月末もバタバタとしてました。
今日はようやく休めましたが、さきほど自宅
でBSを見ていましたら、亡き彼女と過ごした
街、滋賀県の長浜市が映っていて、懐かしく
思いました。
安藤家という名家の庭園や建物があり、
映っていました。
黒壁スクエア
そう、亡き彼女は、安藤家の道沿いにある陶芸
のお店で働いていました。
黒壁の中でも人気のあるお店で、毎日、多くの
観光客の皆さんに、陶芸教室のインストラクター
をしたりと働いていた彼女は、そのお店で勤めて
いた頃は、とても楽しく過ごしていました。
亡き彼女の交通事故を地元新聞で知った女性店長
さんは病院まで駆けつけてくれました。
亡き彼女は、お店を辞めたあと、1年ほど住みた
かった京都へ行き、そしてまた私がいる長浜へ戻
ってきたとき、一度お店に挨拶へ行っていました。
亡き彼女も北海道から遠く離れた知らない街で
一番楽しく過ごした職場の方が病院まで来てくれた
ことは意識の無いなかでも嬉しく感じたことと
思います。
(どのような仕事でもとても大切な仕事と思いますが)
陶芸を体験できるお店というところは、色々な
地域にありますよね。
それは、「みんなに喜んでもらいたい」「楽しんで
もらいたい」色々な気持ちがあると思います。
もちろん、人は生活していくためにおカネを得なけ
れば生きていけません。
しかし、ただ「お金儲け」だけなら、人を雇って
「稼ぐ」ためだけなら、それが本心ならちょっと
寂しいと感じるところがありますよね。
でも、この陶芸のお店の女性店長(経営者の身内の
方と聞いています)さん、もう以前に辞めた私の
彼女の名前を新聞で見て、そして観光客も多く訪れ
るお店を切り盛りしておられる中で、病院まで足を
運んでくれたことに、今でも感謝しています。
亡き彼女もそうだと思います(あの世から)
そういう気持ちをお持ちの店長の下で働けた彼女
も幸せだったことと思います。
普通は、日々地元新聞に目を通す経営者の方は多く
いても、観光名所で忙しいお店を切り盛りしている
方が、辞めた従業員のところへ来てはくれないと
思います。
それだけ、暖かな気持ちを持った女性店長さん。
そのお店はきっと素敵な思いを訪れるみなさんに
与えているのだと私はそう感じています。
・・・
懐かしいなぁと思いつつ、私も今週は亡き彼女の
法要へ。
北海道へ行ってきますね。
今日はようやく休めましたが、さきほど自宅
でBSを見ていましたら、亡き彼女と過ごした
街、滋賀県の長浜市が映っていて、懐かしく
思いました。
安藤家という名家の庭園や建物があり、
映っていました。
黒壁スクエア
そう、亡き彼女は、安藤家の道沿いにある陶芸
のお店で働いていました。
黒壁の中でも人気のあるお店で、毎日、多くの
観光客の皆さんに、陶芸教室のインストラクター
をしたりと働いていた彼女は、そのお店で勤めて
いた頃は、とても楽しく過ごしていました。
亡き彼女の交通事故を地元新聞で知った女性店長
さんは病院まで駆けつけてくれました。
亡き彼女は、お店を辞めたあと、1年ほど住みた
かった京都へ行き、そしてまた私がいる長浜へ戻
ってきたとき、一度お店に挨拶へ行っていました。
亡き彼女も北海道から遠く離れた知らない街で
一番楽しく過ごした職場の方が病院まで来てくれた
ことは意識の無いなかでも嬉しく感じたことと
思います。
(どのような仕事でもとても大切な仕事と思いますが)
陶芸を体験できるお店というところは、色々な
地域にありますよね。
それは、「みんなに喜んでもらいたい」「楽しんで
もらいたい」色々な気持ちがあると思います。
もちろん、人は生活していくためにおカネを得なけ
れば生きていけません。
しかし、ただ「お金儲け」だけなら、人を雇って
「稼ぐ」ためだけなら、それが本心ならちょっと
寂しいと感じるところがありますよね。
でも、この陶芸のお店の女性店長(経営者の身内の
方と聞いています)さん、もう以前に辞めた私の
彼女の名前を新聞で見て、そして観光客も多く訪れ
るお店を切り盛りしておられる中で、病院まで足を
運んでくれたことに、今でも感謝しています。
