精神科医になるって?

2010年10月31日 16時10分23秒 | Weblog


最近、友人と一緒にお茶しに行った時のこと。
突然、医学部に行きたい、と言い出したのである。

もう、私と年は変わらない、30代後半の女性。
精神科医になりたいんだそうです。

へええ、これからあの、受験をするわけですか・・・はは。
大変だね・・・。

でも、なんでまた精神科なんですかね。

高校では文系にいたそうで、私に受験数学と物理のレクチャーを
して欲しいんだと。

医学部の受験数学ですかぁ。あれをやるんですか。

2次試験の数学フルコースを・・・。
わたし、解けません。(笑)

問題の解答を見ながら、これはこーゆーこと、あーゆーこと、と
解釈を与えるくらいのことは出来そうだけど。

家庭教師というよりは、茶のみ話相手ですネ。

彼女いわく

「心の中の深い溝を見たほうがいいのか?」
という問いに、

見なくても済むのなら見ないほうがいいのではないか、と、答えた。

いったん、その深い溝を見て、うんと暗くなる、
そしてそこから引き返してくるのだそうだ。

私も、いったん暗くなるんなら、とことん暗くなる。

ジャズ・ピアノなんて、そんじゃそこらの音楽とは比べ物にならないくらい
暗いよね。

そういう、心の深い溝を垣間見せてくれるような、深い、暗いジャズをよく聴く。

そして、どうしようもなく、とことん、暗くなる。

それが、また、いいのかもしれないね。

じーん、とくる、というのか。

そこから引き返すことができるのであれば。

それだけ、まだ、心に体力みたいなものがあるんだと思います。

孤独感とか、寂寥感、とか、わび、さびみたいなもの。

ただ、それだけじゃないのがジャズなんだけどね。

ピアノのコード

2010年10月08日 13時11分00秒 | Weblog
ジャズ・ピアノを習い始めている。

ジャズ・コードを鳴らすと
一挙にいろいろな音が幾重にも重なって
それが連続して変化していく。

変化に富んでそれは、それはおもしろいのであるが、

重苦しい感情を想起させるジャズ・コードもあって
自分で鳴らしているその音の持つ感情に
打ちのめされてしまう。

その一音を、ガツンと鳴らしたあと
その日いちにち、何もしたくなくなるくらい、
それだけウツ・ウツとなってしまう。

自分の部屋で打ち鳴らすピアノの音に
打ち負かされてしまう。

これがホントに私の出したい音なのか?
もっと他に欲しい音がなかっただろうか?
ホントにこれが私の「分身}?

練習とは言え、勉強とは言え、課題とは言え、

今は踏襲(とうしゅう)するべき時期?

「一度は通っておいたほうがイイヨ」・・・。

音楽における「自己」の形成って、なんだろうね。

一度はそういうことを考えてみたこともあるけれど。

先生は宮里さん。(という男性の方。)

彼から見たら(聴いたら)私の弾くピアノの音は
どれだけ変容しているのだろう。

深く鳴り響くピアノの重厚な音に魅せられ習い始めた。

ピアノの持つ、木の音が好き。

木から発せられるノイズが好き。

夜の持つ、黒いビロードのような、なめらかな音。

そう、ジャズ・ピアノは漆黒のような夜の音楽。

「異邦人」

2010年10月06日 15時02分28秒 | Weblog
http://www.youtube.com/watch?v=9jcg6PLAFwQ&feature=related
YouTube - 徳永英明「異邦人」


http://www.youtube.com/watch?v=E4Dcd2ZygsA&feature=related
YouTube - 徳永英明~翼をください(VOCALIST LIVE)


http://www.youtube.com/watch?v=w9bxyOGTsrI&feature=related
YouTube - 徳永英明 -ハナミズキ-

精神医学の本。

2010年10月02日 16時00分20秒 | Weblog
今日は久しぶりに琉球大学医学部付属図書館に行ってきた。
精神医学の本を数冊、読んできた。

自分の病気について何か得るところがあるのかどうか、
それで治る?んだったら万々歳。

前の主治医さんがアスペルガー症候群の疑いがあるって
いっていたんだけど、
アスペルガーと統合失調症が同時になることがあるんだそうで。

うーん、コミュニケーション障害かな?

わたしは、わりと

ひきこもりがち

意欲の減退、物事に興味を示さなくなる

そうだな、
本の中にあった言葉なんだけど
「なんのために生きているのかわからない」
という一節があったよ。

まさに、それ。ビンゴ!!!
自殺願望をほのめかしているわけではないんだけど
なんとなく、この一節が心の叫びだったりするね。

あとは、人間関係の病・・・かなぁ。

ここまできたら、どーしよーもねーんじゃないの?
と、少し開き直る。
だって、なんのために生きているのかわからないんだから。

それで、自分にウソをついて
「ピアノの芸術の為に、一生を捧げる」、なんて
クサイことを言ってしまいます。

そうゆうことにしておいて。
「少しくらい変でも、いいじゃない。」
と、居直る。

生きているって実感がなくっても
生きていることには変わりはないし、
疲れやすい・痛い身体を抱えて毎日すごしていることに
かわりはないのだから。