ニュースの中で「福島県立福島高校の生徒ら13人が、初めて福島第一原発の廃炉作業を見学した」(2016年11月18日)というものがあります。18歳未満の高校生の入場を初めて受け入れたそうです。受け入れた東電もおかしいが高校生を連れて行った教諭も異常ですね。マスクもせずに2時間ほどバスで見学したという事です。
福島原発事故から北海道に逃げてきた人たちに聞くと、現地では危険地域だということが言い難い環境があると聞いたことがあります。現地で復興をしようとする人たちにとっては、危険だということを公に言うことが復興を遅らせると考えているのでしょう。それは政府が正しい情報を与えてないことと、将来の選択肢としてどこに移住しても健康と生活を補償する提案が無いからでしょう。お粗末な行政レベルですね・・・・
事故から丸5年が過ぎ、全く解決する様子はない中で、政府だけが何もなかったようなふりをして、住民を戻そうとしています。全く問題を解決する能力もなければ責任もない・・・・・しかし、国民ももっと真剣に問題認識を持たねばならないでしょう。
以下、現代ビジネスより転載します。
誰も語ろうとしない東日本大震災「復興政策」の大失敗
「やることはやった」で終わっていい問題ですか?
山下 祐介
この復興は失敗である
7月10日投開票の参議院議員選挙に向けて、安倍政権の政策検証が各メディアで行われている。とくに「アベノミクス」と「安全保障問題」に多くの人の関心はあるようだ。
その中で丸5年を超えた東日本大震災・福島第一原発事故の
復興政策については、世間の反応は実に穏やかに見える。すでに政府も集中復興期間を終え、やることはやったかのようであり、被災地もまた何かをあきらめてしまったかのようだ。
だが、本当はこう言わねばならない。
「この災害復興は失敗である」
それも単なる失敗ではない。
私たちが何年もかけて反省をし、もうこれ以上の失敗を重ねないよう議論をしつづけ、制度にまでのせようと努力していながら、
その反省を吹き飛ばすかのように最悪の結果を導いた、そのような失敗である。
この失敗の原因はどこにあるのか。何をどう問題視する必要があるのか。そのなかで震災時から災害の処理を担当してきた各政権をどのように見たらよいのか。9ヵ月後にはついに丸6年を迎えるこの微妙な時点で、あらためてこの震災復興の問題を考えてみたい。
津波被災地では、長大な沿岸に巨大防潮堤が延々と築かれている。だがこのまま建設をつづけても、その背後に住む人はほとんどいない、そういう事態を招きつつある。奇跡の一本松で有名な陸前高田でも、いったい
この盛り土の上に誰が住むのかという奇態な高台造成が進んでいる。漁業や観光で生業を営んでいた人々にとって、復興事業が――正確には復興の前提となる
防災事業が――復興の大きな障害になってしまった。被災地・被災者を応援するはずの
復興事業が地域を死の町へと誘っていく。
福島第一原発事故の被災地では、帰還政策が盛んに進められている。除染とインフラ整備が復興の基本であり、この地への早期帰還が目論まれているが、廃炉にまだ何十年もかかる被災地に、おいそれと人が戻れるわけがない。ましてそこで子育てなどできるわけはなく、
帰還政策は早期決着による賠償切りと
政府や東電の責任回避のためとみてほぼ間違いがない。
こんな政策で被害者の生活再建につながるわけはない。巨額な資金を投じながら、それらのほとんどが被災者たちのための復興ではないものに使われている。
一体何が起きているのか?