亡き彼女もそうだと思います(あの世から)
そういう気持ちをお持ちの店長の下で働けた彼女
も幸せだったことと思います。
普通は、日々地元新聞に目を通す経営者の方は多く
いても、観光名所で忙しいお店を切り盛りしている
方が、辞めた従業員のところへ来てはくれないと
思います。
それだけ、暖かな気持ちを持った女性店長さん。
そのお店はきっと素敵な思いを訪れるみなさんに
与えているのだと私はそう感じています。
・・・
懐かしいなぁと思いつつ、私も今週は亡き彼女の
法要へ。
北海道へ行ってきますね。
もう 1年経ちましたね。時の流れをとても早く感じます。
陶芸教室のインストラクターを
されていたのですか。思い出話しの中から、何となく芸術家さんっぽいイメージを想像
していました。嬉しいです。繊細な優しい方ですものね。
今年も法要へ行かれる 最愛の恋人を待っていらっしゃることでしょう。
北海道で どうぞゆっくりお過ごしください。
亡き彼女の命日やもう何年経ったかまで覚えていて頂き、とても嬉しくまた深く感謝いたしておりますm(_ _)m
もう丸7年も経ちました。。。
7年・・・もうそんなにも前の出来事になっていたのですね。
ちょうど、このブログをはじめたのが、まだ亡き彼女が元気に生きていた、そして事故の約1ヶ月前でした。
「ブログでも書いてみたら」と言われて、そうしてみようかと思い書き始めました。当時はミクシイが流行り始めた頃、フェイスブックなどはまだの頃でした。
まさか・・・6月8日に亡くなるなんて。。。
5月31日、いえ、正確には6月1日となった0:30頃にオーラの泉を見た彼女は、その6月1日の夜(20時頃)に事故を起して、8日に帰らぬ人となってしまいました。
5月31日の23時台に、私がうとうと寝ていると、オーラの泉を見ないの?前に面白かったといってたのに、と言われ、それでも寝ていると何か私の顔に当たるものが。
目を開けると、彼女が自分の髪の毛を私の顔に垂らして「私が死んだら、こんな感じで出てあげる」とニコニコ笑いながら言ったのを覚えています。
そこで、私は「怖いから、パソコンをしているとか、そんな姿で出てよ」と言うと、「小心者だねえ」と言われました。
葬儀が終わり、少し時間を空けたのちに、妹さんが彼女の部屋を片付けにきたとき、スイミングスクールの会員証があったので解約をと言われたので連絡をすると、すでに生前に亡き彼女が5月31日付でスイミングスクールの会員を解約していましたし、4月に勤めていた仕事(陶芸教室の後に行ったダイキン工業の派遣)を辞めて、健康保険証を持っていなかったので、病気になったら10割負担だから危ないと言っていたら、「長浜市役所行って、健康保険入ってきたよ」と彼女が言ったのは覚えていましたが、亡き彼女のお母さんが「これみてください」と見せられた保険証の加入日付が5月31日。
そして、6月2日には、陶芸教室の2階にある黒壁スクエアの事務所かお店で面接を受けることになっていました。
6月1日という日は、今までの彼女の区切りと新しく始まる彼女の人生のちょうど狭間、「何も、誰にも迷惑をかけない日」だったのです。
そして、陶芸教室(お土産屋でもあります)の女性店長にも見届けてもらい、この世を去った彼女。
亡き彼女が寝ていたベッドの枕元には、江原啓之さんの「幸運を引きよせるスピリチュアルブック」王様文庫が置いてありました。
・・・
法事も無事終わり、帰ってきました。
まだ北海道は寒いからでしょうか。いつも仏壇のある部屋で寝かせてもらうのですが、昼間は全然気づかなかったのですが、寝ていますと「ビシッ、バシッ」とずっと大きな音がしていました。ずっと気になるなか、そのうち寝てしまいました。
不思議なこともあるものですね。
これからもぼちぼちと歩んでいきますね。
暖かいお言葉ありがとうございます。
またお気軽にお立ち寄りください。
私は今年6年目…仕事どころか、体調崩してお恥ずかしい限りです(実家の世話なども重なり)。
私の彼の命日は9月9日。
彼女さんは6月8日なんですね。
陶芸されてたなんて、ステキな彼女ですね!
