約6年ぶりに生で聴く、ショスタコーヴィチの第10番。
6年前も書いたが、残り少ない生涯であと何回この曲の実演に触れることができるのかな。
いや、ショスタコーヴィチの音楽自体、あと何回聴くことができるのだろうか。
そう考えるとやや緊張する。
好きな曲とよく聴く曲って、明らかに違うよね。
特にクラシックの大曲だと、聴く時間自体確保するのが容易ではない。
そんなことも踏まえて言えば、大好きな音楽の一番手はこのショスタコーヴィチの交響曲第10番だと断言できる。
この愛すべき音楽を地元で聴くことができるのは実は幸せなことなのかもしれない。
ありがとう仙台フィルさん。
カラヤン仕込み、という高関さんの10番。
どこがカラヤンっぽいのか、愚かな私にはわからない。
そこに気付ける人が羨ましい。
それは兎も角、御世辞も贔屓目も抜きで、最上級の感銘を受けた。
きっちりかっちり、曲の構造が目の前で解き明かされた感覚。
やはり、生はいいね。
集中して聴けるから、例のDSCH音型が第3楽章の中盤以降執拗に繰り返される様が実感出来る。
ドミトリー・ドミトリーヴィチさんはいったいぜんたいこの音楽でどんなことを語りたかったのだろうか。
何回触れてもわからない。
実際演奏したこともあるが、わからない。
生演奏のよいところ。
打楽器群の動きが、たのしい。
あの頃の自分たちに重ね合わせてしまうのは仕方ない。
レベルは全然異なるけど。
緊張感がよみがえるのだ。
そんな想い出補正もありつつ、でもやっぱり素敵な演奏会だったな。
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