マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

「老老介護」と「死」という選択

2013年12月09日 03時57分35秒 | □私の気になる記事

優しい夫がなぜ妻を殺害…、
孤立した「老老介護」の悲劇 判決は?

産経新聞 12月8日(日)20時14分配信

「その通りです」-。今年7月、自宅で寝ていた妻
=当時(75)=の首を絞めて殺したとして殺人罪
に問われた男は、年齢を感じさせるかすれ声で罪を
認めた。男は昭和9年生まれの79歳。手に掛けた
のは、半世紀近くともに生きてきた最愛の妻だった。

孤独な「老老介護」を続ける中で、病気に苦しむ妻
を思う心が暴走し、取り返しのつかない悲劇を呼び
起こした。

■なぜ、最愛の妻を…

判決などによると、被告が凶行に及んだのは今年
7月8日ごろ。早朝に東京都世田谷区の自宅マンション
で妻の首を最初は両手で、続いてタオルで締めて殺害。
翌日未明には、隅田川に飛び込んで自殺を図ったが死
にきれず、数時間後に川に浮かんでいるところを救助
された。被告は、搬送先の病院で妻の殺害を打ち明け、
自首した。

11月25日に東京地裁で行われた裁判員裁判の
初公判。検察側は冒頭陳述で「短絡的な犯行」である
ことを強調した。

被告の妻は、くも膜下出血で倒れた後、めまいなどの
後遺症に悩まされるようになったという。さらに、
被告も腹部の痛みなどから「自分は末期の大腸がん
ではないか」と疑うようになったが、検察側は
「被害者の病状を軽減させる方法を考えず、殺すと
いう方法を取った」と指摘。安易に無理心中を図った
身勝手な犯行と位置づけた。

これに対して、弁護側は「責任能力を含め、全て認める」
とする一方、殺害に至った背景を「病に苦しむ妻を思う
あまりの犯行だった」と主張。「妻の病気の後遺症が
悪化し、死を願う言葉も口にするようになった」とし、
「妻を楽にしてやりたいという思いから殺害した」と
訴えた。

■「わが家が一番幸せ」と妻の手紙

証拠調べで検察側は、凶器となったタオルを提出。
検察官がタオルを広げて「このタオルが見えますね。
あなたの家にあったものですか、殺害に使用したもの
ですか」と尋ねると、被告はしっかりした口調で「はい」
と答えた。

ピンクと白の図柄で、長さ1メートルほどのタオルは、
凶器として使われたようにはとても思えず、むしろ平穏
な家庭生活を連想させた。

弁護側が証拠として読み上げたのは、今は亡き妻が被告
にあてた手紙だ。被告の70歳と76歳の誕生日を祝い、
贈ったものだという。

《70歳の誕生日おめでとうございます。結婚40年、
私を支えてくれてありがとうございます。孫にも恵まれ、
誰よりもわが家が一番幸せな家族》

《パパ、誕生日おめでとう。いつの間にか76歳に
なりました。いつまでもいつまでも楽しく生活できます
ようにお祈り致します》

30歳の時に、妻と結婚したという被告。幸せだったはず
の家族の姿が浮かび上がった。

■一人娘の両親への思い

証人として出廷したのは、2人の間に生まれた長女だ。
一人娘だという。

検察官「あなたは、被告人と被害者の娘さんですか?」

長女「はい」

夫婦水入らずの幸せな暮らしに影が差していったのは、
平成14年に妻が病気になってからだという。

くも膜下出血で倒れた妻は、一命を取り留めたが、物が
二重に見えるなど目の異常や、ひどいめまいや手足の震え
といったさまざまな後遺症に悩まされるようになった。
まぶたの手術も行ったが、症状は改善しなかったという。

刺繍(ししゅう)や書が趣味で、社交的な性格だった妻は、
次第に家にこもりがちになっていった。 

長女「あまり人に会うことを好まず、家に閉じこもる時間
が多くなり、もともと心配性なところがあったが、さらに
強くなりました」

長女はある日、母から「死にたい」と言われたという。
「日に日に悪くなっていき、(回復が)難しかったのでは
ないか」と振り返った。

弁護人「あなたのお母さんを殺されてしまいましたが、
被告人に処罰を求めますか」

長女「いいえ」

弁護人「今後のことをどう考えていますか」

長女「父が社会に出てきたときには、一緒に生活して、
母のことを受け止め、父の老後を見守りたい。母は、父の
ことをもう許していると思います。病気の辛さをずっと
訴えていたことに『ごめんね』と。父がそう(妻が死を
願っていると)思い込んでしまったことに対し、
『ごめんね』という気持ちだと思います」

