ヤロン・ヘルマン(Yaron Herman)

2009年02月23日 18時35分42秒 | Weblog

某局のラジオ番組で、若きイスラエルのピアニスト
ヤロン・ヘルマン(Yaron Herman)さんのサマータイムが
流れていた。
カラオケでの、「オリビアを聴きながら」という曲の中の歌詞
ではないが、やはり、ジャズ・ピアノというのは
その音楽を聴いて、心が癒されていく点で優れていると思う。
ジャズは楽しい面もあるのだし、それも評価されているが
どちらかというと、私個人てきなニーズとしてみるなら
一人、夜、家で、少量のラジオの音量で
月夜のまばゆい光を一身に受けながら、
ヤロン・ヘルマンさんのような、まったりとした、孤独感ただよう
わびさびの効いた世界観を具現する音楽空間、なんだと、思う。
音楽療法的な見方なんだろうかな?
だから、ライブ・ハウス的ではなくて「ひきこもり」的な
ジャズ・ピアノの聴き方を、してしまうんだろうな。
これも、私生来の性格からくるものなのだろうか?
日本の古典みたいな、カンジ。

お酒をうけつけない

2009年02月17日 09時01分47秒 | Weblog
だんだん、お酒が飲めなくなってしまった。
好き、嫌いではなく
ただ、カラダがお酒をうけつけなくなってしまった。
統合失調症になってからなのだろうか?
飲むとその直後に、激痛が体に走る。
(酒の弱い「下戸」ではない)
ふだんから、痛みの激しい毎日だが
酒はそれを倍増させてしまう。
もう、酔えないしね。

酒飲みってわけでもないから
そんなに悲嘆に暮れるわけでもない。

「祈り」

2009年02月16日 21時26分30秒 | Weblog
以前、ミクシィに載せた日記の内容です。
中学生の頃の読んだ音楽雑誌を載せています。

音楽雑誌から シリーズ・1編集する 2007年09月02日14:16

昭和62年(西暦1985年)当時の
音楽雑誌 アンサンブル ENSEMBLE からの
引用です。

テーマは「祈り」

 ちなみに、宗教・政治団体には中立の立場で
 掲載させていただきます。

 ↓

 黒人霊歌とゴスペル

             青木 啓


 「
 祈りというのは、ある一定の目的をもって神様や仏様に願い念ずることだ、とされている。また、心底からの強い願望のことだ、ともいう。

 長いあいだ、”祈り”は、ポピュラー・ミュージックの世界でも、まことに重要なテーマの一つであった。
と言うよりも、あらゆる作曲家、作詞家、演奏者、歌手たちが、日常生活のなかの”祈り”を、どのようにとらえ、形づくり、表現し、伝えるか、ということに全力を注ぎ、苦労もしてきた、と言えるのではなかろうか。だからこそ、その優れた作品と演奏(歌唱)に接した時、私たちは感激感動し、祈りにも似たエモーションを覚えるのだ、と思う。信仰による強くて深いよろこびをあらわす言葉に”法悦”と同等、あるいはそれに近いものと言ってよさそうだ。

 もちろん、ポピュラー・ソングのジャンルとして扱われる歌のなかに、宗教における祈り、祈祷には、言語を用いない黙祷という形式もあるけれど、一般的には言語が使われるし、祈りの歌もあるというわけだ。

 ポピュラー・ソングのスタイルによる宗教の歌といえば、やはりスピリチュアルが最もよく知られている身近な歌であろう。これは白人のスピリチュアルとアメリカ黒人のスピリチュアルがあり、前者は白人霊歌、後者は黒人霊歌というぐあいに日本では呼ばれている。白人霊歌(ホワイト・スピリチュアル)は1700年代末ごろから1800年代後期までにかなり作られたそうだが、現在も残っていて私たちが聴くことのできる歌はあまり多くはない。そのなかでは、1870年代から広く知られたという「さすらいの旅人」が有名だ。この世の生活を旅になぞらえ、やがてヨルダン河を渡って天国へ行く、という歌。これは1960年代前半、フォーク・ソングが若者を中心にブームとなったころ、白人だけでなく黒人もさかんに歌ったもので、ご存知の方が多いことだろう。

