9日はN社のヨット部の創立者で我々の尊師である“卓さん”の命日。
毎年、新橋の中華の名店「たから」で集まっていたが、去年「たから」は店じまい。
代わってM橋編集長が「ニュー加賀屋」を予約してくれた。
新橋は去年の3月まで通っていた場所だから、そういう意味でも懐かしい場所でもあり
ヨット部のメンバーと知り合ってからも何かというと集まってきた場所だ。
集まったのは、卓さん亡き今はヨット部の最重鎮であるMT氏、YachtingのM橋編集長、
我らE.B.CのT.O会長、卓さんのS&Bでの同僚でスキーのBRJさん、ヨット
部の元監督トミー、ウクレレ楽団MWGにして世界選手権4位のダイゴローさん、
MT氏が太陽なら自分は月だと豪語するE.B.C漁労長のあにい、そしてこのメンバー
に一番最後に加わった最年少の私。私が最年少で唯一の五十歳代というのも、何と言うか
凄い集まりだよね。私を除き、みんな六十歳代という歳なんです。
逆時計回りにみんな順番で卓さんの思い出を語るMCが来るという趣向で、それぞれに
思い出を語り、酒も進みます。MCとともに酔いも回ります。さらに、誰と言う事も無く
全国の卓さんとヨット縁(ゆかり)の人たちに電話をかけて、その電話をメンバーに
回します。私は、名古屋のK澄選手と北海道の山ちゃん、関西ヨット部元監督のM崎さん
と話をしました。
加賀屋で話が済むはずもなく、MT氏も恐らく翌日は仕事を入れて無かったのでしょう
新橋と言えば、屋台のケーシー麺とターミー麺を仕上げに頼むガード下のような店に
入ります。なんと懐かしい店でしょうか。ここはまだ戦後の雰囲気を残した路地で
ドリームピックのころに初めてMT氏に連れて来られた場所。
メンバーはMT氏、あにい、ダイゴローさんと私の四名だったようですね。
お酒は医者に止められている、と今の会社では吞み会をことごとく断っているのに、
二日酔になるほど呑んだようです。
ピータン 腸詰 ケーシー麺 ターミー麺
毎年、新橋の中華の名店「たから」で集まっていたが、去年「たから」は店じまい。
代わってM橋編集長が「ニュー加賀屋」を予約してくれた。
新橋は去年の3月まで通っていた場所だから、そういう意味でも懐かしい場所でもあり
ヨット部のメンバーと知り合ってからも何かというと集まってきた場所だ。
集まったのは、卓さん亡き今はヨット部の最重鎮であるMT氏、YachtingのM橋編集長、
我らE.B.CのT.O会長、卓さんのS&Bでの同僚でスキーのBRJさん、ヨット
部の元監督トミー、ウクレレ楽団MWGにして世界選手権4位のダイゴローさん、
MT氏が太陽なら自分は月だと豪語するE.B.C漁労長のあにい、そしてこのメンバー
に一番最後に加わった最年少の私。私が最年少で唯一の五十歳代というのも、何と言うか
凄い集まりだよね。私を除き、みんな六十歳代という歳なんです。
逆時計回りにみんな順番で卓さんの思い出を語るMCが来るという趣向で、それぞれに
思い出を語り、酒も進みます。MCとともに酔いも回ります。さらに、誰と言う事も無く
全国の卓さんとヨット縁(ゆかり)の人たちに電話をかけて、その電話をメンバーに
回します。私は、名古屋のK澄選手と北海道の山ちゃん、関西ヨット部元監督のM崎さん
と話をしました。
加賀屋で話が済むはずもなく、MT氏も恐らく翌日は仕事を入れて無かったのでしょう
新橋と言えば、屋台のケーシー麺とターミー麺を仕上げに頼むガード下のような店に
入ります。なんと懐かしい店でしょうか。ここはまだ戦後の雰囲気を残した路地で
ドリームピックのころに初めてMT氏に連れて来られた場所。
メンバーはMT氏、あにい、ダイゴローさんと私の四名だったようですね。
お酒は医者に止められている、と今の会社では吞み会をことごとく断っているのに、
二日酔になるほど呑んだようです。
ピータン 腸詰 ケーシー麺 ターミー麺