ドリームピックのウクレレ日記

ウクレレとヨットの大好きな「お腹の大きなオヤジさま」
dreampicのウクレレ日記。

鎌倉、日米海底通信の史跡

2012年12月02日 17時41分30秒 | こだわりの品
今日はゆっくりと起きて、のんびり午前中を過ごした。ブランチで10時ころ
昨日の天ぷらを煮て、玉子でとじたのをおかずにした。
昼ころマッチからメール。江ノ島に行っているとのことで、来る人はいないか
探しているが、まったりしてた小生は出かける踏ん切りがつかないので、行くか
どうか分からないと返信。

午後になって、のんびりと出かける準備をして、自転車に跨る。
旧鎌倉電話局(現NTT鎌倉)の前で、今まで気が付かなかった石碑に気付く。
「日米海底通信の史跡」という碑文の青銅が、かなり古いが読み取れる。
その台座の横に「日米海底通信の沿革」という青銅板が、これはかなり腐食
が進んでいる場所もあって読みにくいが…


明治39年 8月 1日 川崎を陸揚地として通信開始
明治39年12月14日 東京越中島に陸揚地変更
昭和 6年 5月16日 鎌倉に陸揚地変更 海底電信中継所設置
昭和18年 4月30日 鎌倉電信中継●●止 日米海底通信●止

と読めた。
こうなると、江ノ島には行かないで、調べモノをしなくてはなるまい。
一応、海岸まで行って写真を少し撮るが、寒さもなんのそので海には一杯の
ウインドサーファー。あまり風はなくて、初心者には丁度いい練習日和だ。

家に戻る。ネットで日米海底通信の史跡、を検索すると。いろいろ出て来ました。
なんと、僕らバンドの練習開始の地「ゆかり荘」が、上記「鎌倉海底通信中継所」
の跡地だったということ、そのゆかり荘の庭に、この碑も設置されていたものと
分かった。
2007年5月に「ゆかり荘」が無くなったが、その時の様子を新聞記者の
ブログで紹介していた。「ビギナーズ鎌倉
ついでに、僕らの「ゆかり荘」お別れ会はここ「MWG第6回公演

このほかにも、いくつかこの記念碑に関することが書いてあるHPを見させて
貰いました。なんとも凄い時代になったものです。
これだけ調べるのに、訳もなく時間もかからず(まあ図書館行くよりもという意味)
なんとか出来ちゃうのだから。

と言う訳で、ゆかり荘に縁(ゆかり)の記念碑が、今はNTT鎌倉ビル前に設置
してあるということを知りました。今日は寒くてゆっくり見れませんでしたが
こんどはもっと暖かくなってから、見にいこうかな。

海岸では、あまりに寒いので、沖の船が浮き上がって見える蜃気楼現象が観察
できました。12月に入ったという実感。
滑川河口の電線に上に、海鵜が4羽。寒々ととまっていました。



コメント
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