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朝日新聞
(報われぬ国)都会が吸い込む高齢者 呼び寄せ移住
2014年3月9日22時52分
ビジネスセンターなどが立ち並ぶ千葉市の
「幕張ベイタウン」。そのなかのマンション群の一角
に、3階建てのサービス付き高齢者住宅(サ高住)
がある。
シリーズ「報われぬ国」
「住めば都と思って、ここで生きていこうとね」。
その一室に住む大薗佐代子さん(73)は手芸の手を
休めて、窓の外を眺めた。
夫の菊雄さん(74)とともに、長年住んだ福岡県
大野城市から移って半年がたつ。部屋にはベッド二つ
と小さなソファ。ほかに台所と洗面所、トイレがある
約25平方メートルがついのすみかだ。入居58人の
うち、北海道や秋田、石川、兵庫、福岡など地方から
移ってきた高齢者が2割を占める。
近くのマンションに住む長男の穂積さん(51)から
ずっと誘われていたが、気が進まなかった。「近所に
友達もいるし、いまさら知らない所に行くのもねえ」。
だが、菊雄さんが心臓を手術し、佐代子さんも脳梗塞
(こうそく)で倒れたため、昨年秋、穂積さんに引っ
張られるようにして出てきた。
「離れていては何もできない。病院にずっとはいられ
ないし、自宅に戻っても2人とも介護が要る。車がな
いと何もできない場所に老夫婦だけ置いておけない」。
穂積さんは言う。
自宅がある大野城市の住宅地には、一戸建て住宅が並ぶ。
だが、この数年はくしの歯が欠けるように空き家が増え
ていく。
2月のある日、坂道を買い物袋を両手に提げた女性
(78)が上っていた。バス停から自宅までは70~
80メートル。「年々、長く感じられて」と、一息
いれる。
「年寄りロード」。地元でそう呼ばれる県道沿いには、
2キロほどの間に老人ホームなどの施設が4、5棟並ぶ。
だが、費用が安い特別養護老人ホームは「だいたい
1年待ち。地元を離れるお年寄りはどんどん増えるだろう」。
ある施設の職員は言う。
幕張ベイタウンのサ高住には、こうした地方から高齢者
が移り住んでくる。
・・・
このような介護に絡む問題や影だけでなく、やはり「人」
とは、ある面「損得」や「利便性」だけでは割り切れない
ものが、日々の生活の中にあるのだなぁと、この記事を
読んでいて、そう感じました。
普段、何気なく過ごしている地域や街。
そこを離れるということは、金銭的なことだけでなく、
見えないところで、金銭では測れない負担(慣れ親しんだ
土地を離れる・知らない街で知り合いもほとんど居ない
土地で暮らす=心労etc)を抱えることになるのですよね。
・・・
私も、孤独、孤立ではありませんが、過去を振り返ります
と、大学生活を終えて、社会人となり、勤務する街へ
行ったときに、どこか寂しさを感じましたね。
ただ、日中は「職場」という中で、営業成績にも追われ
ながらの生活でしたので、黄昏れている暇や心の余裕など
はありませんでした。
自分の受け持ちのエリアを休日に走ってみたりしながら
「この場所」「その雰囲気」に慣れるために必死で着いて
行くような勢いで、溶け込もうとしたのを覚えています。
また、新卒で就職した銀行を辞めて、京都へ行き、パート
で税理士事務所で働いたときもそうでした。
職場では、あれこれと話しをしたり、たまには飲みに
行ったりしましたが、あとのoffの時間は、孤独なもの
でした。
大学院へ進み、夜間アルバイトをして生活していたとき
にも、ふと一人でいると、「大学院で知り合ったという
繋がり(学友)」や「バイトで知り合った人々(仕事関係)」
を除くと、意外と孤独なものだなと思ったことがあります。
その後は、亡き彼女が居てくれましたので、彼女と
楽しく過ごしていければそれでいいという感じでした。
不動産関連の会社で、休みに同じ職場の人の住まいへ
行ったり、一緒に温泉に行ったり、出かけたり、
そして亡き彼女とドライブにいったりと、職場繋がりか
亡き彼女と共にお出かけで、十分余暇は過ごせました。
・・・
地元に帰ってきましたら、地元の友人と出かけるという
ことも増えましたし、また新たな職場での付き合いで、
飲みに行ったり、遊びに出かけたりと、職場繋がりと
同級生の友人との繋がりで人と接する機会が多々あり
ます。
昨日の夜は仕事関係での飲み、今日は久しぶりにガス
スタの洗車機ではなく、自宅で洗車していてご近所さん
と話をしたりなど、職場、地元の友人、ご近所さんなど
縁あって、色々な人と関わりあっています。
今週の金・土も慰労会と送別会があります。
・・・
過去を振り返りますと、孤独な時間を過ごすこともあり
ましたが、何かしらの「繋がり」「縁」で社友なり
