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祭りのあとの朝
ライブ中継より拝借
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13M先の御幣を手にするために 若者は必死によじる 竹のしなりに苦戦しながら
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街中は熱気に包まれる。
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海の守り神を祀る和霊神社親しみを込めて和霊様と呼んでいる。
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3体の神輿に護られて
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和霊様の前を流れる須賀川で禊ぎをする。和霊様に掛かる御幸橋
7月24日
和霊様も今日が最終日 走り込みである。
毎年のように出掛けていたが夫が杖を突くようになってから街に出かけても
祭りを直に観ること無く日の暮れまでには帰るようになった。
毎年同じ事の繰り返しであっても皆はこの時を待っている。
祭りの始まりは伊達政宗の子秀宗が宇和島藩主になると山家清兵衛(やんべせいべい)は付き人となり
仙台藩より家族連れで宇和島に来た。全てにたけた清兵衛に反対する者が生まれ
秀宗の命を受けた刺客が山家一族を襲い惨殺 後に相次いだ不幸が山家一族の祟りと思った2代藩主宗利が
武士や町人達と共に和霊神社を建立山家清兵衛を祭神とした。 海の神様でもある。
23日には日中牛鬼が街中を練り歩き大きい牛鬼に至っては600㎏の重さがあり
骨組みは竹を用いている 30人の担ぎ手で担がれた何体もの牛鬼が街を練り歩く。
地区の祭りにも大小様々な牛鬼がおり祭りに牛鬼は欠かせない物になっている。
和霊様から3体の神輿が港まで担がれて夕刻花火の合図と共に港から船に乗せられ(船渡御)
和霊神社の前を流れる須賀川に担ぎ手共々神輿3体が川に入る。
須賀川は汽水域 潮の影響を大きく受けるためその年によっては川の水深が異なってくる
今年は大人の肩くらい有ったようだ 13Mの竹の先に御幣を括り付け若者がよじる。
和霊大祭の終わりは暑い夏の始まりでもある。
凄いですね。
あんな細い竹の棒をよじ登るんですから
僕には到底無理な技ですね!
昨年は嫁の従兄弟が一番手で登りましたが
もう少しの所で敢え無く断念
巨体の持ち主よりは身軽な方が良いようです。
竹はシナルシ大変らしいですよ。
凄い気迫に満ちたお祭りですね。
その熱気が写真からも伝わってきます。
最近いろんなお祭りが中止になっています。
お祭りすることによって、地域の歴史が継承されるのはいいですね。なんでも簡単に楽にとコロナ禍以降なってきてしまいましたる
この日のために準備をして。
ライブ中継中昔の祭り風景が流され
網元だった義母の兄の船が写されていました。
神輿を載せるのです。
その船に乗って海辺の町湾内を一周してお嫁入りしました。
懐かしく思いながら ノンビリとしていましたね~。
後継者不足からお祭りも簡素化されてきましたね。
でも和霊大祭は宇和島にとっての宝です。