復興にかける時間を考える
現状批判をさらに続けよう。
本来、仮設住宅は3年が限界と言われてきた。これは、建物の限界ではもちろんない。むしろそこに暮らす人の限界、もっといえば社会の限界である。
「仮の暮らし」を続けるのにはやはり3年が限界、そして地域の復興も3年を超えれば難しくなり、
3年までにもとの地域を立て直し、なりわいを取り戻さなければならない。その限界が3年なのである。
にもかかわらず、なにか当たり前のように、
5年経ってもまだ復興の目処はつかず、多くの人が仮の暮らしのままにある。私はここで「復興を急げ」と言いたいのではない。こんな復興政策では、いくら急いだって復興はできない。もっと原点から考え直さなければならない。政策そのものを立て直さなければならないはずだ。今述べたのは津波被災地の実情である。原発事故災害の状況は、時間に関しては大きく違う。が、事態の根幹は同じようだ。
原発事故についても政府はその復興をやたらと急いでいる。単純にいえば、5年(ただし始まったのが津波被災地よりも遅いのでプラス1年で、事故発生から6年)で避難元へと
避難者を帰すという帰還政策が復興政策の柱だ。
だが事態の大きさや、原発事故という
災害の質から考えてそのような政策は無理である。帰還は簡単ではなく、すでに避難指示が解除された地域でも、まだほとんどの人が戻れていない。それは当然であり、ここでは帰還までに用意されている時間が短すぎるのである。
そもそも
廃炉に30年はかかり、40年でも実現可能かどうかというのが公式見解である。撒き散らされた放射性物質も、半減期の長いものでやはり30年。さらに
人々が気にするのは子どもたちへの影響であり、世代が一サイクルするのにやはり30年かかる。
しかもここでは自治体丸ごとの長期広域避難を余儀なくされ、
地域社会はまるっきり壊れてしまった。いったん崩壊した社会の再生にもやはり、30年程度の時間がかかる。原発事故災害の復興にかかる時間は、つまりは
最低限でも30年はかかるというべきだ。
事故から丸5年が過ぎた。少なくともあと25年はその事後処理をつづけなければならない。その覚悟が必要なのに、
なぜか6年を目処に復興を終了させようとしている。そして帰還しようとしない被害者に対し、「なぜ帰らないんだ」とのイライラさえ政府の間で募りはじめてきた。
例えば、朝日新聞2016年2月1日付では、自民党東日本大震災復興加速化本部の幹部の話として、「住宅提供があるから戻らない住民もいる。いつかはやめなければいけない」という声が拾われている。だがその前に正すべきは、この政策の失敗である。はじめからうまくいかない復興政策だから、誰も戻ろうとしないのである。政策の失敗を被災地/被災者に責任転嫁するのはやめるべきだ。
間違いのもとを正し、進むべき道筋をあらため、人々の声をよく聞き、着実な形で生活再建・地域の復興がなされるよう、慎重になすべきことを見極めなければならない。
大規模公共事業の否定と住民参加
今回の震災復興の失敗は、しばしば震災初期に掛け違えたボタンにたとえられる。
震災発生から1年ほどの
早い時期に、ボタンが間違えて掛けられてしまった。そして掛け違えたまま、間違った復興が急がされ、今日までつづいている。そのボタンを元に戻さないと、本当の復興には行き着かない。
むしろ進めれば進めるほど、
復興政策が、被災地の/被災者の復興を阻害する。間違った復興政策が復興を長期化し、長引く復興を急がせようとして、さらに事態をこじらせ、復興はもはや不可能な状態にまで陥ってしまった。
だがこの失敗がどうにも良く分からないのは、私たちがこの事態を予想できないものであったのなら、これもまた「想定外」の一つとして片付けることもやむなしというべきだが、どうもそうではないということだ。ここで起きていることは、今回震災が生じてはじめて気付いたというよりは、
すでに90年代後半に気づいていたはずだ。分かっているのにそうなってしまう――この構造が不気味なのだ。
私たちはすでに90年代にはこう議論してきた。私たちが直面している問題は、もはやこれまでのように巨大な土木事業では解決できない。むしろ
大規模な土木事業が環境を破壊し、私たちの暮らしを壊している。お金が使えるからといって、予算が付くからといって、無闇に土木事業を興すのはやめよう――。この反省がバブル崩壊後には、実際の政策にも移され、土木事業にはその必要性の説明が強く求められ、アセスメントが義務づけられ、巨大な事業は基本的には認められなくなっていた。
2000年代初頭の構造改革も、こうした思考を前提に進められたものであったはずだ。
加えて90年代以降は、こうしたことも常識になっていった。今後はどんなことでも住民の参加が必要である。上意下達で決めて、
下々の者は上の者に従えば良いと考える時代はもう終わった。民間の力を組み込み、官民共同で進めるべきである。
