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「自分らしさって?」★ショルティのブルックナー5番

2006年05月17日 23時12分00秒 | 巻七 ブルックナーが私に語ること
自分らしさってなんだろう。
知ってる?
誰が決めている?
たぶん、自分では制御できない、んだ。

無難に仕事している自分。
善人ぶっている自分。
機械的応答に終始する(してしまう)自分。
求めているのに拒絶する二律背反な自分。
さほど明朗でも快活でもない、自分。
そんなイメージを自ら呼び込み
そして増幅され 拡大再生産。

誰の期待値で自分は生きているのか。
ひとつだけ言えるのは
「自分らしく」など、自分で任意に選択できる生き方ではないということ。
「らしさ」は結局、
他の善意の第三者(もしくは悪意溢れた第三者)によって
無残にも規定されていくに過ぎない、という
残酷な事実だ。


---------- キリトリ -----------

ブルックナーの交響曲第5番を、
ショルティ指揮シカゴ交響楽団で聴く。

今朝、通勤の車中で聴いた。

ブルックナーらしく、ない。
この自分が「規定」しているブルックナーではない。
でも、これもブルックナーなのだ。
ブルックナー本人がどう意図していようと、
彼自身に「彼らしさ」を制定する権限など一切無い。

ショルティ&CSOの演奏に付き物のフレーズだが、
とても筋肉質というか、隙も無く。
たとえて言うなら、
一切の瑕疵なく構築された建造物。
ヨッフムのそれが、粗野ともいえる風景を時に見せてくれるのとは対照的に。
粗野は言い過ぎか。

だからショルティの5番は、
聴いていて息つくいとまが無い。
それが心地よいという気持ちも、最近わかる気がしてきた。
何しろ、第2楽章のアダージョは殊のほか美しかったりするのだから。
それでも、
憎らしくなるほどの完璧性というものに対し
一種近づきがたい感覚が生じるのも確かだ。


---------- キリトリ -----------

ブルックナーらしさ。
その凝り固まった自分のイメージを
完膚なきまでに絨毯爆撃してくれる演奏を
聴くのも時には良いことなんデスね。(のだめ風)

---------- キリトリ -----------

それにしても最後にヒトコト。
この演奏のティンパニー。
録音のせいなのかなんのか、
ロールの音粒があまりにはっきり聴こえすぎ。
ドルルルルルルル…のところが
コロコロコロコロ…と。
この興ざめが無ければ、
もっとこの5番を愛せたかも知れない。

自分らしくない自分をあなたが愛せた可能性があるのと同様に。


ブルックナー:交響曲全集
サー=ゲオルグ=ショルティ指揮
シカゴ交響楽団


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2 コメント

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愛ねぇ…暗いねぇ…那覇Tomジーク・ジオン!! (鬱男)
2006-05-19 22:41:26
クラシック、正直まったくわかりません。

お酒で言えばワインのよう。

高くても安くても、あんまり違いがわからない。

でも、クラシックに興味を持つことも。

…たいてい女絡み。

以上、ヤニ&漢臭い監獄のような部屋より。ノシ
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いつもありがとうございます。 ()
2006-05-20 07:44:17
自分も、クラシックをわかっている訳では全然ありません。理屈抜きで好きなだけ。

酒でいえば、ウィスキーも焼酎もビールも好きだけど、

銘柄とか製法などは知らない。こだわらない。

好きという感情の前では、一切の理屈は二の次なのかもしれません。

恋愛にも通ずる?(笑)



早く監獄から釈放されますように。
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