ここ数日、過ごしやすい日が続いてホッとしたのもつかの間。
また蒸し暑い日が戻ってきました。
週間天気予報をみれば、東京はこれから先、1週間30度超えの予報。
9月って、こんなにいつまでも30度超えの日が続くものでしたっけ???
異常気象も毎年のことだから、最早これが標準の気象なのかもしれません
こうなると、意識を変えて、欧州並みに夏は2ヶ月以上のロングバケーション、もしくは正午から夕方4時くらいまでのシエスタ(お昼ねタイム)を普及させて欲しいものです。。。
日本人働きすぎだと思う。ホントに
さて、前回は偽善の正義に代わる真理として、『愛』について書きました。
今回は真理としての『愛』について、話をもう少し。。。
愛とは
愛とは、相手の存在そのものを認め、尊重すること
この意味は、大抵の人が考える『愛』の意味、
ただ相手のことを思いやる、優しくするといった『親切』を『親身』に行う
というようなレベル以上にもっと深く強い意思を必要とするもの。
わたしの大好きな本にマルロ・モーガン著の『ミュータントメッセージ』というものがあります。
結構、有名な本なので知っている方もいると思います。
アメリカからオーストラリアに移住し、針灸の仕事をしながら、オーストラリアの原住民であるアボルジニの社会支援活動をしていたある、白人女性の話。
ひょんなきっかけから、ある日突然、ある、アボルジニの1部族と共に、その部族の伝統に則ったオーストラリア縦断?横断だったかも?の旅にでます。
その旅のなかで、アボルジニの考え、生き方を通して様々なスピリチュアルなことを学ぶという話。まぁ、この本の真偽は色々と批判もあったりするのですが書いてある内容は素晴らしい。
中でも、彼らアボルジニの仲間に対する『愛』が、『相手の存在そのものを認め、尊重すること』の意味を良く表しています。
それは、物語の中で、砂漠を旅しているときの話。
毎朝、出発前に一人が指名され、その指名された人が先頭に立って、その日の責任者として仲間を先導します。砂漠の中で水のある場所を彼らなりのやり方で見つけるのですが、その水場へ先導するのも、飢えを満たすための獲物のいるような所へ先導するのもその日、先頭に立った人の役目。
この役目はみんなが交代でします。あるとき、ついに白人の女性の番が回ってきました。それまで旅の間、彼らの水のありそうな場所を探す方法を傍で見てきたけど、やっぱり当然ちゃぁ当然のことですが、彼女は水のある場所など検討も付かないし、当てもなく、ただ皆を引き連れて砂漠を歩き回るだけで何も見つけられずにその日を終えました。
コレで済むかと思いきや、次の日も、また次の日も彼女が先頭を任命されることに。。。
砂漠で、1日中歩きまわり2日以上、水1滴も口に出来ずにいれば当然、無事ではいられません。
彼女は懇願しました。
自分だけならまだしも、わたしが先頭を歩く限り、水は見つからず、このままでは皆までも道連れにしてしまう。だから、どうかもう勘弁してくれ。と。。。
そこでアボルジニのリーダーに静かに言われます。
わたし達だって死ぬほど乾いている。確かに別の者に代われば水はすぐに見つかるだろう。でも、これはあなたの学びなんだ。だから、わたし達が手出しをすることは出来ない。その結果がどのようなものかは問題じゃないんだ。あなたが学ぶべきことを学ぶことが大切なのだから。。。あなたが何も学べずに我々が皆、ここで終えることになっても、それはそれで仕方ないこと。一緒に旅に出たときから既に、あなたは我々の仲間だ。その仲間の学びの為に我々はみな既に覚悟を持っている。。。
と。。。
これが愛
真理の愛
たとえ、その結果がどのようなものであろうと、その人にとって必要なことであれば、決して手出しはしない。
ただ、見守る。。。
でも、突き放すのとは違う。
自分も共に痛みを引き受ける。
その覚悟を持って、相手の意思を尊重する。
これが愛
そして、物語のアボルジニは彼らの部族に赤ちゃんが生まれたときと死を迎えるときに必ずかける言葉があります。
それが
あなたを愛し支えよう
この言葉の深さ
その人にとって必要なことならば、自らの命さえ顧みずに全身全霊で支えようという覚悟
その覚悟をもって、相手を尊重する
これが愛
あなたの愛は覚悟がありますか?