フリーアナウンサー川田亜子さんが自殺
5月26日17時15分配信 オーマイニュース
テレビのフリーアナウンサー・川田亜子さん(29)が26日午前6時15分頃、所属事
務所の乗用車の運転席で亡くなっているのが発見された。東京都港区海岸3丁目の
路上で、近くの会社員から110番通報があった。警視庁の調べだと、死因は一酸化
炭素中毒とみられ、家族にあてた遺書のようなものがあった。自殺とみられている。
川田さんは金沢市出身。白百合女子大を卒業後、2002年にTBSにアナウンサーとし
て入社。『はなまるマーケット』や『2時っチャオ!』などの情報番組を担当して
いた。しかし、報道志望を理由に、07年3月に退職し、フリーアナウンサーとなった。
最近では、テレビ朝日の『サンデースクランブル』や、 TBSの『がっちりマンデー!!』、
BS朝日の『鳥越俊太郎 医療の現場!』にも出演していた。
TBSの関係者は、
「今日は江東区での女性行方不明事件の取材等があって、私も午後になってからそ
のニュースを知りました。上はバタバタしているようですが、報道以上のことはま
ったくわかりません」
と話すだけだった。
川田さんの死は、出身番組の「2時っチャオ!」でも取りあげられ、司会でアナウ
ンサーの久保田智子さんが、後輩の死を伝えるニュースを読み上げ、「明るかった
けど人付き合いとかに不器用な面があった」と話した。その後、もう1人の司会の
恵俊彰さんが「明るい姿しか見ていなかっただけに本当にびっくり、残念です」な
どとコメントを残した。
TBSを退職前には、転職コラム「ジョブステ チャレンジする人へのメッセージ」
(05年10月号)で、ストレスから急性胃腸炎となり、番組を休むようになったこと
で、スタッフには「川田は身体が弱い」と思われた、という。そのことで、
「悩んで悩みました。会社を辞めようと思ったくらいです。でもどうにかなるでし
ょうし、引きずっていても仕事になりません。金沢の人って我慢強いんですよ。最
近は実家へよく帰っています。帰ると元気になれますから」
とコメントしている。
川田さんは公式ブログ『Ako's style』を05年12月17日付で開設。06年1月ごろには
体調を崩し、「元気がとりえなのに、ダウンしてしまいました。高熱とリンパ腺の
腫れでかなり苦戦しましたが、なんとか今日仕事復帰できました」(31日付)と綴
っていた。
さらに、フリーになってからも体調不良は続き、日刊現代(08年5月20日)では、
ブログで書いている内容で心配されている、と報じられていた。また、週刊新潮
(08年5月29日号)でも、「私は悪魔になった」とブログに書いた、と報道されてい
た。記事によると、5月12日付けの日記では
<母の日に私は悪魔になってしまいました。生んでくれた母に、生きている意味を
聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりませんでした。母の涙が耳の奥で
響いているのです>
などとあったが、新潮が所属事務所に問い合わせた後に、この部分は削除された。
しかし、その後も、不安を綴った内容は続いており、
<体調が悪く、元気がないなか、仕事を下さった方、一緒にして仕事をして下さる
方、みなさんに感謝の気持ちと元気になりました。と報告したく、書かせていただ
きました。これからもよろしくお願いします>(16日付「この頃」)
<でてこないので、今日は書くのをやめようと思います。夜風に吹かれながら、た
そがれ、ほんの少しの幸せを感じ みなさんにとっても素敵な夜になりますよう
に…。>(21日付「言葉が」)
<一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかっ
たのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている
方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。>(22日付
「仕事の合間」)
といった内容で、24日付が最後の日記だった。
そうした中、ブログにコメントするファンらは共感的で暖かく応援したり、励ます
内容が多かった。
・・・
ニュースの記事を読んで、私は、
頑張り屋さんだった方でさえ、ご自身の身体がどうにもこうにも
思うようにならず、その精神的な不安定さと苦痛から死を選んでしまった。。。
ということのように受け止めました。
「自ら死を選ぶ」という行為を、
真剣に考え、死と向き合った際には、私はどれだけ死にたいと思ったとしても
やっぱり怖くて死ねません。
苦しいでしょうし、痛いでしょうし、不安でしょうし、死ぬ瞬間というものは
どんな死に方であっても、最大の苦痛であり壮絶なものだと思います。
その中でも、「自ら死を選ぶ」
となると、並大抵のことではないでしょう。
でも・・・それでも、「死ぬ」と決めて死に臨む。
・・・
そこまでの覚悟で「死」に挑んだことがないので、自殺した方の苦しみや悩み
