福田恵利子です。
父の四十九日でした。
昔からお世話になっている神戸のお寺に行って来ました。
父のお骨は母の意向でお葬式の当日からお寺さんにお預り頂いていました(ニュースタイルですよね…。母は前々から考えていたようで、実家には仏壇もありません)。
結局母と私はコロナ陽性者になってしまったのでお通夜もお葬式にも出られず、お葬式の最中に突然に皆がLINE電話で見せてくれるという、これまたニュースタイルなお葬式でした(^_^;)
家族葬っていいですね。皆で楽しそう?に執り行ってくれている様子が(私と母が全ての準備をしたので誰も段取りをわかっていなかった笑)私と母にも伝わって来ました。
葬儀委員長?の私が出席できなかったことが和やかなお式になったのだろうなと思います(皆が焦ってしまって、“頑張らねば”と思ってくれたようで…笑)。
通夜も葬式も母と私と私の主人(←たまたま土日だったので)の三人だけで、他は無理してまで来なくていいと前日まで私は思っていました(ゴタゴタした家なので皆にもそう伝えていました)。
結果的には皆が都合を着けて来てくれて。助かりました。
父のお骨は代々お世話になっているお寺の納骨堂に入りました。母が以前に買って用意していました。
父の姉弟(身寄りがない)の最終的な行き場所も、母が考えて同じ建物に用意してくれています。
11月の末ごろから急にいろんなことが起こり始めました。私の中では忙しすぎて12月と1月が空白で、2ヶ月がおかしくなっています(今はまだ1月?のような気がする)。
発狂しそうな2ヶ月でしたが、振り返ってみると私の中ではタイミングはズレていなくて、私の用事はこなせていました。
父はグループホームに移るものと私は思っていたので、まさかまだ亡くなるとは思っていませんでしたが、母が入院している時でなくて本当に良かった(*_*)
私は一人でもっと困っていたはず(>_<)
父は母に対して長年酷い扱いをしてきていましたが、最期に元気そうな母の顔が見れて安心していました。
父もまたDV家庭に育てられた可哀想な人間でした(今でいう学校に通わせて貰えなかったヤングケアラーだったのだと思う。誰も働いていない家庭だった)。
私の息子も普段は高知なのに、私の父の亡くなった日は、たまたま息子が入社以来初めて本州に仕事でやって来る前の日でした。(昨日もたまたま帰省中)
先週気付きましたが、昨年12月に母に渡したスマホ(私が25年程使っていたガラケーをMNPで母に持たせました)の電話番号の下4桁の数字は、父が亡くなった時間と同じでしたΣ(゚∀゚ノ)ノ
(私のスマホの下4桁は、母の姉の命日になりました。勿論スマホが先。笑)
私の人生は、たまたまが多すぎ(笑)
◇お葬式後のこと。
市が違うと勝手も違いますが、慌てないように自分用にメモ書きを残します(私はまだ母以外のお葬式も出さねばならないはずなので)
死亡届提出から謄本に載るまで少し日にちがかかる(今回私はコロナ陽性で暫く外出が出来なかったので気にせずに取れた)
・市役所の遺族サポートセンターに予約を取ってから必要書類を持って行く。
(水道局の名義変更はサポートセンターさんが目の前で電話をしてくれ、その場で変更の手続きができた)
・年金事務所に予約を取ってから必要書類を持って行く。
・ガス、電気、新聞の名義変更と引き落とし口座の変更の電話をする。
・NHKはネットから変更用紙の請求。
・除籍謄本・住民徐票、相続人の戸籍抄本&住民票を取り、法務局のHPからダウンロードをして法定相続情報一覧図の作成をし、法務局に申請する。←一気に他の手続きの書類がラクになる。
・NTTの名義変更。HPから申請書と方法を印刷し、必要書類を揃えて簡易書留で鹿児島の住所に送る。
・保険会社に保険金の請求。
・市のサービスで遺品整理のゴミ処理500㎏分の無料サービスがあったので(死亡から3ヶ月以内)、申請書をHPからダウンロードをし、必要書類(死亡診断書と法定相続情報一覧図の写しを置いて来ました。私の身分証明と)と共に申請。
→申請書を持って後日自己搬入します。
・司法書士さん三人に連絡(二人は伯母と叔父の分)
・四十九日法要
←←←だいたいここまで終わりました。
・実家の家の名義変更。
・通帳解約(最終引き落としを確認してから)
・初盆
まぁ全てに時間のかかること…。
作業が途中になることばかりで、気の長い作業です…(*_*)
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