マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

先のことなど分からないもの・・・だからこそ

2014年09月05日 05時31分28秒 | □私の気ままな話
私も「お買い得な物件を見つけた」「これから先のため
に何か勉強しよう(技能習得)」など色々と生活してい
く中で考えたり、行動したりしていますが、

「先のことなど分からない」

とも思いながら生きています。

・・・

「どのように人生を生きるか」
「どのような人生を送るのか」

あれもしたい、これもしたいと思い描くことは大切
なことだと思います。

意識づけ、動機づけをして、「何かを目指す」わけ
ですが、それは結局のところは「不安解消」「安定
した居場所を探す」「生きがい,やり甲斐を持つ=達成
感を得る」の3点に行き着くことだと思います。

・・・

しかし、何がそうさせるのか、何故起こってしまう
のか分からない「突然」がその後の人生を大きく変え
る出来事ととなることが多々あります。

広島の土砂災害で72人もの方が亡くなられて、
今だ2人の方が行方不明。

広島の安佐南区には縁があります・・・私が銀行に
勤務していたとき、山本・祇園・長束西・西原(一部)
地区担当の渉外係として、この地域を回っていました。

山本でも亡くなられた方がいますが、私も山本で怖い
思いをしたことがあります。

大雨の日、その日はちょうど大手企業のボーナス支給
日でして、夜7時くらいに普通預金に入金となった
賞与を定期預金へ振替えてもらう手続きで山本をカブ
で走っていました。山のほうは相当な坂道です。

通帳を預り、支店へ戻っている途中、下から車が上が
ってきたので、横へ避けましたら・・・
川の側溝に落ち込みました。

雨の降る中、車のライトが眩しくて、側溝に鉄板が途
切れなく敷いてあるものと思い避けたのですが、途中
で鉄板が途切れていまして、思いっきりドボン。

バイクは見事にひっくり返り、
私はドロドロ、ビショビショ。

バイクごと落ちた側溝は、胸の高さほどの深さがあっ
たのですが、どこからか「ゴーー、ゴーー」という音が。。。

落ちた時に滑って、道路下になっている側溝に入った
のですが、後ろを振り返ってみますと、その薄暗い2m
程先には、ドデカイ穴があり大量の水が流れていました。

人間で3~4名くらいは入れそうな穴(直径)で、
そこに何方向からも大量の雨水が流れてきていました。

そこまで滑っていたら、地面の地下深くに流されてい
たところです。間違いなく死んでいたでしょう。

さすがに「ゾゾっ」としました。

落ち込んだ側溝の先には、地面の下、アスファルト
の下を水が流れる大きなトンネルがあったのです。

私が24歳のときだったと思います。


これが安佐南区山本での思い出でして、この土砂災害
の報道を見て、ゾクッ(思い出して怖い)と感じました。


・・・

認知症で行方不明や交通事故(車・鉄道)などの記事
を見ますと、何故そのようなことにと思いますが、反面
自分は将来(老後)どうなるのだろうか・・・とも考え
させられます。

また、認知症でなくても、さっき跳ねられて路上に倒れ
ている人を見た等社内でそのような話を聞きますと、
「何の落ち度もない」「まったくの不意に」悲しい出来
事に見舞われてしまう場合だって起こり得ます。

事故の当事者に過失があっても、何故そんなことになって
しまったのか、どうして不幸が重なりあって死にまで
至ってしまったのかということも色々と聞きます。

今年のことですが、腎臓、尿管近くの動脈の手術で、
命を落としたベテラン社員がいました。

「手術で入院してくるよ」と声を掛けられたのが、最後
の会話となりました。

その時、どこの場所の手術かは聞いていなかったのです
が、「遺書を書いておいたほうがいいですよ」「この世
とさようならになるかも知れませんよ」と冗談を言った
のですが本当に帰らぬ人になってしまいました。

心臓発作・・・私は、手術の部位と違う場所での死と
知って、医療機関に対して・・・と感じました。

元々心臓も悪く、「あまり怒ったりすると心臓に悪い
ですよ」と話したこともありましたが。。。

・・・

今日、そして数年後、あるいは突然、何が起こるかは
誰にも分かりません。

本人さえも分からないことです。

確実に着実に、また思いや夢に沿って計画を立てて生き
てきた、今までは生きて来れたとしましても、これから
先「いつ」「どうなるのか」は分かりません。

まぁ、不安な気持ちばかりを持って生きていても仕方が
ないことですが、たまには死生観を持って周りを見て
みますと、見えない、見えていない事柄も見えてきたり
します。

・・・

いつかは、何かの壁に当たります。
それは、全ての人に起こると言えます。

最愛の夫(妻)を老衰で先に亡くす。これもそうです。
楽しく人生を送ってきた最後には介護や認知症との闘い
もそう。

突然の事故や事件で最愛の人を亡くす。

そして、自分自身の死。

・・・

いつ訪れるかは分かりませんが、必ず訪れると言えるの
が「最愛の人との別れ」です。

早い遅いは別として。

これを悲しく感じない人はいないと思います。

・・・

そのときが来た時に「お互い幸せだったね」「ここまで
苦労を共にしてきた。もう十分生きたね」等、お互いが
自分自身の中で、納得が付けられることが出来れば、
突然の別れに対しても乗り越えられることと思います。

そのためには、一日一日、その一瞬、瞬間を大切に生き
ることが肝要ということですね。

・・・

私もこの先、いつ、どうなるのか分かりませんが、生きて
いる、生かされている間は、やりたいこと、やれることは
精一杯やって行こうと思います。
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