抜いた末、選んだ死というものの壮絶さは・・・あなたに何がわかるのか!と
言われれば、確かに分からないです。
「よほどのこと」
「悩み抜いた末、選んだ道」
なのでしょう。
でも・・・でもですね、
死のうと思っている方、ちょっと待ってください。
人はいつかは「必ず」死にます。
死のうと思い、それを乗り越えて生き抜き、
死にたくないと思える日が来ていても、いつかは「必ず」死ぬ生き物です。
死なない人は誰一人いません。
となると、死んで無になるのであれば、いつかは嫌でも無になれます。
しかし・・・
このブログで取り上げているような「あの世の世界」「死後の世界」が
もしあったなら、
私は、
「あぁ、こういうことだったのか」
「肉体を持って物質界に生きていたのには、それなりの意味や意義が
あったのか」
と、誰しもそう思うと思います。
また一からやり直しか・・・
と、落胆するかも知れません。
反省するかも知れません。
後悔するかも知れません。
しかし、そんなことよりも、
「こんな世界があったのか!」
と知って、まず驚愕するのは間違いありませんよね。
その後、各人が各々反省したり内観したりするのかも知れませんが、
もしも
「無にはなれなかったら・・・」
「見えない世界が本当にあったら・・・」
「死んでも生きていたら・・・」
という見方で少しでもこの世に生きているということを考えてみることが
出来れば、いつかは必ず訪れる「死ぬとき」まで、どんなに思い通りに行かなく
ても、カッコ悪い生き方でも、輝いていないような人生でも、それはそれで
生きれる分だけ生きてみればいいんじゃないかなと思えるのではないでしょうか。
もし、あの世という世界が存在していたなら、
「とにかく生き抜いたし、次はどうしようかな」
と、自ら命を絶つという行為をとらなかった分、さっぱりとこの世ともおさらば
できるでしょうから。
(実際には、何だかんだ言いながら生き抜いたなら、死ぬのが惜しいと臨終の
間際に思うでしょうけどね)
生きる・生き抜く=カッコよく、素晴らしい生き方や人生を送らなければならない
なんて決まりなどはないのですからね。
いいとこ(世間的に良いと言われる学校等)を出て、
いいとこに就職して、
家庭と持ち家を持って、
老後は、ゆったりと孫に囲まれて過ごす
などという道が素敵であり、皆が目指すべき、模範とすべき道である
なんて法則や決まりがあるわけではないのですから。
「カタチ」なんて、有ってないようなもの。
何が幸せで何が不幸せという基準もありません。
多少裕福な生活をしていて、自分は幸せだと思っている方がいたとして・・・
アラブの大富豪がその生活水準まで身を落とすと、
「なんて貧しい生活で不幸せなんだ・・・」と言うかも知れませんしね。
自分の固定概念や想像で作り上げた「あるべき姿」
にこだわり過ぎず、とにかくあの世から「もう終わりだよ」お迎えが
来るまでは生き抜いてみましょうよ。
5月26日17時15分配信 オーマイニュース
テレビのフリーアナウンサー・川田亜子さん(29)が26日午前6時15分頃、所属事
務所の乗用車の運転席で亡くなっているのが発見された。東京都港区海岸3丁目の
路上で、近くの会社員から110番通報があった。警視庁の調べだと、死因は一酸化
炭素中毒とみられ、家族にあてた遺書のようなものがあった。自殺とみられている。
川田さんは金沢市出身。白百合女子大を卒業後、2002年にTBSにアナウンサーとし
て入社。『はなまるマーケット』や『2時っチャオ!』などの情報番組を担当して
いた。しかし、報道志望を理由に、07年3月に退職し、フリーアナウンサーとなった。
最近では、テレビ朝日の『サンデースクランブル』や、 TBSの『がっちりマンデー!!』、
BS朝日の『鳥越俊太郎 医療の現場!』にも出演していた。
TBSの関係者は、
「今日は江東区での女性行方不明事件の取材等があって、私も午後になってからそ
のニュースを知りました。上はバタバタしているようですが、報道以上のことはま
ったくわかりません」
と話すだけだった。
川田さんの死は、出身番組の「2時っチャオ!」でも取りあげられ、司会でアナウ
ンサーの久保田智子さんが、後輩の死を伝えるニュースを読み上げ、「明るかった
けど人付き合いとかに不器用な面があった」と話した。その後、もう1人の司会の
恵俊彰さんが「明るい姿しか見ていなかっただけに本当にびっくり、残念です」な
どとコメントを残した。
TBSを退職前には、転職コラム「ジョブステ チャレンジする人へのメッセージ」
(05年10月号)で、ストレスから急性胃腸炎となり、番組を休むようになったこと
で、スタッフには「川田は身体が弱い」と思われた、という。そのことで、
「悩んで悩みました。会社を辞めようと思ったくらいです。でもどうにかなるでし
ょうし、引きずっていても仕事になりません。金沢の人って我慢強いんですよ。最
近は実家へよく帰っています。帰ると元気になれますから」
とコメントしている。
川田さんは公式ブログ『Ako's style』を05年12月17日付で開設。06年1月ごろには
