10月25日(土)に和歌山県高野町で行われた
「第19回町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
8名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
紀伊 高野山
よく晴れた秋の一日、十九回を迎えた今回は、高野山を訪れました。
高野の町は弘法大師(空海)が開らかれた真言密教の聖地であり、
九百㍍という山中にある天空の別天地として修業と菩提が行われている宗教の町で、
1200年の歴史を保っています。皆さん一度は訪れたことのあるところですので、
今回は堂宇を中心にその佇まいを見て廻りました。
高野への入り口は七つあるそうですが、女人堂から下り徳川霊台に向かいました。
ここは家光が家康・秀忠の霊廟として建てたもので東照宮形式の霊台として
高野山の中でも異彩を放っています。ここから金剛峰寺に廻りました。
総本山の中心堂宇として樹皮屋根の寝殿造りの豪壮なものです。中は格調高い居室や
襖絵が多くあり、とりわけ、石と砂で構成された蟠龍庭は紅葉がとても色鮮やかに
映えていました。
昼食後、壇上伽藍に移り、根本大塔・
金堂を中心に廻りました。この伽藍には大小二十近い堂塔が散在しますが、
それぞれ平安鎌倉から昭和にいたるまでの歴史があり、雷などで焼失し何度が
立て替えられています。中でも不動堂(国宝)御影堂・西塔が印象的でした。
高野山は全国の各階層からの菩提所として、皇族武家・庶民からの布施が多く、
難波南の料亭大和屋からの寄進碑があったりして、その信仰の幅の広さに驚きました。
高野山詣でには、昔は徒歩で来るしかなかったわけですが、その本路は紀の川の
九度山にある慈尊院から根本大塔まで五里程度の山登りの道標として、町石
(卒塔婆形の石柱碑)が一町ごとに百八十基、建てられ残っています。又この大塔から
奥の院御廟まで一里の間に三十六基があり、この町石碑に沿って奥の院入り口まで、
宿坊を訪ねて歩きました。
宿坊寺院は修業の場として、菩提を弔うために参詣する宿泊施設として、現在も五二の
子院(宿坊)があります。これらの宿坊は全国の各階層・地域からの檀家として、手厚く
守られており、その建屋・備品・庭園などが、それぞれの特徴と形態を保存維持されており
見所が多いとされています。すべてを見ることは出来ませんが、その建屋・門構えなどの
風情を見て歩くだけで十分堪能しました。高室院から十数院を町石に沿って廻りましたが、
和風・唐風・豪華・簡素といった門構えから、同様の建屋のあり方がとても豊富で時の
経つのを忘れさせてくれました。刈萱堂を過ぎて、奥の院入り口、一の橋にいたる頃には
相当の歩数を数えていました。
杉・檜・高野槙の鮮やかな緑の間に紅葉が紅く映えて、又、鮮やかな黄色に色づいた公孫樹が
印象的でした。
それにつけても高野の里は信仰の町であり、空気の澄んださわやかな、心洗われる山里では
ありました。
「第19回町並みと民家を訪ねる会」の報告です。
8名の参加がありました。
関西中国地域ブロック事務局より
紀伊 高野山
よく晴れた秋の一日、十九回を迎えた今回は、高野山を訪れました。
高野の町は弘法大師(空海)が開らかれた真言密教の聖地であり、
九百㍍という山中にある天空の別天地として修業と菩提が行われている宗教の町で、
1200年の歴史を保っています。皆さん一度は訪れたことのあるところですので、
今回は堂宇を中心にその佇まいを見て廻りました。
高野への入り口は七つあるそうですが、女人堂から下り徳川霊台に向かいました。
ここは家光が家康・秀忠の霊廟として建てたもので東照宮形式の霊台として
高野山の中でも異彩を放っています。ここから金剛峰寺に廻りました。
総本山の中心堂宇として樹皮屋根の寝殿造りの豪壮なものです。中は格調高い居室や
襖絵が多くあり、とりわけ、石と砂で構成された蟠龍庭は紅葉がとても色鮮やかに
映えていました。
昼食後、壇上伽藍に移り、根本大塔・
金堂を中心に廻りました。この伽藍には大小二十近い堂塔が散在しますが、
それぞれ平安鎌倉から昭和にいたるまでの歴史があり、雷などで焼失し何度が
立て替えられています。中でも不動堂(国宝)御影堂・西塔が印象的でした。
高野山は全国の各階層からの菩提所として、皇族武家・庶民からの布施が多く、
難波南の料亭大和屋からの寄進碑があったりして、その信仰の幅の広さに驚きました。
高野山詣でには、昔は徒歩で来るしかなかったわけですが、その本路は紀の川の
九度山にある慈尊院から根本大塔まで五里程度の山登りの道標として、町石
(卒塔婆形の石柱碑)が一町ごとに百八十基、建てられ残っています。又この大塔から
奥の院御廟まで一里の間に三十六基があり、この町石碑に沿って奥の院入り口まで、
宿坊を訪ねて歩きました。
宿坊寺院は修業の場として、菩提を弔うために参詣する宿泊施設として、現在も五二の
子院(宿坊)があります。これらの宿坊は全国の各階層・地域からの檀家として、手厚く
守られており、その建屋・備品・庭園などが、それぞれの特徴と形態を保存維持されており
見所が多いとされています。すべてを見ることは出来ませんが、その建屋・門構えなどの
風情を見て歩くだけで十分堪能しました。高室院から十数院を町石に沿って廻りましたが、
和風・唐風・豪華・簡素といった門構えから、同様の建屋のあり方がとても豊富で時の
経つのを忘れさせてくれました。刈萱堂を過ぎて、奥の院入り口、一の橋にいたる頃には
相当の歩数を数えていました。
杉・檜・高野槙の鮮やかな緑の間に紅葉が紅く映えて、又、鮮やかな黄色に色づいた公孫樹が
印象的でした。
それにつけても高野の里は信仰の町であり、空気の澄んださわやかな、心洗われる山里では
ありました。