学友なりがいましたが、この記事のような老後に移住
して、生活は豊かであっても孤立・孤独のような状態
というのは、空虚感や孤独感で、心が澄み渡らない、
何か心が満たされないことと思います。
親の介護だけしていては、自身の生活が成り立たない。
親を呼び寄せて、近くで面倒を見る。
このような状況に置かれ移住することとなった親は、見方
によれば、まだまだ幸せで、良い息子や娘を持ったもの
だと言えることと思います。
しかし、普段の生活に不自由が無い代わりにに、空虚感
や孤独感を背負う。
また、遠方で働き、生計を立てている子供の負担や邪魔
にならないために移住して知らない街に住む。
そこまでのフォローは、お金では解決し切れないもの
だと思います。
慣れ親しんだ街で最後を迎える。
それは、最高、最上、至上の喜び・幸せなのかも知れ
ません。
しかし、今の世の中、世情がそうはさせてくれない=
試練だとも言えます。
すべてが丸く、そして上手く収まるのに越したことは
ありませんが、何かを優先すれば何かが犠牲になる、
これは避けられないことでもあると思います。
・・・
離れてみて、または手放してしまってから分かることって
たくさんありますよね。
後悔したり、他人の芝のほうが良く見えたり、悩んだり。
・・・
何を優先すべきかは、それぞれの家庭環境や家庭の事情
で異なりますが、このような記事を見ていると、やはり
「人は一人(孤独)では生きていけない」のかも知れない
なぁと感じます。
私は、知らない街で一人黙々とやってきたときもあります
ので、多少の免疫(孤独・孤立に対して)はあると自負
しています。
しかし、今まで旅行以外に外へ出て、他の地に住んだこと
のない人にとっては、相当な精神的ストレスなのだと
思います。
しかし、またそれもその人にとっての試練なのでしょうね。
改めて、人と関わることや繋がりを持つ(繋がりがある)
ことの大切さを感じました。
良い時も、辛い時もある。。。
人生、長い目で見るとプラスマイナスゼロなのでしょう。
(報われぬ国)都会が吸い込む高齢者 呼び寄せ移住
2014年3月9日22時52分
ビジネスセンターなどが立ち並ぶ千葉市の
「幕張ベイタウン」。そのなかのマンション群の一角
に、3階建てのサービス付き高齢者住宅(サ高住)
がある。
シリーズ「報われぬ国」
「住めば都と思って、ここで生きていこうとね」。
その一室に住む大薗佐代子さん(73)は手芸の手を
休めて、窓の外を眺めた。
夫の菊雄さん(74)とともに、長年住んだ福岡県
大野城市から移って半年がたつ。部屋にはベッド二つ
と小さなソファ。ほかに台所と洗面所、トイレがある
約25平方メートルがついのすみかだ。入居58人の
うち、北海道や秋田、石川、兵庫、福岡など地方から
移ってきた高齢者が2割を占める。
近くのマンションに住む長男の穂積さん(51)から
ずっと誘われていたが、気が進まなかった。「近所に
友達もいるし、いまさら知らない所に行くのもねえ」。
だが、菊雄さんが心臓を手術し、佐代子さんも脳梗塞
(こうそく)で倒れたため、昨年秋、穂積さんに引っ
張られるようにして出てきた。
「離れていては何もできない。病院にずっとはいられ
ないし、自宅に戻っても2人とも介護が要る。車がな
いと何もできない場所に老夫婦だけ置いておけない」。
穂積さんは言う。
自宅がある大野城市の住宅地には、一戸建て住宅が並ぶ。
だが、この数年はくしの歯が欠けるように空き家が増え
ていく。
2月のある日、坂道を買い物袋を両手に提げた女性
(78)が上っていた。バス停から自宅までは70~
80メートル。「年々、長く感じられて」と、一息
いれる。
「年寄りロード」。地元でそう呼ばれる県道沿いには、
2キロほどの間に老人ホームなどの施設が4、5棟並ぶ。
だが、費用が安い特別養護老人ホームは「だいたい
1年待ち。地元を離れるお年寄りはどんどん増えるだろう」。
ある施設の職員は言う。
幕張ベイタウンのサ高住には、こうした地方から高齢者
が移り住んでくる。
・・・
このような介護に絡む問題や影だけでなく、やはり「人」
とは、ある面「損得」や「利便性」だけでは割り切れない
ものが、日々の生活の中にあるのだなぁと、この記事を
読んでいて、そう感じました。
普段、何気なく過ごしている地域や街。
そこを離れるということは、金銭的なことだけでなく、
見えないところで、金銭では測れない負担(慣れ親しんだ
土地を離れる・知らない街で知り合いもほとんど居ない
土地で暮らす=心労etc)を抱えることになるのですよね。
・・・
私も、孤独、孤立ではありませんが、過去を振り返ります