 黒人霊歌(ニグロ・スピリチュアル)は現在でもたくさん残っているし、白人霊歌よりもポピュラーだと言えよう。アフリカからアメリカに無理やり運ばれた黒人たちは、白人の奴隷にされ、自由も、生活習慣も文化も、そして宗教も禁じられ、奪われた。そして1700年代後期に、あの信仰復興運動の影響から白人は黒人奴隷たちを強制的にキリスト教に入信させはじめた。こうして”完全に精神的な未来の幸福”の約束を得た黒人奴隷たちは、やがて自分たちのキリスト教の宗教歌を歌うようになる。これが黒人霊歌で、内容は物語として面白い、あるいは興味深い旧約聖書中の事柄が多い。

 たとえば「行け、モーゼ」だ。これはモーゼがエジプトへ行き、そこで奴隷として重労働させられているユダヤ民族を神の名によって解放する物語。「ジェリコの闘い」は、モーゼの遺志を継いだジョシュア(ヨシュア)が多くの同胞をひきいて困難な旅を続け、ようやく故国イスラエルに戻る。そして聖地カナンをエジプトの手から奪い返す最後の戦いがジェリコ砦の戦闘で、ジョシュアは同胞に砦を包囲させ、ラッパを吹かせ、大声で神の栄光を叫ばせると、堅固な城壁は音を立てて崩れ落ちた、というお話。

 聖書中の物語とは関係のない歌もある。たとえば「誰も知らない私の悩み」だ。私のトラブルは誰も知らないが、イエスさまだけは知ってくださる、という歌。「時には母のない子のように」は、母を失った子のような気持ちになる時がある、私の故郷から遠くはなれてしまった、と歌われる。

 黒人霊歌が本当に黒人奴隷たちの間から自然発生的にうまれたのかどうか。これは疑問だ。おそらく、そのはじまりは白人の牧師とか音楽家が、黒人の感覚や興味に合わせて作り、歌わせたのではないだろうか、という推測もできるのだ。

 とにかく、黒人霊歌には”祈り”が脈打っている。奴隷という境遇から解放され自由になる祈り。悩み、苦しみに満ちた現世をはなれ、自由と平和の世界(天国)へ行きたい、約束の地へ行きたいと願う祈り。その祈りはまことに悲痛な響きを持っている。奴隷解放後、黒人霊歌は忘れてはならないアメリカ黒人の歴史の歌、自由と平和の祈りの歌として歌い継がれてきたし、今後もそうであろう。
 
 1920年代からアメリカ黒人の教会で、ゴスペル(福音歌)という、新しいスタイルの宗教歌が生まれ、発展してきた。ジャズやリズム&ブルースに影響を及ぼしている点でも見逃せない。多くは強いビートとスイング感で叫ぶように歌われる。しかし「主の祈り」は静かで美しい。新約聖書マタイ伝の祈りの言葉にアルバート・ヘイ・マロットが1936年に曲をつけた。1958年のニューポート・ジャズ祭記録映画「真夏の夜のジャズ」のラストで、今は亡き偉大なゴスペル歌手マリア・ジャクソンがこれを歌っていたが、それに感動した人は少なくないはず。

 そのマリアの持ち歌の一つに「アイ・ビリーヴ」があった。1952年に書かれたポピュラー・ソング調の賛美歌と言える名曲。私は雨のしずくが花を開かせることを信じます。暗い夜にもどこかに灯りがあることを信じます。道に迷った時、だれかが教えてくださることを信じます。嵐の中でも小さな祈りはとどくでしょう・・・・・。という詞もメロディーもすばらしい。


 さて、宗教歌とは別に、永遠の愛、恋の成就を祈るポピュラー・ソングだが、これはもう代表作の例を挙げる必要はなさそうだ。私の好きな歌の一つにバート・バカラックとハル・デイヴィッドが書いた「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」(小さな祈り)がある。朝に起きてお化粧する前に、あなたのためにささやかな祈りを捧げる。いつまでもあなたが私の心にとどまって、二人は決して分かれないようにと。バスに向かって走り、乗っている間も、働いている時も、休憩の時も、あなたのために祈ります・・・・。というひたむきな愛の歌。1967年にディオンヌ・ワーウィックが大ヒットさせた。

