新年を迎えました。
我が家は昨年家人の母親が亡くなって喪中ですので、新年を寿ぐというよりは静かに新年を迎えました。
とはいえ、大みそかは我が国の年末恒例の紅白歌合戦を見切って、ゆく年くる年まで。そしてお風呂に
入って、ウクレレを弾いているうちに新年を迎えました。
本当に毎年変わらない年越しでした。
今年は酉年、私は五回目の年男ということは、還暦ということで、ある意味これも良き印。
60歳を迎える年ですから、今の会社でも退職を迎えることになる年です。昨今は60歳で退職しても
年金が出るわけではない訳で、65歳まで働く必要があるので、その期間の雇用を企業に求めており、
企業もそれに応えているのですが、私は60歳で今の仕事はやめにして、自分のやりたいことをする
つもりです。
幸い家人もそれを理解してくれており、私自身もそのための準備をしてきているし、娘も3月には
大学を卒業するし、なんとか来年度一杯でサラリーマンには幕を引いて、次の人生を歩こうかと
考えているところです。そういう風に上手いこと行かない可能性もありますが、今年の年末には
目処をつけたいものだと思っております。
ひとつには、このままで65歳まで働いたら、そこで体力的にボロボロになってしまうという危機感が
あることです。そんなに時間があるとは思えないのです。法人営業時代にユーザーの某医科大学の事務長氏に
言われた「貴方の年代は長生きしない」という言葉が、結構頭にこびりついておりますので、そんなに
時間がないと自己暗示にかかっているのかもしれませんが。でもまあ、そろそろ好きなことをして過ごしても
いいのではないかと…。
元旦は快晴で夜明け前に目が覚め、ベランダでご来光を眺め、もう一度ベッドに戻ってひと眠り。8時頃に
起き出してみると家人は元旦の朝食の支度をしていた。屠蘇器を出し、盃の用意をする。元旦ばかりは
日頃私の飲酒に目を三角にしている家人も、文句は言わない。元旦の朝食は、庭の見える床の間のある
部屋のおおきなテーブルと決まっている。ゆっくりとそこで家人、娘と朝食を食べて、私だけ市川の両親の
家に向かいます。家人の母親の喪中なので今年は私だけで年始の挨拶です。

我が家は昨年家人の母親が亡くなって喪中ですので、新年を寿ぐというよりは静かに新年を迎えました。
とはいえ、大みそかは我が国の年末恒例の紅白歌合戦を見切って、ゆく年くる年まで。そしてお風呂に
入って、ウクレレを弾いているうちに新年を迎えました。
本当に毎年変わらない年越しでした。
今年は酉年、私は五回目の年男ということは、還暦ということで、ある意味これも良き印。
60歳を迎える年ですから、今の会社でも退職を迎えることになる年です。昨今は60歳で退職しても
年金が出るわけではない訳で、65歳まで働く必要があるので、その期間の雇用を企業に求めており、
企業もそれに応えているのですが、私は60歳で今の仕事はやめにして、自分のやりたいことをする
つもりです。
幸い家人もそれを理解してくれており、私自身もそのための準備をしてきているし、娘も3月には
大学を卒業するし、なんとか来年度一杯でサラリーマンには幕を引いて、次の人生を歩こうかと
考えているところです。そういう風に上手いこと行かない可能性もありますが、今年の年末には
目処をつけたいものだと思っております。
ひとつには、このままで65歳まで働いたら、そこで体力的にボロボロになってしまうという危機感が
あることです。そんなに時間があるとは思えないのです。法人営業時代にユーザーの某医科大学の事務長氏に
言われた「貴方の年代は長生きしない」という言葉が、結構頭にこびりついておりますので、そんなに
時間がないと自己暗示にかかっているのかもしれませんが。でもまあ、そろそろ好きなことをして過ごしても
いいのではないかと…。
元旦は快晴で夜明け前に目が覚め、ベランダでご来光を眺め、もう一度ベッドに戻ってひと眠り。8時頃に
起き出してみると家人は元旦の朝食の支度をしていた。屠蘇器を出し、盃の用意をする。元旦ばかりは
日頃私の飲酒に目を三角にしている家人も、文句は言わない。元旦の朝食は、庭の見える床の間のある
部屋のおおきなテーブルと決まっている。ゆっくりとそこで家人、娘と朝食を食べて、私だけ市川の両親の
家に向かいます。家人の母親の喪中なので今年は私だけで年始の挨拶です。