焦って数字の勉強をしている私にはステキな生き方だなぁと感じました。
こちらの世界にいらっしゃったら、習ってみたいです。
陶芸をはじめ、手作りの味のある作品大好きです。
私は彼女さんに伝えたいです。
お礼を言いたい。
結婚前に亡くした私に、若い友人たちは扱いに困っていました。私もボロボロ。
そんななか、こうして(ガンバル、とか乗り越えるとか、そんな言葉ではないですよね。)歩かれている管理人さんのブログに出会い、どれ程慰め、励まされていることか。
彼女さんがブログを始めたらと言葉を残してくれたお陰です。
お二人にありがとうです。
管理人さんも不思議な出来事だけでなく、きっと「ああ、居る」と初夏の北海道で暖かい気配を感じたのではないでしょうか。
ようやく、この3連休で休みが取れました。
経理の直属の上司が入院、そしてその1つ上の上司も救急車で運ばれるなど、上司が次々と倒れ、私がどうしても上司が行っていた仕事をしないといけなくなり、深夜まで働いていました。
北海道へ行けただけ、まだ良かったです。
2007年の夏さま、亡き彼女の命日まで、そして年数まで覚えてくれてて、とても有難く、そして感謝いたしますm(_ _)m
最愛の彼氏さん、9月9日ですか。。。私の兄はその日が誕生日です。
日にちには、人によって色々な想い出や意味があったりしますよね。
いつも亡き彼女の街、北海道へ行っているときに、母の誕生日を迎えます。
祝ってあげたい気持ちはありますが、そのような気持ちになれず、母の日を誕生日として何かしらのプレゼントをしています。。。
毎年、毎年、記憶に残るその日が来る。
色々と考えさせられますよね。
・・・
2007年の夏さま、数字の勉強ですか☆先立った彼氏さんもきっとあちらの世界から見てて、応援されていると思いますよ。
そうそう、私の前職(前々々職)の頃に出会い、今もたまに話をする60歳過ぎの方がよく言っていた言葉があります。
「頑張らない。でも、諦めない」
たぶん、私の「ぼちぼちと歩んで行こう」という言葉は、ここから来ているように思います。
亡き彼女も当時、「おっちゃんいい事言うね」と言っていたように思います。
亡き彼女の想い出は、また少しづつブログに書いて行きますね。
2007年の夏さま、結婚前に最愛の彼氏さんを亡くされた辛い思い、とてもよく分かります。。。
私もりそな銀行で借入して、彦根駅近くの中古の分譲マンションを買う手はずをしていました。亡き彼女も部屋を見てOKと言ってくれていました。そして、いつかは長女なので一緒に北海道へ行くと約束していました。
彼女の死から、すべてが止まり、すべてが消えて行きました。
ただ、母が、いつだったか、彼女の死後ですが、母が私の当時の住まい(賃貸)に電話したとき、亡き彼女が電話に出て、私は私の地元へ帰るほうが幸せ、帰ったほうがよいと思う等と話をしたと聞きました。
なぜそのようなことを言ったのか、それは分かりません。
不思議な言葉を残して去って行った彼女には、またいつの日か、見えない世界で逢ったときには、じっくりと話をしたいと思います。
2007年の夏さま、とにかくお互いぼちぼちと一歩づつ、ですね☆