水戸観梅ウォークに参加した。どのコースを歩くか、現地に着くまで迷っていた。
15kmにしようと思ったが、スタート地点で仲間に会い、25kmを歩きたくなった。
だが、一緒に歩こうと思ったら、無理をしない方がいいと言われ、思い直した。
結果、前回と同じく偕楽園あたりで膝周囲が痛くなった。25kmはやはり無理だった。
帰路、友部での乗り換え時、下館からの参加者と一緒になった。
電車内で食べ物の話をした。
以前、下館の友人から「しもつかれ」に酢を入れる話を聞いたので聞いてみた。
やはり、その人も酢を入れるとのこと。
下野(栃木)が発祥の食べ物らしいが、茨城では、下館あたりまでのようだ。
だが、どういうわけで酢を入れるのか。
以前調べたところでは、京都由来が酢を入れるのだという話もある。
私の母は、「すみつかり」と言っていた。それで「酢みつかり」なのかもしれない。
謎の多い食べ物だ。
今日のコースは15km。GPSで測ると17.59kmあった。他の参加者も17強という。
帰って、マピオンで測ったところ、17.1kmあった。
一箇所コースを間違えて歩いたので、17.1kmが当たりのようだ。
ウォーキング大会の参加バッチがビンにいっぱいになっていた。金物の日に廃棄した。
大会記念バッジは微妙な代物だ。最初の頃、厚手の生地でできたのれんに留めて飾った。
その内重くなると止めて、空き缶などにしまい出した。
気に入った1個は、ある次期リュックに付けたが、ほとんどは仕舞い込む運命となった。
東松山スリーデーの回数バッジだけは、気に入りだったが、期間中だけつけて歩いた。
ウォーク歴の長い人には、無用の長物になることが多いが、初心者はそうでないだろう。
大会主催者には、費用削減の最右翼かも知れないが、始めると止めにくいものの1つだ。
例会のコース図は、思い入れがあり、捨てにくい。最初の頃は切り貼りで作っていた。
途中から、電子地形図を使い、パソコン上で作成するようになったが、短い期間だった。
調べると2014年の後半か2015年以降らしい。2015年の11月退会したので、
思ったより意外に短い期間だった。私のコース図のつくりかたは2~3人の人に伝えた。
もっと広めたいと思っていたので残念ではあるが、仕方がない。
家の不要物も、少し勇み足だったようだ。使っているものまで捨てて、文句を言われた。
引き出しを整理していると、父の書いた小さなノート、母の「入院記録」がでてきた。
B5の子供用ノートで、あるのは知っていたが、中を覗いたことはなかった。
父は、子どもや孫の使い古しや、使わなかったものを再利用することがよくあった。
特筆すべきは、私が20歳頃に買った腕時計を死ぬ間際まで使っていたことであった。
父は国鉄職員であったので、腕時計は買ったことがない。退職時腕時計をもらったが、
間もなく壊れ、私が使わなくなった腕時計を死ぬまで使い続けた。
自分で買ったことがないというのは、支給された懐中時計を使っていたからだった。
さて、そのノートを読んでみたところ、母が倒れてから2ヶ月弱毎日書いていた。
最後の頃には、「体調悪く見舞いに行かなかった」などと頻繁に書くようになった。
間もなく父は入院し、その3ヶ月後亡くなった。
約50ページほど、父の生真面目な人柄が偲ばれる内容の記録だった。
昨日整形受診を予定していたが、痛みが内場になったのと、雨降りを理由に止めた。
今日行こうかとも思ったが、待ち時間の長さを考え、また、痛みが治まってきたので行かず。
気温も上がり、晴れてもいたので歩いてみる。少し抑えて、5km半くらいのつもりで歩く。
膝に不安感はほとんどなかった。多少ストレッチをした。体が硬い。これも関係しているか。
歩き終わった感じで、もう少し様子を見ようと思う。膝痛の本などからの聞きかじりでは、
股関節、膝周囲筋の拘縮も関係しているらしい。確かに可動範囲が狭まり、筋肉が固い。
基本をおろそかにしてきたなと、反省せざるを得ない。
久しぶりに「水戸ウオーキングクラブ」の観梅ウォークに参加した。
天候も良く、偕楽園の梅は8分咲きで、人出もかなり多かった。
歩きだして間もなく膝が痛くなり、昼頃には座ることも容易でなくなった。
ゴール前には階段が多く、特に下りが辛かった。
明日、春一番で30kmを歩く予定であったが、取りやめた。
明後日、整形外科に行く予定。
偕楽園を出るとき、GPSアプリを作動させるのを忘れ、少し歩いてからONしたので、
下のデータは少し少なめに計測されている。でも、400~500mくらいだったか。
先に「エンディングノート」などと書いたが、昔から「生前整理」という語がある。
なにも新しい言葉を使うことはない。昨日は、メールを整理した。けっこう難しい。
何人か、最近やり取りのない、10年分以上の受信メールを削除した。時間も要った。
思い入れもあるので、迷いもあった。削除を後回しにしたものもある。
自ら作成した物、覚えとして取得したデータ、画像なども、少しずつ削除している。
今思うのは、間に合えば良いのだが・・・ということ。
死んでしまえば、後は野となれ山となれだが、できれば跡を濁さず逝きたいと思う。
明日は、水戸ウオーキングクラブの観梅ウォークにYさんと参加する。
総合公園管理棟の休憩所にて~風を避けられるので助かる
花桃の様子~あと2週間、満開になるだろう
ものの整理ができず、必要になったときに探しまわるので、時間を無駄にしている。
そのため、不要なものを処分したいと考えているが、なかなか実現できないでいる。
最近になって、整理を要する対象に新たなものが加わった。
それは、あとに残った者に見せる必要のあるものと、できれば事前に処分したい物。
以前からエンディングノートという言葉を聞いていたが、身近な課題になってきた。
貯金通帳と登記簿(建物のみ)が主なものだが、金庫のナンバーも残す必要がある。
あとのがらくたは、子どもにとって不要ならば、処分されると覚悟している。
もう一つ整理が必要なものが、パソコン内のいくつかのデータだ。
他人にとっては「消去!」でよいのだが、自分にとっては若干の思い入れもある。
自分の死後、他人に消去されるのでなく、できれば自分で整理したいと考えている。
多少思い入れのあるものは、ウォーキング関係の写真、「古河悠歩の会」のデータ。
だが、考えて見れば、いずれも、消去しても良いかも知れないと思うようになった。
動ける内に、身辺の整理をしたいと、真剣に考える時期にきた。
昨日の雨から一転、春らしい穏やかな陽が差した1日だった。総合公園の牧野地入り口で、
昔、公園の造営に関わったという人(先輩)に会い、しばらく話し込んだ。
公園の桃は、つぼみが膨らみ、花桃ウォークの頃には満開となりそうだ。
三国橋下のドックは、今は「水辺の楽校」となっているが、古河地区はぱっとしない。
昔、ここには浚渫船が停泊しており、私は覚えがないが、水上生活者もいたとのこと。
歩きから帰り、しばらくして病院通訳に行った。前回、医師に怪訝な顔をされたので、
気にしていたが、今日は所定の役割が果たせたように思えた。
だが、手話をあまり知らないろう者なので、対応が難しく、ちょっと出過ぎたかと反省。
その足で母の病院に洗濯物を届ける。顔は見られなかったが、落ち着いているとのこと。
まだ、インフルエンザの関係で、面会禁止状態が続いている。
またその足で、ロングスーパーに「すみつかり」を買いに行った。今日は売り切れ。
明日、今年最後の鍋を作るとのこと。明日夕方、鍋を持って2kg買いに行く。
北川辺のここは、向古河という地区。渡良瀬川の東遷前は古河藩であったこともあり、
明治初期には印旛郡であったことも。信号下に見える建物は、東武日光線新古河駅。
「花桃ウオーク」への参加を迷っている。知り合いが何人も参加すると聞いている。
せっかく遠方から古河に来てくれるのに、参加しないという選択肢があるか。
昨年は、見沼ウォークに参加した。今年は、開催日が違うので日程は空いている。
参加を迷う理由は以下の通り。
1.会場が花桃まつりの会場から追い出された
2.せっかく体協に加盟し協力しているのに、市の裏切り行為を承諾したのか?
3.個人的な理由~恥ずかしながら書くわけにはいかない
4.会場が変更、古河駅から会場までのバスがおかしなところで止まるらしい。
開催チラシではわからないが、桃まつり対応のバス停留所から誘導をするのか?
5.市民スポーツ連盟の認定は受けることを止めたので、申込みをする意味がない。
これは個人的な理由の内に入るか
6.義理で参加するというのが、当たり前に近い理由だろうが・・・
7.2日間30kmコースを準備したのに、どうして未だに実施しないのか、不可解。
結城のひな祭りはかなり地味だった。真壁と似たやり方だが、規模が小さい。
小雨が降っていたので、余計に盛り上がらない感じだ。
18切符を使っていわきから40人ほど集まった。高萩の会員も10人以上いたようだ。
互いの会の交流を目的に参加している人が多い。私もそんな気持ちで参加した。
晴れていればコースをふくらませて歩くか、小山のイヤーラウンドも考えていたが、
けっきょく止めた。よって、今日は4kmのマイ公的認定とする。