 祈りがすべて叶うとは限らない。それでも人は願い、祈る。だから世の中は動き続け、ポピュラー・ソングも生まれ続けるのだろう。


                 (音楽評論家)

あなたにとってジャズとは何ですか

2009年02月16日 09時38分02秒 | Weblog
「あなたにとってジャズとは何ですか?」

ジャズという音楽は
「あなたにとってジャズとは何ですか?」という
問いかけに対し
「わたしにとってジャズとは、
   こ れ な の !!! 」

と、音楽という手段を通して表現する
そんなスタイルの音楽なのだと
ごく最近、おぼろげながら、そう感じてきた。

幅広い音楽スタイルを提供してくれる
スタイルの確立を要請する
そんな音楽言語であるジャズ

スタイルの確立をめざすべき音楽
海千山千のミュージシャンが挑み続けている
まるでそれは生態系のような
生きた音楽、という、ジャズ

そんな音楽を、理解し
心から楽しめ、愛でることができる
そんな環境にめぐりあえたことに
感謝している。

今現在、プレイヤーとして
ステージに立つことはなくても

皆さん、ありがとう。感謝しています。

どんなところなんだろう?

2009年02月15日 10時13分49秒 | Weblog
子供の頃によく通ったことのある通りで
昼間はしまっているのになぜかつぶれていない店があった
その店のディスプレイには

「ジャズ・タイム・ナウ!」

と英字で書かれていた
その当時、その意味はわからなかった

大人になってから、それはジャズのライブハウス
カムズ・ハウスだったことを知る。

ライブ・ハウスの意味を知らなかった私には
なぜか、カムズ・ハウスでは人がたくさんあつまっていて
わいわい、がやがや、楽しそうにしているのだけど
それは、なんなんだろう?と、不思議に思ったし
入るのに勇気がいるんだよね。

そこで、皆さんに問いたいと、おもいます。
つくづく不思議に常日頃思っていることなのだけど・・・

「あなたにとって、ジャズとはなんですか?」

なにもないところへ

2009年02月14日 12時02分16秒 | Weblog
今日は雨の日なので、家でネットをしている。
沖縄は暖かい。ラジオの天気予報では4月なみの暖かさだという。

沖縄在住の者であるが、実は、沖縄の先祖崇拝ではない。
よく、生家のアパートの近くに御嶽(うたき)という、拝む場があり
そこでご年配の方がよく、ひざまずいてお祈り(拝み)をしていた風景を
思い出す。

私は特に宗教はもっていないが、宗教の勧誘は多い。
不安な昨今、何か、宗教に頼みの綱になってほしい若い人達が多いのだろう。
本屋さんで、スピリチュアリティーなどの精神世界の本が所狭しとならんでいる。
ミクシィで、どのような精神世界のジャンルがあるのかを知りたくて
いろいろな「精神世界」のコミュニティに参加しているが
本当につぎからつぎへと、いろいろな精神世界・神秘体験・スピリチュアリティー
のコミュがでてくる。

精神世界はたしなみ程度に、話を合わせられる程度なら知りたい。
けれど、あまり、深みにはまりたい、とは、それほど思わない。

沖縄の原風景を知りたくて、一人、久高島や、斎場御嶽(せーふぁうたき)へ行き
無人島体験よろしく、そこで、沖縄の「何もない」「風景」とたわむれて時を過ごす。

以前、一人で行ったときは、軽い一人旅のようなものであったが、
観光名所となっていない、ただのいなかだった。
私は、そういう、誰もいない、何もない、そういった自然の風景が好きだった。
何もない、ただ、砂浜だけが広がっている海辺で一人、海風にたわむれているのだった。

斎場御嶽 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E5%A0%B4%E5%BE%A1%E5%B6%BD