李克強氏は制度の中での矛盾を抱えつつ、一方で共産党の中での権力を築き上げるために自らを変え、もう一方で普通の感覚、良心、人々に対する共感を持ち続けることとなった。しかしながら、共産党の制度内での彼の「良心」はたびたび試練にさらされてきた。(Photo by Lintao Zhang/Getty Images)
- 北京大学の秀才たち
1978年、文化大革命後に再開された大学入試の際、王軍濤氏と李克強氏は両者とも北京大学に入学した。李克強氏の予期せぬ訃報に、王軍濤氏は「私は深い悲しみを覚えている。大学時代、彼とは親しい友人であった。しかし、その後の選択は異なっていた」とコメントした。
王氏によると「学生時代、中国の未来をめぐる議論は尽きなかった。彼が官僚としての道を選んだことに、私は異論を持っていた。また、彼が官僚としての屈辱をどのように受け入れることができたのか、疑問に思っていた」
「彼は法学部、私は物理学部の学生だった。我々の友情は、新しい学問的視点や方法論への興味から生まれた。彼は当時、その鋭い思考と明快な話し方で知られていた」と王氏は述懐する。
しかし......
- 李克強の悲劇
【続きはこちら】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます