5月13日(金)に大阪府大阪市で行われた「町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
11名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
恒例「町並み民家シリーズ」はコロナ禍の為2年ほどの中断をやむなきに至っていました。
久方ぶりの開催として、出来るだけ歩きを少なくし、レトロ建屋と花を求めて、古き大阪の中之島・北浜の界隈を散策し町並みの在り方を考えながら、散策しました。
あいにくの小雨でしたが、今が盛りのバラ園を見て回り、中之島図書館に至り、幸いにもここで時間をかけて、特別に案内説明を受けることができました。
江戸時代には「天下の台所」と呼ばれ、商業の中心地として栄え、さらに大正末期から昭和初期には「大大阪」とも呼ばれ、産業のみならず、文化や芸術においても繁栄を極め一時は人口も東京を凌いでいたとも言われます。
ここ、図書館及び公会堂は個人の寄付によって建てられ、当時の先端文明を受け入れようとした気概が伝わってきました。
お昼は隣の中央公会堂で、ちょっと豪華なオムライスをいただきその後、栴檀木橋から三休橋筋に入り、近代的なビル群が乱立する中で、レトロな佇まいを持つ和洋の建屋がポツンポツンと残って居る町並みを散策しました。
福家さんからロマネスク>ゴシック>ルネサンス>バロック>ロココ建築など西洋建築の流れからの話 、又、北山さんから当地の由来伝承の数々を聞くことができ、楽しく大きな学びができました。
大阪の中心であったのが、ここ北浜で、現在ではビジネス街としてビル群が乱立する中で、当時をしのばせる趣のある建物の数々が、独特のたたずまいを残していました。
それにつけても昭和世代が持つ古き良き時代の遺産を、残していることにうれしさを感じさせてくれました。
11名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
恒例「町並み民家シリーズ」はコロナ禍の為2年ほどの中断をやむなきに至っていました。
久方ぶりの開催として、出来るだけ歩きを少なくし、レトロ建屋と花を求めて、古き大阪の中之島・北浜の界隈を散策し町並みの在り方を考えながら、散策しました。
あいにくの小雨でしたが、今が盛りのバラ園を見て回り、中之島図書館に至り、幸いにもここで時間をかけて、特別に案内説明を受けることができました。
江戸時代には「天下の台所」と呼ばれ、商業の中心地として栄え、さらに大正末期から昭和初期には「大大阪」とも呼ばれ、産業のみならず、文化や芸術においても繁栄を極め一時は人口も東京を凌いでいたとも言われます。
ここ、図書館及び公会堂は個人の寄付によって建てられ、当時の先端文明を受け入れようとした気概が伝わってきました。
お昼は隣の中央公会堂で、ちょっと豪華なオムライスをいただきその後、栴檀木橋から三休橋筋に入り、近代的なビル群が乱立する中で、レトロな佇まいを持つ和洋の建屋がポツンポツンと残って居る町並みを散策しました。
福家さんからロマネスク>ゴシック>ルネサンス>バロック>ロココ建築など西洋建築の流れからの話 、又、北山さんから当地の由来伝承の数々を聞くことができ、楽しく大きな学びができました。
大阪の中心であったのが、ここ北浜で、現在ではビジネス街としてビル群が乱立する中で、当時をしのばせる趣のある建物の数々が、独特のたたずまいを残していました。
それにつけても昭和世代が持つ古き良き時代の遺産を、残していることにうれしさを感じさせてくれました。