、こう書いてあります。
「
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
軍事力によってわれらの安全を保障しようというのではないのです。軍隊ではない、諸国民の公正と信義に信頼して、自分の安全を守ると決意したというのです。 これは大変なことなのです。簡単なことではない。とても大変なことを私たち国民が請け負うということを書いているのです。そしてこう書いています。
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
日本だけではないのです。一国平和主義でもないのです。世界中のすべての国の人々が平和のうちに生存する権利があるということを認め、世界全体を平和にするために自分たちは軍隊を捨てると言っているのです。 大変すばらしい憲法だと私は思います。なんとしてもこれを守るということも同時に考えています。
かつて戦争がありました。大本営の発表ばかりで、一般の人々はほとんど真実を聞かされませんでした。いつも戦争で勝っていると聞かされて、日本は神国だ。天皇陛下がいるから絶対に戦争は勝てると言われました。ほとんどの日本人は戦争は勝てるだろうと思い込まされた。そして中に
反対する人がいると、国家がその人たちを虐殺していくということをやったわけですし、それどころか住民自身がそういう人を村八分という形で虐殺していったという歴史もあるのです。
そんな歴史が一応は終わったけれども、その後で、「いや、悪かったのは軍部だ」と、「
俺たちはちゃんとしたところを聞かされなかったからこうなった」と言い訳をする人はたくさんいたと思います。でもそれで本当にいいのかと私は思います。
福島の事故が起きた今もそうです。今日この会場を埋め尽くして下さっている人たちにしても、福島の事故が起きるまでは原発がこれほどのものだということに気がつかないでこられた方は多いと思います。
もちろん原発は安全だと言って、マスコミすべてが安全だという宣伝を流してきたわけですから、普通の方々がそう思っても不思議ではありませんが、「だまされたから無罪だ」と言うのなら、またきっとだまされてしまいます。だまされたことに関しては、
だまされた責任があるだろうと思っています。
そして私たちは子どもたちから問われるのです。福島の事故が起きて以降、お前たちはどうやって生きたのか?と。憲法がいま危機に瀕しているときに、その憲法を守ろうとしている人たちももちろんいるけれども、「一人ひとりはどうやって生きたか」ということを必ず見られ、子どもたちから問われるだろうと思います。その問いにきちんと答えられるように私は生きたいと思います。
私もそうですし、皆さんもそうですけれども、人生はたった一度しか生きられません。人生は一度きりです。そのたった一度の人生ですから、
歴史と事実をしっかりと見つめて、だまされないように生きていきましょう。
▼福島に対する棄民政策
日本のふるさとを殺した原発
澤地久枝さん
福島のことは取り上げないことで、なかったことにしようと思っている、政治家・財界人・学者がいて、補償金などが予算から出ていたと思っていたら、福島のためには使われないで、いろいろなところの道路工事などに使われている。こんなバカにした話はありません。私自身、戦中戦後に、まさに棄民というものを味わいましたが、
日本の政治というのは常に棄民を繰り返し、福島に対しても棄民政策をとっています。
「原発は平和である。そして危険はない」と散々言ってきたにもかかわらず、2年半前にあの事故が起きた。そして私は「日本のふるさとを殺した」と思います。 いまさら取り返しがつかないとしたならば、まず原発は止めるということを、常識的なこととして決めなければ何にも進みません。
さんざん停電すると言って脅かしてきて、今年は東京だけではなく日本中がかつて知らないほどの猛暑となりクーラーがよく使われましたが、それでもどこかがそのために停電したという話はありません。停電すると言って脅かした人たちは何も言わないで知らん顔をしています。汚染水はどんどん出ているという状態で、原発は依然として何をするか分からない。
▼本当の悲劇は、ゆっくりとやってくる死スローデス
内橋克人さん
ナントカミクス。私はフルネームで言いません。ナントカミクスで株を少々上げてもらってアメをばらまきました。甘いアメの後に来るのはムチです。人々をひっぱたくムチ。人々を縛っていくムチです。 私たちは、この瞬間瞬間において現政権が採用している政治手法、駆使している政治手法を、見破らなければなりません。
「新しい原発安全神話」が作られようとしています。原発は止めるわけにいかないし、そのうちに科学技術が進歩して、原発は安全になる。世界でこれから原発がますます勢いを増してくる中で、私たちの国だけ原子力エネルギーを持たなくていいのか――こういう新しい原発安全神話が、猛々しく、しかし密かにメディアを通じて流されようとしています。
新たな2度目の原発安全神話に、私たちはしてやられてはなりません。
いま、小出先生がおっしゃいました。
20年後、30年後に、ゆっくりとやってくる死=スローデスに見舞われています。世界の専門家が指摘しているように「ゆっくりとやってくる
晩発性の死」の被害が広がる。福島原発事故の被害は、本当の悲劇は、10年、20年、30年経って、人間の体を蝕むということです。許すことはできません。このことをしっかりと申し上げて今日お集まりいただいた皆さんと心を同じくさせていただきたいと思います。
▼福島では今なお15万人超す人々が故郷を追われ、
自らの家を追われ、生業を追われ、家族を分断され、
地域のコミュニティを破壊され、そして原発事故関連死1,400人超
佐藤和良氏(いわき市議会議員)
福島では、今なお15万人を超す人々が故郷を追われ、自らの家を追われ、生業を追われ、家族を分断され、地域のコミュニティを破壊され、
原発事故関連死は福島県内で1,400人超という状況になっています。
この、累々たる無念の死に対して、
私たち生かされているものが、そして日々被曝させられている、被曝を強制されている私たちが、次に何をつないでいくのか? 命をつないでいくために何をしていけばいいのか? このことが問われていると思います。
高濃度汚染水の問題が大きな問題になっていますが、これこそ東京電力と国がいままでやってきた手口です。2年4カ月も認めず参院選が終わった翌日に垂れ流しを認める。彼らによれば汚染水はそこまでは出ていなかったとされ、
選挙に勝った途端に汚染水を海洋に流出させる、出しているということを認めました。
以来どうでしょうか。昨日までは「タンクから12リットル漏れていた」と言った次の日に、「いや、実は300トン漏れていた」。タンク1基から漏れていたと言っていたのに、1週間ほどすれば3基から漏れていた。生業を奪われて、津波で流されたがれきの撤去作業をやって日々つないできた、いわきの漁民たちが試験操業をやろうとした瞬間に、この高濃度汚染水の放出を認めるという事態になった。漁民たちが生業を奪われ、命をつないでいく、その心もへし折られようとしている。私たちはこのまま涙を飲むわけにはいきません。