また、少しの間出掛けてきます。
仮称:田中さんの様子を見に行って来るのですが、今は私の再就職のことなど、逆
に私のほうこそ心配されています。
ご本人は内面ではまだまだ色々な葛藤があるようですが、依然とは比べものになら
ないくらいお元気になられているようです。
よくぞ乗り越えてくれた!と嬉しい限りです。
私にとっては、今までも、また今でも、そしてこれからもとても大切な方です。
なんせ、亡き彼女が生前「私が死んだら、仮称:田中さんに頼ったら・・・」とご
指名までしていた方ですからね。
でも、つくづく不思議だなぁと思います。
だいたい、私の彼女と仮称:田中さんは直接話をしたことがありません。
それなのに、
まず、私の彼女が意識不明のとき、仮称:田中さんに事情を説明すると、身内以上
に親身になって対応をしていただきました。
そこまではさすがに・・・と思うところまで。
とても有り難かったです。
その後も、とにかく亡き彼女のことを真剣に思ってくれました。
はじめて出会ってからその後随分と(4年間)お会いしていなかった間柄だったのに。
ご縁というものなのでしょうね。
それに、その縁に頼ってすがってきた私を受け容れて、自分のことのように思って
くれた仮称:田中さんには感謝しないといけませんね。
元気になってくれたのちは、今度は幸せになってもらわないといけません。
それは、1つは愛情からというものであり、もう1つは昨年4月に久し振りにお会
いした際、仮称:田中さんの症状に気がついていたのに、そのときの私は彼女と幸
せに過ごしていたので、見て見ぬ振りをしてしまったという後悔の念からという2
つの気持ちからです。
振り返ってみると、
「相手は、真剣に考えそして思ってくれていた気持ちと比べて私は・・・どうだっ
たのか?」と思うところが多いんですよね。。。
自分のできることはしたい、しないと気が済まない、すっきりしない、
だから、動こうとする自分があるというのが、今の私です。
ただ・・・
忘れてはならないこと。
それは「自分自身のこと」です。
相手にとって逆に重荷になっているようなところもあることに、気づきました。
私自身が地に足をつけて(ちゃんと働いて)、そして仮称:田中さんと接するとい
う姿がどうも大切なようです。
だから、今回お会いしたら、その後は、私自身も気持ちを切り替えて、とにかく定
職に就くよう努力したいと思います。
私としては、別に今私がふらふらしているのは、決して仮称:田中さんの件があっ
たからではないのですがね。
ちょっと、区切りも置きたかったですし、これからを考える時間も自分自身が必要
としていたという面もありますし。
ただ、余計な心配をさせちゃ、せっかく元気を取り戻してきた仮称:田中さんを以
前に引き戻すことになってはと思い、
「お言葉に甘えて・・・自分自身のことを考えますね」
と告げてきたいと思っています。
今の仮称:田中さんにとってそれが良薬となるのならば、私としても有り難いこと
ですし。
・・・
少し話はそれますが・・・
今、私は17年振りに実家に戻っており、今日は高校時代の友人と懐かしい思い出
のあるお好み焼き屋さんへ行ってきました。
ですが、どうも私はふら~っとどこかへ行きたくなるんですよね。
知らない街に。(でも、知らないところへ住んで生きるのには不安な気持ちはあり
ますよ)
一人で行くのは寂しい。
でも、自分のことを知らないところへも行ってみたい。
でもでも・・・知っている人のところへくっついてもいたい。
亡き彼女のご家族のことも気になるので北海道にも居たい、仮称:田中さんのこれ
からも気になるので田中さんの街にも居たい、母親のことも気になるので実家にも
居たい、でもどこかへ行きたいって気持ちもある。。。
「知~らない街を、歩いてみ~たぁい、どこか遠~くへ飛んで行きた~い♪」
って歌詞の歌、ありましたよね。
自分の中で、そんなところがあるなぁと感じるときがあります。
正直、自分自身、何がしたいのかよく分からないんです。
「必要とされたら、そこへ行く」
それじゃぁ、流されて生きてきただけなの?