その民間の力をより多く引き出すために、98年のNPO法(特定非営利活動促進法)もつくられた。いまとなっては、そのきっかけが同じく時代を画した大震災(1995年阪神・淡路大震災)であったのも皮肉な話といえるかもしれない。
大規模土木事業による問題解決法の否定。そして上意下達の政策形成から、官民共同、住民参加を基本にした政策形成への転換。
90年代のこの転換は、例えば
平成9年(1997年)の河川法の改正などに現れている。それまでの治水と利水という、人間のための改変のみで自然に向き合うあり方を反省し、環境への配慮が河川法のもう一つの大きな柱として加えられた。そして人が暮らす環境を守ることで、人間自身にも優しい暮らしのあり方を取り戻そうとした。これが河川法改正の目的であり、事実ここから
「脱ダム」のようなことも政策として浮かび上がってきたのである。
そして同じく河川法改正のもう
一つの柱が住民参加であった。それまでは政府と省庁(とくに当時の建設省)で事業の内容を決め、実施されてきたものが、住民参加や協同を組み込むことの必要性が謳われた。それはまた、住民参加抜きで本当に住民のための政策はできないことを意味していた。そこに暮らす住民自身が参加し、汗をかき、協働することではじめて、より良い環境を手に入れることができるのである。
この河川法の考え方が、数年後の海岸法改正にも生かされていったのだから、今回の津波災害からの復興が、
大規模な土木事業を主体とし、住民参加を否定して、次々と巨大な構造物を作り続けるプロセスとして姿を現したことは、全く持って理解に苦しむ。
要するに、私たちは90年代までに反省し、2000年代にはその制度で運営を進めていたにもかかわらず、どこかでこうした動きへの反動・反発が起き、この震災では完全に古い体制を呼び戻して、誰にも止めれれない事態を作り出してしまったことになる。
相互無責任体制がもたらした失敗
しかしそれも、5年もやって
もはや復興政策として破綻しているのだから、もうこの道はあきらめ、別の方向へと転換すべきなのである。だがこの国は、何かが動き出すと、
これではダメだと分かっていても止められない。どうもそういう体質を持っているようだ。それどころか、それぞれの事態の起動には必ず誰かが関わっているはずなのに、その
責任の追及ができない。
いやそもそも誰がはじめたのか分からない構造にさえなっていて、事態の悪化が予測されても、その軌道修正を行うことを難しくしている。
相互に無責任なまま事態が進み、気がつけば取り返しのつかない場所へとはまり込んでいく。しかもそこに、色々な体面や面子さえ働いている。とくに原発事故についてはその傾向が強いようだ。東京オリンピックの誘致にあたって、安倍首相が福島第一原発についてとくに触れたことはまだ多くの人の記憶に残っているはずだ。
「原発事故の日本」というイメージを早く払拭したいという
海外に向けた体面が、帰還政策の根源にはありそうである。そこには、原発事故をいつまでも抱えていてはこの国の経済に悪影響が及びかねないという経済界の懸念もあるようだ。また、海外に向けた体面とともに、国内における被災自治体の立場にも触れておくべきかもしれない。事故から5年が経ち、
被災地ではこの復興を失敗だということは、面子としても難しい。
とくに福島県が「福島の安全」をことさら強調し、例えば風評被害の阻止に専心するのも、どこかで「安全だ」と言わねばならない難しい立場があるからだ。そこに現に暮らしがある以上、「今は心配ない」「不安に考える必要はない」と強調するのはおかしなことではない。だがこの被害は実害であり、そのこともまた認識しているから、「イチエフは止まってはいない」「フクシマは終わっていない」「福島の現実を知ってくれ」という主張も同時に行われている。
しかし
これに対して暮らしの安全性を強調し、福島の生産物への風評被害撲滅をことさら運動することは、結果として被災地の安全性までも肯定することにつながり、政府の帰還政策を正当化して、帰還しない人々はその安全宣言に逆らっているのだという論理にまで行き着きいてしまう。福島県や県民自身が、政府や東京電力の責任逃れを助長している面が否めない。
結局、復興と称して
多額の金をつぎ込みながら、現地復興には何ら寄与せず、被害者を守ることにさえ失敗し、大規模な土木事業を再開して、公共事業国家に先祖返りしてしまった。さらには、まさに原発事故が起きたことによって長らくの懸案であった放射性廃棄物の収容地が登場し、原発政策を整合的に動かしていく道筋がついに見えてきた――。
原発事故が原発政策を肯定し、完結させる。そういう形にまで事態は展開しそうである。
被災地・被災者のために始まったはずの
