皆様こんにちはー(^O^)/
すっかりご無沙汰のほぼ一週間ぶりの更新になってしまいましたが、お変わりないでしょうか?
わたしの方は、以前いたプロジェクトからの急な仕事の対応に追われていて、のんびりまったりブログを書いている余裕がありませんでした
これを今流行の用語で『リア充』というのだろうか・・・?
いや、たぶん違うな・・・
まぁ、ようやっと落ち着いたので、間が空いてしまいましたが、『エピキュリアン的お金の話⑤』の続きです。
お金とは単なる媒体ですから、
お金自体に良い悪いというものは本来ありません
お金に良いお金、悪いお金というものがあるのなら、
良くも悪くするも使う人の心次第
そしてまた、使うときの心次第でその時の心を反映した出来事を引寄せます。
つまり・・・
老後のために という将来への不安から貯金をしたり、金融商品を買ったりなどをすれば、
不安が見事的中
といった現実を引寄せます。
この辺の所は以前書いた記事『心一つ』を読んでいただければ、より、分かりやすいと思います。(記事はコチラ)
http://blog.goo.ne.jp/epicurean1974/e/7c07fa5417f46e0dbd1c3faa90bc5e2f
ま、そんな感じで、『どのような心でお金を使うか?』が、お金と付き合う上でとても重要になってくるわけです。
それに、循環させてナンボというお金の性質を考えると、やたらめったら貯金をして溜め込むよりも、使った方が良いし、さらに言えば、どうせ使うなら自分が豊かになるような、より良い使い方をした方が良いと思うのです。
その使い方とは・・・
お金を使うときはワクワク歓びの心で使うこと
わくわく歓びの心で使うことにより、さらに現実でもわくわく歓びにあふれるような現実を引寄せます。
これが、お金とは一種の媒体である、といういわれ。
さらに、あ、
今までのはこれまでのおさらいです。
ここが新ネタ
お金に限らず森羅万象あらゆる全ての存在はもちろん、物質には心があります。
心がある、ということは、命がある、魂がある、ということ。
だからこそ、このことを知っていたわたし達、日本人のご先祖やネイティブという人達は石ころや木、動物・・・などの全ての存在の中に神性を見出し、日本的にいえば、八百万の神々として敬い大切にしてきたのです。
そして、また、自然のものでなく、人の手によって作られた物でも、大切に使われた道具は年月が経てば心が入り、付喪神 (つくもがみ)と呼ばれる存在になる、ということが日本では長いこと信じられてきました。
そんなわけで、お金にも実は心があります。
心があるので、自分が使われるとき、どのような心で使われたか?によって、お金さんも態度が変わってきます。
どう変わるか?というと・・・
わたし達と同じ心がある、というなら、
あ~あ、なんでこんなことに使わないといけないんだろう?
はぁ~もったいない・・・
という使われ方をされると、なんだかガッカリですよね?
お代官様、まずはコチラをお納めに・・・ウヘヘウヘヘ
ソチも悪よの~越○屋・・・ウヘヘウヘヘ
というシチュエーションでのいわゆる汚い金、汚れた金、という使われ方なんてされたら、悲しい限りです・・・
では、わくわく歓びの心で使ったらどうでしょう?
これが欲しかったの~
ぜひぜひ買わせてくださいありがとう~
こんな心で使ってもらえたら、お金さんも本望です。
使われて良かった~
次もまたこの人に使ってもらいたいなぁ~
と、なります。
さらにお金さんにもお金さんの社会があり、ネットワークがあります。
だから、イヤ~な使われ方をされたお金さんは、仲間たちのところで、
どこそこの誰ソレにこんな使われ方をされてさ~
もーチョー最悪~
と、言い、逆に嬉しい使い方をされたお金さんは
どこそこの誰ソレはとってもいい使い方をしてくれてさ~
あ~いう人のところにまた行きたいものだよ
と話します。
いわゆる口コミですね
で、これらは全て無意識の層での意識的な働きかけなのですが、この無意識の層というのは現実世界よりも数千万倍?多分、もっとかな?くらいの伝達力を持ちます。
ということは・・・
悪いうわさも、良いうわさも広まる速度がハンパない。
ということ。
これは何を意味するか?
といえば・・・
長くなったので、続きは次回へ