と、大学生活を終えて、社会人となり、勤務する街へ
行ったときに、どこか寂しさを感じましたね。
ただ、日中は「職場」という中で、営業成績にも追われ
ながらの生活でしたので、黄昏れている暇や心の余裕など
はありませんでした。
自分の受け持ちのエリアを休日に走ってみたりしながら
「この場所」「その雰囲気」に慣れるために必死で着いて
行くような勢いで、溶け込もうとしたのを覚えています。
また、新卒で就職した銀行を辞めて、京都へ行き、パート
で税理士事務所で働いたときもそうでした。
職場では、あれこれと話しをしたり、たまには飲みに
行ったりしましたが、あとのoffの時間は、孤独なもの
でした。
大学院へ進み、夜間アルバイトをして生活していたとき
にも、ふと一人でいると、「大学院で知り合ったという
繋がり(学友)」や「バイトで知り合った人々(仕事関係)」
を除くと、意外と孤独なものだなと思ったことがあります。
その後は、亡き彼女が居てくれましたので、彼女と
楽しく過ごしていければそれでいいという感じでした。
不動産関連の会社で、休みに同じ職場の人の住まいへ
行ったり、一緒に温泉に行ったり、出かけたり、
そして亡き彼女とドライブにいったりと、職場繋がりか
亡き彼女と共にお出かけで、十分余暇は過ごせました。
・・・
地元に帰ってきましたら、地元の友人と出かけるという
ことも増えましたし、また新たな職場での付き合いで、
飲みに行ったり、遊びに出かけたりと、職場繋がりと
同級生の友人との繋がりで人と接する機会が多々あり
ます。
昨日の夜は仕事関係での飲み、今日は久しぶりにガス
スタの洗車機ではなく、自宅で洗車していてご近所さん
と話をしたりなど、職場、地元の友人、ご近所さんなど
縁あって、色々な人と関わりあっています。
今週の金・土も慰労会と送別会があります。
・・・
過去を振り返りますと、孤独な時間を過ごすこともあり
ましたが、何かしらの「繋がり」「縁」で社友なり
学友なりがいましたが、この記事のような老後に移住
して、生活は豊かであっても孤立・孤独のような状態
というのは、空虚感や孤独感で、心が澄み渡らない、
何か心が満たされないことと思います。
親の介護だけしていては、自身の生活が成り立たない。
親を呼び寄せて、近くで面倒を見る。
このような状況に置かれ移住することとなった親は、見方
によれば、まだまだ幸せで、良い息子や娘を持ったもの
だと言えることと思います。
しかし、普段の生活に不自由が無い代わりにに、空虚感
や孤独感を背負う。
また、遠方で働き、生計を立てている子供の負担や邪魔
にならないために移住して知らない街に住む。
そこまでのフォローは、お金では解決し切れないもの
だと思います。
慣れ親しんだ街で最後を迎える。
それは、最高、最上、至上の喜び・幸せなのかも知れ
ません。
しかし、今の世の中、世情がそうはさせてくれない=
試練だとも言えます。
すべてが丸く、そして上手く収まるのに越したことは
ありませんが、何かを優先すれば何かが犠牲になる、
これは避けられないことでもあると思います。
・・・
離れてみて、または手放してしまってから分かることって
たくさんありますよね。
後悔したり、他人の芝のほうが良く見えたり、悩んだり。
・・・
何を優先すべきかは、それぞれの家庭環境や家庭の事情
で異なりますが、このような記事を見ていると、やはり
「人は一人(孤独)では生きていけない」のかも知れない
なぁと感じます。
私は、知らない街で一人黙々とやってきたときもあります
ので、多少の免疫(孤独・孤立に対して)はあると自負
しています。
しかし、今まで旅行以外に外へ出て、他の地に住んだこと
のない人にとっては、相当な精神的ストレスなのだと
思います。
しかし、またそれもその人にとっての試練なのでしょうね。
改めて、人と関わることや繋がりを持つ(繋がりがある)
ことの大切さを感じました。
良い時も、辛い時もある。。。
人生、長い目で見るとプラスマイナスゼロなのでしょう。
少し前からこちらへ訪問させていただいております。
たくさんの記事に癒されています。
人生はプラスマイナスゼロ、私もそう考えたいです。
返信が遅くなりまして、すみません。
最近はスピリチュアルな話が全然書けず、日々思ったことや感じたことばかりですが、また是非ともお気軽にお立ち寄りください。
人生・・・最後に振り返ってみると、良いこともあれば、辛いことや悪いことなど、結局はプラスマイナスゼロになっているように思います。
今は、今、ここ、自分(あいだみつを)で一歩づつ歩んで行くほかないですけどね。
またチビ猫さまのHPも立ち寄らせて頂きますね☆
コメントありがとうございました。