復興政策が、全く別の人々に恩恵を与える形で、当初の向きとはまったく違う方向へと早い時期に舵を切ってしまっている。こうした展開はしかし、だれかが描いたシナリオというよりはむしろ、
この国の無責任体制、それも
相互無責任体制がなし崩しに引き寄せたもののようである。
この国には、自らが行っていることに対する自己検証と、そこで起きていることへの責任追及が欠落するという恐るべき体質がある。
私たちがいま解き明かさねばならないのは、この体質だ。もちろんそれは文化に基づいてもいるので、容易に修正できないだけでなく、別の面では、この国の「くらしやすさ」、活力、統率力にもつながってきた可能性があるので、簡単に全てを否定はできない。
とはいえ、この復興に決着をつけるにあたっては、まずはこの体質を反省するところから論をはじめねばならないようだ。そのためにはやはり
目の前起きていることをしっかりと総括していく必要がある。
この復興政策の失敗を認めよう。失敗している政策をこれ以上進めるのはやめよう。失敗の責任を認めよう。その
責任の所在は、この国にある。しかし、この国の責任とは、政府や省庁もさることながら、
当然、国民自身にもその一端がある。相互無責任社会の責任は全体でとるしかない。
この国の「本当の課題」
それゆえ、この失敗を自民党安倍政権だけに押しつけるのは筋ではない。責任の大きな一端は現政権にあるが、それがすべてではない。今の復興政策の筋を書いたのは、当時の政権であった民主党である。震災発生時の2011年3月の政権は菅直人内閣であった。
そして、今では評判の悪いこの政権こそ、「想定外」の震災で「国家が吹っ飛ぶ」事態を目の当たりにして、避難を必死で誘導し、また津波被災地からの復興においても、減災を中心とした、自然と調和し、民間の力を尊重した復興をはじめていた政権だった(とくに東日本大震災復興構想会議)。
その方向性を大きく変え、90年代以前のやり方に引き戻したのは、2011年9月に総辞職した菅政権にかわって政権についた、同じ
民主党の野田内閣であり、安倍政権の復興政策はそれをそのまま引き継いだものともいえる。
野田佳彦首相が、震災時の財務大臣であったことには、この反動がいったい何を意味するのかを解く手がかりがあるような気がしてならないが、ともかくこの問題はどうも党派には関係ない。むしろ追求すべきは次のことだ。
いまの私たちが日々進めている政策形成過程には何か大きな欠陥がある。この欠陥を変えることこそが、私たちに課せられた大きな問題なのだ。そしてそのためには、
国民の国策への参与・共同がまずは不可欠であり、いまや国民の参画が次々と封じられつつある以上、このことは絶対的な条件というべきかもしれない。
またそこには、土木や原子力関係の科学が深く介在しているのだから、科学の積極的な政策参画が求められ、それも技術的な問題としてこれを解くのではない、人間科学的な視点が十分に参照される必要があるということだ。今回、被災地では、例えば気仙沼では早い時期に民間の力で大規模な勉強会が行われ(気仙沼市防潮堤を勉強する会)、各地では
巨大防潮堤を極力抑え、減災を組み込んだ等身大の対案が提案されてきた。
また原発避難対策については、帰還か移住かの二者択一から、第三の道としての超長期避難を提唱する学術の動きがあらわれ(「東日本大震災からの復興政策の改善についての提言」)、その学術的検討がさらに進められている。
これら住民や科学の動きに対して、政治や行政が頑なにその変更を阻んできた。
新しい考え方が生まれてきても、それを受け止める政治過程がない。それどころかここにきて、旧来の路線をさらに拡張するような、イノベーションやインバウンド、(
国内外の観光地域づくり体制)やCCRC(
継続介護付きリタイアメント・コミュニティ)など、
異様な政策だけが幅をきかせて次々と採用されている。
もはやいま起きているのは、震災・原発事故をきっかけとした政治・行政の「暴走」である。
全て政治と行政で解決できる、技術と予算で解決できるというやり方が、地方創生という形にまでエスカレートしつつある。震災と原発をきっかけにして、これまで抑圧されてきた体制に反動がおき、逆回りした歯車の回転が普通の力では止められないくらいに早く大きくなっている。
ある意味では
政府や官僚も含め、誰にもどうにもできなくなっており、心ある人たちはどうやったらこれを止められるのか苦悩しつつ、出口の見えない復興政策に付き従っている状態だ。震災をきっかけにして、私たちの
社会システム自体がコントロール不能に陥りつつある。
もはや今進めている復興政策は失敗なのだ。それどころかこのまま進めることは
この国の破滅にまでつながりかねない。政策転換を早く成し遂げることこそ、政権を担う人たちが果たすべき重大な責任になる。
国策の責任は政治家にある。そしてそれは選挙によってチェックされる。
私たちは選挙を通じて、そうした適切な判断ができる人物を選び、必要な変更を迫ることができる。