冷静に受け答えを続けていた長女が、絞り出すような声に
なったのは、自殺を図った被告が助かった際の思いを問わ
れたときだった。

「正直に、生きててくれてよかった。一度に、両親を亡く
すのは辛いですから…」

■一人、悩みを抱え込んで…

証人尋問に続いて行われた被告人質問。被告が妻の「死ん
で楽になりたい」という言葉を初めて聞いたのは、昨年の
冬だったという。「驚きました。特別に声をかけることは
できませんでしたが、散歩に出よう、とは言いました」と、
当時の衝撃を表現した。

弁護人「(妻の)死にたいという気持ちが本当ではないと
思ったことは?」

被告「本当だと信じていました。真実だと、私は思って
いました」

弁護人「奥さんのことについて、娘さんと相談はしましたか」

被告「していません。この問題だけは、娘に相談しても
だめだと思い、こうしてしまいました」

「思い込みが強い」と長女が性格を表現する被告が、妻の
病が悪化する中で、悩みを抱え込んでしまった構図が浮か
び上がった。

弁護人「娘さんと相談していたら?」

被告「こうはならなかったと思う」

11月26日に開かれた論告求刑公判で、検察側は被告に
懲役5年を求刑。弁護側は執行猶予付き判決を求めた。

最終意見陳述で、被告は「私にとって最高の妻でした。
平成22年ごろから(妻の)病状がだんだんと悪化しまして…。
こういう行動を取って申し訳ない。どうおわびしてよい
か分からない」と述べた。

裁判員との評議の末、迎えた29日の判決公判。被告に
言い渡された判決は、懲役3年、執行猶予5年だった。

裁判長は判決の言い渡し後、「これで、社会に戻って
もらうことになります。まずはお嬢さんとともに過ごす中で、
自分のしてしまったことを見つめ直してほしい」と諭した。
さらに、「今回のように問題があった場合には、抱え込まず、
お嬢さんと話し合って解決してください。そのことが、
明るく周囲の人を大切にしていた奥さまへの供養になると
思います」と被告に語りかけた。

妻を殺害してから5カ月。被告の胸には何が浮かんだの
だろうか。ゆっくり、深々と頭を下げる姿を、満員の傍聴人
は見つめていた。

【関連記事】
老老介護の果てに…「一緒に死のう」妻殺害し、自殺を図った
元商社マンの葛藤

 病床の妻を自らの手であやめた元商社マンが「最期の場所」
に選ぼうとしたのは、夫婦の思い出の地だった-。東京都
世田谷区のマンションで7月9日、●●早智子さん(75)
の首を絞めて殺害したとして、夫の健躬(たけみ)容疑者
(79)が警視庁に殺人容疑で逮捕された。犯行後、
飛び込み自殺を図った隅田川が流れる日本橋はかつての
勤務地の近くで、早智子さんとも何度も訪れた場所。
東京消防庁に救助されて一命を取り留めた健躬容疑者は
「妻とは以前から『一緒に死のう』と話していた」と打ち
明けた。長年連れ添った妻を介護する中で、人知れぬ葛藤を
抱えて生き抜いていた。

介護に疲れて」 ゆっくり首を絞め、遺体には布団を…


「自宅で妻を殺してしまい、自分も死のうと思いました…」

9日午前5時ごろ、東京都台東区浅草の隅田川で溺れて
いるところを救助された男は「●●健躬」と名乗り、
救急隊員に力なくこう説明した。連絡を受けた警視庁玉川
署員が現場に駆けつけ、早智子さんが寝室のベッドで仰向け
の状態で死亡しているのを見つけた。

健躬容疑者が説明した通り、早智子さんの首には絞められた
ような跡があり、玄関の鍵がかけられ、第三者が侵入した形跡
もなかった。同署は健躬容疑者の犯行と断定。川に飛び込んだ
衝撃で全身を強く打ち、治療を受けていた健躬容疑者の
容体が回復するのを待ち、11日に殺人容疑で逮捕した。

同署によると、健躬容疑者は容疑を認め、「妻が鬱病を
患っており、介護に疲れ、将来を悲観した。自分も死ぬ
つもりで川から飛び降りた」と供述しているという。

健躬容疑者は早智子さんと2人暮らし。早智子さんは
12年前にくも膜下出血を発症し、歩行が不自由な状態だった。
近くに住むひとり娘の長女が週1回程度、マンションに
顔を出して面倒を見てくれることもあったが、事実上、
健躬容疑者が1人で介護する状態だった。

司法解剖の結果、早智子さんの死因は窒息死で、死後半日
程度経過していた。就寝中に襲われたとみられ、「首に
残った跡は非常に薄かった。弱い力でゆっくりと絞めたようだ」
(捜査関係者)。発見時、遺体には胸まで丁寧に布団が
かけられていた。


