今日はゆっくりと起きて、のんびり午前中を過ごした。ブランチで10時ころ
昨日の天ぷらを煮て、玉子でとじたのをおかずにした。
昼ころマッチからメール。江ノ島に行っているとのことで、来る人はいないか
探しているが、まったりしてた小生は出かける踏ん切りがつかないので、行くか
どうか分からないと返信。
午後になって、のんびりと出かける準備をして、自転車に跨る。
旧鎌倉電話局(現NTT鎌倉)の前で、今まで気が付かなかった石碑に気付く。
「日米海底通信の史跡」という碑文の青銅が、かなり古いが読み取れる。
その台座の横に「日米海底通信の沿革」という青銅板が、これはかなり腐食
が進んでいる場所もあって読みにくいが…
明治39年 8月 1日 川崎を陸揚地として通信開始
明治39年12月14日 東京越中島に陸揚地変更
昭和 6年 5月16日 鎌倉に陸揚地変更 海底電信中継所設置
昭和18年 4月30日 鎌倉電信中継●●止 日米海底通信●止
と読めた。
こうなると、江ノ島には行かないで、調べモノをしなくてはなるまい。
一応、海岸まで行って写真を少し撮るが、寒さもなんのそので海には一杯の
ウインドサーファー。あまり風はなくて、初心者には丁度いい練習日和だ。
家に戻る。ネットで日米海底通信の史跡、を検索すると。いろいろ出て来ました。
なんと、僕らバンドの練習開始の地「ゆかり荘」が、上記「鎌倉海底通信中継所」
の跡地だったということ、そのゆかり荘の庭に、この碑も設置されていたものと
分かった。
2007年5月に「ゆかり荘」が無くなったが、その時の様子を新聞記者の
ブログで紹介していた。「ビギナーズ鎌倉」
ついでに、僕らの「ゆかり荘」お別れ会はここ「MWG第6回公演」
このほかにも、いくつかこの記念碑に関することが書いてあるHPを見させて
貰いました。なんとも凄い時代になったものです。
これだけ調べるのに、訳もなく時間もかからず(まあ図書館行くよりもという意味)
なんとか出来ちゃうのだから。
と言う訳で、ゆかり荘に縁(ゆかり)の記念碑が、今はNTT鎌倉ビル前に設置
してあるということを知りました。今日は寒くてゆっくり見れませんでしたが
こんどはもっと暖かくなってから、見にいこうかな。
海岸では、あまりに寒いので、沖の船が浮き上がって見える蜃気楼現象が観察
できました。12月に入ったという実感。
滑川河口の電線に上に、海鵜が4羽。寒々ととまっていました。
昨日の天ぷらを煮て、玉子でとじたのをおかずにした。
昼ころマッチからメール。江ノ島に行っているとのことで、来る人はいないか
探しているが、まったりしてた小生は出かける踏ん切りがつかないので、行くか
どうか分からないと返信。
午後になって、のんびりと出かける準備をして、自転車に跨る。
旧鎌倉電話局(現NTT鎌倉)の前で、今まで気が付かなかった石碑に気付く。
「日米海底通信の史跡」という碑文の青銅が、かなり古いが読み取れる。
その台座の横に「日米海底通信の沿革」という青銅板が、これはかなり腐食
が進んでいる場所もあって読みにくいが…
明治39年 8月 1日 川崎を陸揚地として通信開始
明治39年12月14日 東京越中島に陸揚地変更
昭和 6年 5月16日 鎌倉に陸揚地変更 海底電信中継所設置
昭和18年 4月30日 鎌倉電信中継●●止 日米海底通信●止
と読めた。
こうなると、江ノ島には行かないで、調べモノをしなくてはなるまい。
一応、海岸まで行って写真を少し撮るが、寒さもなんのそので海には一杯の
ウインドサーファー。あまり風はなくて、初心者には丁度いい練習日和だ。
家に戻る。ネットで日米海底通信の史跡、を検索すると。いろいろ出て来ました。
なんと、僕らバンドの練習開始の地「ゆかり荘」が、上記「鎌倉海底通信中継所」
の跡地だったということ、そのゆかり荘の庭に、この碑も設置されていたものと
分かった。
2007年5月に「ゆかり荘」が無くなったが、その時の様子を新聞記者の
ブログで紹介していた。「ビギナーズ鎌倉」
ついでに、僕らの「ゆかり荘」お別れ会はここ「MWG第6回公演」
このほかにも、いくつかこの記念碑に関することが書いてあるHPを見させて
貰いました。なんとも凄い時代になったものです。
これだけ調べるのに、訳もなく時間もかからず(まあ図書館行くよりもという意味)
なんとか出来ちゃうのだから。
と言う訳で、ゆかり荘に縁(ゆかり)の記念碑が、今はNTT鎌倉ビル前に設置
してあるということを知りました。今日は寒くてゆっくり見れませんでしたが
こんどはもっと暖かくなってから、見にいこうかな。
海岸では、あまりに寒いので、沖の船が浮き上がって見える蜃気楼現象が観察
できました。12月に入ったという実感。
滑川河口の電線に上に、海鵜が4羽。寒々ととまっていました。