6月、7月の猛暑に比べて、随分と過ごしやすい8月のスタートとなりました。
海の家などは今がかきいれ時の商売をされている方々には、本当に申し訳ないのですが、このまま秋になってくれれば。。。と強く願ってしまいます。
本当に暑いのはもうカンベン。。。
そんなことはさておき、8月のスタートの今日のお題は「他人と比べる」を手放す。です。
他人と比べるから、不満が募る。いまの自分が惨めに思う。
他人と比べなければいいだけの話なんだけど。。。中々簡単に割り切れない。。。
そんな人、多いのではないでしょうか?
かくいう、わたし自身も随分とそのことで悩み、鬱々と過ごしてきました。
その結果、とても大切な友人を失ったことも。。。
そもそも、なんで他人と比べてしまうのか?
一言で言ってしまうと、そのように育ったから。
その一言に尽きます。
わたしたちが生まれて間もない頃から、いえ、生まれる前から、熱心な親御さんは「生後何ヶ月でこれこれのことができる」と「育児本」の知識を基に我が子を比べて不安になったり、喜んだりします。
そう、その頃から全ての親御さんがそうだ、ということはないのですが、本やよその子とわが子との比較が始まります。
就学して同年齢の子たちとの集団生活が始まれば、「他の子との比較」はより顕著に、当たり前の日常となります。
つまり、わたしたちは生まれたときから常に大人たちから他の子と比較されて育てられてきたわけです。
比較されるということは当然、「優劣」のラベルが貼られます。
もちろん誰でも「優」のほうが良いに決まっています。
何事も「優」であればあるほど、大抵の身近な大人、つまり、「親」は喜びますから、子供は親の喜ぶ顔見たさに健気にがんばります。
でもここで、「優」があるということはそれと同じように「劣」もあるわけです。
そこで周りをみて、他の人と比べるわけです。
自分は○○ちゃんと比べて、「優」なのか?「劣」なのか?と。
比べるものは学生であるうちは、当然、お勉強の成績ですね。
お年頃になれば、顔やスタイルなどの見栄えもプラスされます。
で、女の子であればダイエット競争へ突入。
ファッション誌のモデルを目指すべき「優」の存在として、身近な子と自分を比べて競います。
そして、社会にでれば、勤めている会社の「優劣」を競い、付き合っている恋人の「優劣」を競い、結婚すれば、家の経済の「優劣」を比べ競う。
そして子供が生まれれば、子供同士の「優劣」を。。。
エンドレスですね。
まぁ、他人と比べるわけですから、ネタは尽きません。
Aさんとの比較がまぁ、大体、自分のなかで決着がついた、と思えば、今度は比較対象をBさんにすれば良いだけのことですから。。。
永遠に続けられます。
少し前に流行った「勝ち組、負け組み」という言葉は、まさに他人との比較にどっぷりハマった状況で生まれた言葉でしょうね。
初めは大人(親)に喜んでもらうために始めた「他人との比較」も、いつの間にか人生の基準になってしまって、他人と比べることで安心したり、落ち込んだり自分が嫌いになったりしてしまう。
でも、それっておかしなことだと思いませんか?
SMAPの「世界に一つだけの花」じゃないけど、わたしたちは例え、双子だとしても全く同じ人間が世界中どこを探したって、二人といないのに。
だから、「他人と比較する」ということは、ヒマワリがコスモスと自分を比べてどうのこうの言っているのと同じことで、はたから見れば見当違いでちゃんちゃらおかしいこと。
そのことに気づいて、止めようと思う。
でも、どうしても「他人との比較」をしてしまう。
そんな自分大嫌い。。。
さて、どうしましょう。
続きは次回へ