夫婦の思い出の地、日本橋から隅田川へ


捜査関係者によると、長女が最後にマンションを訪れた
のは7月5日。夕食の準備などをして午後5時ごろには
部屋を出た。長女は「両親はいつもと同じで、違和感は
全く感じなかった」と話しているという。

健躬容疑者が犯行後に身を投げたのは、救助された浅草
から下流に約4キロ離れた中央区日本橋の新大橋だった。
マンションから約20キロ離れたこの場所に、健躬容疑者
は9日未明、自宅近くからタクシーで向かった。車内では
落ち着いた様子で、男性運転手にも「昨日は雨がすご
かったね」などと声をかけていた。

実は、日本橋には健躬容疑者が定年まで勤め上げた
大手商社があった。早智子さんとも食事や買い物などで
たびたび日本橋を訪れていたといい、特に新大橋から
望む隅田川の眺望は2人のお気に入りのスポットだった。
健躬容疑者は「死に場所を考えたとき、なじみのある
日本橋が頭に浮かんだ」と説明しているという。

健躬容疑者は救助されるまで約1時間にわたって川面を
漂っていたとみられ、「79歳という年齢を考えれば、
命が助かったのは奇跡に近い」(捜査関係者)。
履いていた靴がビニール製で、水に浮きやすかったこと
も幸いしたとみられる。


高級マンションに2人暮らし 鬱病発症で「殺してほしい」
と依頼も


健躬容疑者と早智子さんが暮らしていたマンションは、
都内有数の高級住宅地として知られる世田谷区深沢にある。
近くには駒沢オリンピック公園があり、複数の路線の
駅が徒歩圏内にあるなど利便性も高い。

マンション内では警備員が目を光らせている。近所の
住民は「芸能人や官僚が住んでいると聞いたことがある。
お金持ちじゃないと住めない物件」と話す。

捜査関係者よると、健躬容疑者は金銭的に不自由して
おらず、早智子さんの介護のためにホームヘルパーを
利用していた。ただ、病状は年々悪化し、最近では
鬱病を発症。改善しない体調にふさぎ込んだ早智子さん
が時折、健躬容疑者に辛く当たることもあった

健躬容疑者は「妻からは何度か『殺してほしい』と
頼まれていた」と供述しており、同署は詳しい動機や
殺害の経緯を調べる。また、いったんは失いかけた自ら
の命について、こう話しているという。

「犯した罪の責任を取らないといけない。もう二度と、
自殺を図ることはしません」。

・・・

「老老介護」の問題。高齢化社会において、
これから、ますます増えてくる大きな課題だと思います。

「妻が苦しそうだった・・・」
「殺して欲しいと頼まれた・・・」
自分自身の心の中には、
「介護に疲れ、将来を悲観した面もあった」

当事者でないと、分かることができない「心の中の葛藤」
だと思います。

経験したことがない,あるいは老老介護を今まさに
同じ立場で行っている人であっても、それぞれの状況や
家庭環境があり、多少の共通点はあっても、1つ1つの
老老介護ごとに違った問題も含んでいることと思います。

一概に、「年配者同士で介護をして(されて)大変・・・」
という単純な問題ではないということです。

・・・

「人は、いずれ(いつか)は、必ず死ぬ」

これは、誰も避けて通れないことです。
その死までの過程において、「どう生きてきたのか」が
その人の人生であり、また生きた証でもあると思います。

よく言われていますが、
「人生プラスマイナス ゼロ」

結局は、生きている間に、楽しいことも、幸せなことも
色々あれば、辛いことや後悔することなど総合すると、
ゼロになるのではないでしょうか。

そのゼロになる地点が、「死別」だと感じています。
後先は別としまして、最愛の人の死を否が応でも見届け
ないといけない、共に暮らしてきて、一緒に歩んできた
相手であればあるほど、死別の苦しみは大きいものと
思います。

今まで、お互いとも幸せに暮らしてきたのに・・・
働き盛りのときは、やれるだけのことは頑張って
やってきたのに・・・
子育てもして、子供も巣立っていった。
老後は、夫婦落ち着いてゆったりとした生活を送ろう
と生きてきた・・・

色々な思いがあっても、最後にはいつかは「お別れ」が
来るものです。

計画通りに物事が進むだけではありません。
努力すれば、必ず報われるだけではありません。

しかし、この記事を読みますと、
少なくとも「働き盛りの時代」「定年後の夫婦二人の
幸せな時代」を送った時期があったのには間違いない
ですよね。

半世紀にも及ぶ夫婦生活を送れたことはとても幸せな
ことだと思います。

第三者からの目でみれば、
近所の住民が言っているような「芸能人や官僚が住んで
いると聞いたことがある。お金持ちじゃないと
住めない物件」に住んで、老後を送っていたようですが、
それは、この加害者(夫)と被害者(妻)の人生において
の努力の結果だと思います。