むろん選んだあとも、具体的な問題について、しっかりと意見を挙げ、事態を分析し、適切な作動が速やかに行われるよう要請していくことが必要だ。選ばれた政治家はこれらを適切に判断し、必要な決断を加えていく――。これがこの国を動かす基本的な設計図である。
逆に言えば、今の状態を招いた背景には、
政治家を選ぶ国民の側にも重大な欠陥があるのだ。選挙は人気投票ではない。まして国政は国民自身も担うのであって、選挙は政治家にすべてを委託する手続きではない。だが選挙で選べば、あとは何か起きても、国が「なんとかしてくれる」と国民は思っている。国民が政治に依存し、国家に頼り切っている。これは当の被災者・被害者においてもそうなのだ。
そして政治家や官僚たちは、この国民の「なんとかしてくれる」に一生懸命応えようとしたがゆえに、こんな事態を引き起こしたともいえる。なぜなら国家の力だけで、こんな巨大な災害・原発事故を処理することはできないからである。
本当の意味での復興はできない
この国はどうも、政治も国民も、そして行政も含め、本当のことを言い、本当の気持ちを伝え、本当に必要なことを一緒になってしっかりとやっていく能力に、大いに欠けているようだ。みなどこかで遠慮して、
本音を言わずにすましている。しかし裏ではぐずぐずと文句を言い、政府は国民を、国民は政府を馬鹿にもしているのである。
そして結局、声の大きい人に引っ張られて、やるべきでないことを容認し、そしてやったことが失敗すると、誰かに――それもたいていは
もっとも声の出せない弱者に――その責任を押しつけようとする。それもこれもすべて結局は、
他人任せの国民性に由来する。
この論の冒頭で「復興政策が失敗だ」というのはそういう意味である。まずは、
おかしいものはおかしいと言えなければ、私たちはこの国を守ることはできない。この国の平和は維持できないし、自然との共生もできない。持続可能な国家はありえない。
もっと落ち着いて事態を見据え、誤った政策を改め、本当に必要なことができるように、この国の政策形成過程をこの際しっかりと立て直すべきだ。東日本大震災は、こうした日本という国がもつ、もっとも異様な姿が表に現れた災害だったというべきかもしれない。津波そのものは自然のことであり、これはただ受け入れるしかない。
それに対し、本来避けられたはずの原発事故が起きたのは、この国の歪みを具現化した象徴的な出来事であった。だが本当に異様なのは、その後の過程である。この復興の失敗は避けられたはずだ。作動を誤って、
私たちはこの震災を受けた衝撃以上のものにしてしまった。
この震災・原発事故は、近く復興を終了するどころか、これから
さらに大きな展開を見せることになるだろう。今はまだ小康状態にすぎない。この震災も原発事故もまだ終わっていない。むしろ問題はこの5年で大きく拡がり、今後事態はますます複雑化していくはずだ。
東日本大震災からの復興過程には、この国の危うさが現れている。しかも、その危うさに多くの人が気づかないでいたり、あるいは気づいていたりしてもあえて問わずにいることに本当の問題がある。このままでは本当にまずい、と心から憂える。
2011年3月11日から6年目に入った。この復興政策で本当に現地の再建はなしうるのかと、メディアは問題にする。だがもうすでに5年が経過しているのだ。もはや
本当の意味での復興はできないというべきだ。
この復興政策は失敗だ。
そこからスタートすべきである。
その認識の上で、根本から政策のあり方を見直して、今からでもよい、可能な復興のあり方を再構築し直し、また今後こうした失敗が二度と起きないよう、何がこうした事態を引き起こしたのか、
十分な検証が行われることを望む。
そしてそれはやはり選挙がどういう形で行われるか、その結果、政治の布陣がどうかわるかに大きくかかっている。私たちはなかなか変わられない。
しかし選挙はそれを変える重要な機会なのである。どんな立場の人であれ、
この国の政策形成過程に問題を感じ、それを正すような抜本的な改革に取り組む人にこの国の主権を委ねるようでありたい。それは国民にも相応の負担をもとめるものであるはずだ。
優しいことを言い、依存を助長する人こそ疑うべきだ。むしろ私たちの政治に向き合う姿勢の危うさに厳しく釘をさす人こそが、実は国民の本当の声に応える人なのである。
山下祐介(やました・ゆうすけ)
首都大学東京准教授。1969年生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。弘前大学准教授などを経て、現職。専攻は都市社会学、地域社会学、環境社会学。著書に『限界集落の真実』『東北発の震災論』『地方消滅の罠』(ともにちくま新書)。共著に『人間なき復興』『「辺境」からはじまる』『原発避難論』(ともに明石書店)ほか。