と考えてみると、意外とそうでもないんですよね。
私自身が決めて進んだ道も多々ありますから。
まぁ、また帰ってきたら身の振り方も含めて考えます。
では、また。
そうそう、高速も使いますけど、明日は深夜にR2号線を走って、
岡山の国道沿いのあの緑のボウリングピンのボウリング場の前を通り、
JR相生駅の向い側のローソンでからあげ君のレッドを買い、姫路バイ
パス、加古川バイパス、第二神明、阪神高速、名神を走っていきます。
私は、よく仮眠のため「姫路サービスエリヤ」で途中寝ています。
なぜ「ア」じゃなく「ヤ」なのか20歳の頃から気になって・・・不思議です。
仮称:田中さんの様子を見に行って来るのですが、今は私の再就職のことなど、逆
に私のほうこそ心配されています。
ご本人は内面ではまだまだ色々な葛藤があるようですが、依然とは比べものになら
ないくらいお元気になられているようです。
よくぞ乗り越えてくれた!と嬉しい限りです。
私にとっては、今までも、また今でも、そしてこれからもとても大切な方です。
なんせ、亡き彼女が生前「私が死んだら、仮称:田中さんに頼ったら・・・」とご
指名までしていた方ですからね。
でも、つくづく不思議だなぁと思います。
だいたい、私の彼女と仮称:田中さんは直接話をしたことがありません。
それなのに、
まず、私の彼女が意識不明のとき、仮称:田中さんに事情を説明すると、身内以上
に親身になって対応をしていただきました。
そこまではさすがに・・・と思うところまで。
とても有り難かったです。
その後も、とにかく亡き彼女のことを真剣に思ってくれました。
はじめて出会ってからその後随分と(4年間)お会いしていなかった間柄だったのに。
ご縁というものなのでしょうね。
それに、その縁に頼ってすがってきた私を受け容れて、自分のことのように思って
くれた仮称:田中さんには感謝しないといけませんね。
元気になってくれたのちは、今度は幸せになってもらわないといけません。
それは、1つは愛情からというものであり、もう1つは昨年4月に久し振りにお会
いした際、仮称:田中さんの症状に気がついていたのに、そのときの私は彼女と幸
せに過ごしていたので、見て見ぬ振りをしてしまったという後悔の念からという2
つの気持ちからです。
振り返ってみると、
「相手は、真剣に考えそして思ってくれていた気持ちと比べて私は・・・どうだっ
たのか?」と思うところが多いんですよね。。。
自分のできることはしたい、しないと気が済まない、すっきりしない、
だから、動こうとする自分があるというのが、今の私です。
ただ・・・
忘れてはならないこと。
それは「自分自身のこと」です。
相手にとって逆に重荷になっているようなところもあることに、気づきました。
私自身が地に足をつけて(ちゃんと働いて)、そして仮称:田中さんと接するとい
う姿がどうも大切なようです。
だから、今回お会いしたら、その後は、私自身も気持ちを切り替えて、とにかく定
職に就くよう努力したいと思います。
私としては、別に今私がふらふらしているのは、決して仮称:田中さんの件があっ
たからではないのですがね。
ちょっと、区切りも置きたかったですし、これからを考える時間も自分自身が必要
としていたという面もありますし。
ただ、余計な心配をさせちゃ、せっかく元気を取り戻してきた仮称:田中さんを以
前に引き戻すことになってはと思い、
「お言葉に甘えて・・・自分自身のことを考えますね」
と告げてきたいと思っています。
今の仮称:田中さんにとってそれが良薬となるのならば、私としても有り難いこと
ですし。
・・・
少し話はそれますが・・・
今、私は17年振りに実家に戻っており、今日は高校時代の友人と懐かしい思い出
のあるお好み焼き屋さんへ行ってきました。
ですが、どうも私はふら~っとどこかへ行きたくなるんですよね。
知らない街に。(でも、知らないところへ住んで生きるのには不安な気持ちはあり
ますよ)
一人で行くのは寂しい。
でも、自分のことを知らないところへも行ってみたい。
でもでも・・・知っている人のところへくっついてもいたい。
亡き彼女のご家族のことも気になるので北海道にも居たい、仮称:田中さんのこれ
からも気になるので田中さんの街にも居たい、母親のことも気になるので実家にも
居たい、でもどこかへ行きたいって気持ちもある。。。
「知~らない街を、歩いてみ~たぁい、どこか遠~くへ飛んで行きた~い♪」
って歌詞の歌、ありましたよね。
自分の中で、そんなところがあるなぁと感じるときがあります。
正直、自分自身、何がしたいのかよく分からないんです。
「必要とされたら、そこへ行く」
それじゃぁ、流されて生きてきただけなの?
と考えてみると、意外とそうでもないんですよね。
私自身が決めて進んだ道も多々ありますから。
まぁ、また帰ってきたら身の振り方も含めて考えます。
では、また。
そうそう、高速も使いますけど、明日は深夜にR2号線を走って、
岡山の国道沿いのあの緑のボウリングピンのボウリング場の前を通り、
JR相生駅の向い側のローソンでからあげ君のレッドを買い、姫路バイ
パス、加古川バイパス、第二神明、阪神高速、名神を走っていきます。
私は、よく仮眠のため「姫路サービスエリヤ」で途中寝ています。
なぜ「ア」じゃなく「ヤ」なのか20歳の頃から気になって・・・不思議です。
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