しかし、理想を現実にしてきたチカラがあったにも
関わらず、最後の最後は妻に手を掛けることに・・・

・・・

普段何気なく生きてきて、それが自然な生活だった
ところに、突如「ガクガクッ」と傾き、崩れ落ちる
というのが、最愛の人の死を迎える際の共通点だと
私は感じています。

交通事故にしてもそう、病死や老衰にしてもそう。

ごく普通の生活を過ごしているときに、ガクガクッと
いままでのリズムとは違った、崩れていく感覚がはっきり
と分かる・感じられる事態が起こるのが「死の直前」
です。

もちろん、突然この世を去ったり、数日中に亡くなった
りする場合もあれば、数年間、十数年間かけて崩れて
いくという場合もあります.

しかし、共通して言えること
は「死が近づいている」「亡くなってしまった(もう
会えない・語り会えない)」と感じる直感があることです。

「『死』について考える」

普段、何気ない生活を送っているときは、考えたり
しないものですが、近しい人の死を目の当たりにしたり
最愛の人を亡くしたりしたときには、その後、「死」
というものを考えるようになるものです。

ですから、
「死」について真剣に考えるときとは、いつも「何か
しらの失った後」に、その「後」になって、ようやく死と
向き合うようになるのだと思います。

・・・

妻は死にたいと言っていた・・・
私も死のうと思った・・・

「死」という選択を選ぶ前に、私は本当に「死」という
ものを考え、そして「死」というものを分かっての
行動だったのかと、このような記事を見ますと、いつも
そういう疑問が浮かんできます。

他人には、分からない苦しみ。

確かに、そうだと思います。心底、この夫の気持ちを
分かる(分かってあげる)ことなど、他人では到底出来
ないと思います。


しかし、死を選ぶ、妻が苦しいがっていて・・・
自らも死のうと思った・・・

それは、やはりエゴ(自分本位)なことだと思います。

なぜ、一人娘にもっと頼らなかったのか、娘に迷惑
を掛けたくなかったからなのか。。。孫にも恵まれて
おり、どうして、もっと「精神的にも大変なんだ」
と家族に対して声を上げなかったのか。

たぶん、子供や孫には迷惑をかけたくなかった
のでしょうけど、それと長年連れ添った最愛の妻に
手を掛けることへの正当性は全くないでしょう。

人生の中で・・・仕事では成果が出て、それを会社も
評価してくれて等とても幸せなときだってあった
はずです。

妻が居てくれて楽しく最高に幸せだなぁと感じたとき
もあったはずです。

老後も、お互いが元気な間は、素敵な住まいにも
住めて、努力してきた甲斐があったなぁと人生上々
のひと時を味わってきたはずです。

それなのに、あと一歩なのに、自らもあと何年生き
られるか分からない年齢なのに、今まで築いてきた
生活・お互いを思う心・介護ばかりの生活となり
「失っていく」「崩れていく」「辛い生活」を乗り
越えることを止めてしまったことが残念でなりません。

人生、良いことばかりではありません。

人生のクライマックスも、たとえ子供や孫がいても
親というものは「迷惑をかけないようにしよう」と
いう気持ちが働き、孤独死や介護施設での孤立死、
カタチだけの葬儀で悲しんでくれる者などいない、
ましてや「忙しいときに亡くなって・・・」などと
思われるかも知れない、

要するに「先のことなど分からない」ものなのです。

それが人生だと思います。計画通りに行っているよう
に見えても、70歳、80歳になって、この老老介護
の果てのような問題が出てくる場合もあります。

全く、悲しみや苦しみが無く、この世を去れるので
あれば、それは幸せですが、必ず皆に平等に訪れる
「死」の悲しみ、「死」の前にある苦しみ、また
最愛の人を亡くす「死との対峙」は避けられない
ものですので、人生のうち、いつかはプラスマイナス
ゼロのときが訪れることは間違いありません。

ですから、どんなに苦しくても、
自分に、また自分以外の者に死を与えるという行為
は間違っているのです。

「死」は自らが創る(自分が決めて終止符を打つ)
のではなく、いずれは必ず訪れるものだからです。

長生きしたくても出来なかった人
若くしてこの世を去った人
遠方で働いていて、妻の突然の死に立ち会えなかった人
手術前に「行ってくるよ」と言って、戻らぬ人になった人
色々な死への悲しみがあるわけですから。
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