去った金曜日に那覇市の栄町市場付近にある
ハーベスト・ムーンへフルート持参で遊びに行った
その日は洋子さんとエリザさんのボーカル、
宮崎 義也さんのピアノ、ベースは誰だったかわからない。
店専属のベーシスト江洲 章さんが遊びにいらしていた。
お客さんもいっぱいでいれかわりたちかわりで
この日は繁盛していた
ママさんは持病の喘息でお休みしていた。
そこで軽くウォッカトニックを一杯注文し
チェイサーをたくさん飲んで酔いを醒ましていた。
ボーカルが歌ったあとにピアノ、ベースと一緒に
数曲演奏した。
久しぶりに生で人と合わせた
グルーブ感を出せた、それは自宅の個人練習では
出せないものだった。
朝3時からコールセンターでの仕事が控えていたので
2時過ぎに店を出て、友人の尚子さんに車で送ってもらった。
尚子さんもフルート・プレイヤーで、一緒に演奏して
いただいた。
尚子さんとは私の自宅や、那覇メインプレイス、瀬長島などで
何度かお会いしていて、とても気さくに話をしてくれる。
彼女は土曜の夜に天妃で演奏していて、ハローウィンには仮装して
来てください、とお誘いを受けた。
仮装するかどうかは別として、いつか天妃にも楽器を持って
遊びに行ってみたいと思うのだけれど、でも・・・。
なぜか、天妃にいくといつも緊張してしまう。
なぜなのだろうか?くつろげないというか。
居心地が良くないというのか。
妙に構えてしまうのだった。それで気疲れするというか。
どんな人がいるのかまるでわからないからなのかもしれない。
常連というほどではないし、年に2,3回行く程度だから。
わたしの人見知りがはげしいのも、なんとかならないものか
とは、思うものの。なんとかは、ならない。
今日の昼は、「あごら」という精神科の患者が集う喫茶店へ行った。
首里の桃原農園があったところの向かいにある。
そこで互いに同じ持病の話などをして、話を聞いてもらう。
持病の統合失調症を治す薬がない、それで私の寿命が50代くらいに
縮まったこと、そして、それを受容したということ、
あとは、日本社会のことについて。
ダークな方向へ向かうわたしの考えすぎなところに、マスターは
半ばあきれて?私の話を聞いていたのであるが、
開き直れて良かったですね、と一言、私にそう言った。
そうだね、なるようにしかならないんだから。といって私は笑った。
あと余命10年ないし15年くらいしかないから
好きなことをしてから死ぬことにした。(笑)
なぜかはしらないけれど、あまり悲壮感というものがなく、
自己憐憫の感情がない。あっさりとしたもの。
医者にやつあたりなんかしてはいけない、ただ薬がないという
だけなのだし、現代の医学では治せないものであるから。
それはしょうがない。病気になったのも私のせいではない。
ただ、なってしまったってだけ。
そんな話を小1時間くらいして店を後にする。
なんかスッキリした。
愚痴みたいなものだけど、わかってくれる人がいるのはうれしい。
ハーベスト・ムーンへフルート持参で遊びに行った
その日は洋子さんとエリザさんのボーカル、
宮崎 義也さんのピアノ、ベースは誰だったかわからない。
店専属のベーシスト江洲 章さんが遊びにいらしていた。
お客さんもいっぱいでいれかわりたちかわりで
この日は繁盛していた
ママさんは持病の喘息でお休みしていた。
そこで軽くウォッカトニックを一杯注文し
チェイサーをたくさん飲んで酔いを醒ましていた。
ボーカルが歌ったあとにピアノ、ベースと一緒に
数曲演奏した。
久しぶりに生で人と合わせた
グルーブ感を出せた、それは自宅の個人練習では
出せないものだった。
朝3時からコールセンターでの仕事が控えていたので
2時過ぎに店を出て、友人の尚子さんに車で送ってもらった。
尚子さんもフルート・プレイヤーで、一緒に演奏して
いただいた。
尚子さんとは私の自宅や、那覇メインプレイス、瀬長島などで
何度かお会いしていて、とても気さくに話をしてくれる。
彼女は土曜の夜に天妃で演奏していて、ハローウィンには仮装して
来てください、とお誘いを受けた。
仮装するかどうかは別として、いつか天妃にも楽器を持って
遊びに行ってみたいと思うのだけれど、でも・・・。
なぜか、天妃にいくといつも緊張してしまう。
なぜなのだろうか?くつろげないというか。
居心地が良くないというのか。
妙に構えてしまうのだった。それで気疲れするというか。
どんな人がいるのかまるでわからないからなのかもしれない。
常連というほどではないし、年に2,3回行く程度だから。
わたしの人見知りがはげしいのも、なんとかならないものか
とは、思うものの。なんとかは、ならない。
今日の昼は、「あごら」という精神科の患者が集う喫茶店へ行った。
首里の桃原農園があったところの向かいにある。
そこで互いに同じ持病の話などをして、話を聞いてもらう。
持病の統合失調症を治す薬がない、それで私の寿命が50代くらいに
縮まったこと、そして、それを受容したということ、
あとは、日本社会のことについて。
ダークな方向へ向かうわたしの考えすぎなところに、マスターは
半ばあきれて?私の話を聞いていたのであるが、
開き直れて良かったですね、と一言、私にそう言った。
そうだね、なるようにしかならないんだから。といって私は笑った。
あと余命10年ないし15年くらいしかないから
好きなことをしてから死ぬことにした。(笑)
なぜかはしらないけれど、あまり悲壮感というものがなく、
自己憐憫の感情がない。あっさりとしたもの。
医者にやつあたりなんかしてはいけない、ただ薬がないという
だけなのだし、現代の医学では治せないものであるから。
それはしょうがない。病気になったのも私のせいではない。
ただ、なってしまったってだけ。
そんな話を小1時間くらいして店を後にする。
なんかスッキリした。
愚痴みたいなものだけど、わかってくれる人がいるのはうれしい。