体調を崩し、「元気がとりえなのに、ダウンしてしまいました。高熱とリンパ腺の
腫れでかなり苦戦しましたが、なんとか今日仕事復帰できました」(31日付)と綴
っていた。
さらに、フリーになってからも体調不良は続き、日刊現代(08年5月20日)では、
ブログで書いている内容で心配されている、と報じられていた。また、週刊新潮
(08年5月29日号)でも、「私は悪魔になった」とブログに書いた、と報道されてい
た。記事によると、5月12日付けの日記では
<母の日に私は悪魔になってしまいました。生んでくれた母に、生きている意味を
聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりませんでした。母の涙が耳の奥で
響いているのです>
などとあったが、新潮が所属事務所に問い合わせた後に、この部分は削除された。
しかし、その後も、不安を綴った内容は続いており、
<体調が悪く、元気がないなか、仕事を下さった方、一緒にして仕事をして下さる
方、みなさんに感謝の気持ちと元気になりました。と報告したく、書かせていただ
きました。これからもよろしくお願いします>(16日付「この頃」)
<でてこないので、今日は書くのをやめようと思います。夜風に吹かれながら、た
そがれ、ほんの少しの幸せを感じ みなさんにとっても素敵な夜になりますよう
に…。>(21日付「言葉が」)
<一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかっ
たのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている
方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。>(22日付
「仕事の合間」)
といった内容で、24日付が最後の日記だった。
そうした中、ブログにコメントするファンらは共感的で暖かく応援したり、励ます
内容が多かった。
・・・
ニュースの記事を読んで、私は、
頑張り屋さんだった方でさえ、ご自身の身体がどうにもこうにも
思うようにならず、その精神的な不安定さと苦痛から死を選んでしまった。。。
ということのように受け止めました。
「自ら死を選ぶ」という行為を、
真剣に考え、死と向き合った際には、私はどれだけ死にたいと思ったとしても
やっぱり怖くて死ねません。
苦しいでしょうし、痛いでしょうし、不安でしょうし、死ぬ瞬間というものは
どんな死に方であっても、最大の苦痛であり壮絶なものだと思います。
その中でも、「自ら死を選ぶ」
となると、並大抵のことではないでしょう。
でも・・・それでも、「死ぬ」と決めて死に臨む。
・・・
そこまでの覚悟で「死」に挑んだことがないので、自殺した方の苦しみや悩み
抜いた末、選んだ死というものの壮絶さは・・・あなたに何がわかるのか!と
言われれば、確かに分からないです。
「よほどのこと」
「悩み抜いた末、選んだ道」
なのでしょう。
でも・・・でもですね、
死のうと思っている方、ちょっと待ってください。
人はいつかは「必ず」死にます。
死のうと思い、それを乗り越えて生き抜き、
死にたくないと思える日が来ていても、いつかは「必ず」死ぬ生き物です。
死なない人は誰一人いません。
となると、死んで無になるのであれば、いつかは嫌でも無になれます。
しかし・・・
このブログで取り上げているような「あの世の世界」「死後の世界」が
もしあったなら、
私は、
「あぁ、こういうことだったのか」
「肉体を持って物質界に生きていたのには、それなりの意味や意義が
あったのか」
と、誰しもそう思うと思います。
また一からやり直しか・・・
と、落胆するかも知れません。
反省するかも知れません。
後悔するかも知れません。
しかし、そんなことよりも、
「こんな世界があったのか!」
と知って、まず驚愕するのは間違いありませんよね。
その後、各人が各々反省したり内観したりするのかも知れませんが、
もしも
「無にはなれなかったら・・・」
「見えない世界が本当にあったら・・・」
「死んでも生きていたら・・・」
という見方で少しでもこの世に生きているということを考えてみることが
出来れば、いつかは必ず訪れる「死ぬとき」まで、どんなに思い通りに行かなく
ても、カッコ悪い生き方でも、輝いていないような人生でも、それはそれで
生きれる分だけ生きてみればいいんじゃないかなと思えるのではないでしょうか。
もし、あの世という世界が存在していたなら、
「とにかく生き抜いたし、次はどうしようかな」
と、自ら命を絶つという行為をとらなかった分、さっぱりとこの世ともおさらば
できるでしょうから。
(実際には、何だかんだ言いながら生き抜いたなら、死ぬのが惜しいと臨終の
間際に思うでしょうけどね)
生きる・生き抜く=カッコよく、素晴らしい生き方や人生を送らなければならない
なんて決まりなどはないのですからね。
いいとこ(世間的に良いと言われる学校等)を出て、
いいとこに就職して、
家庭と持ち家を持って、
老後は、ゆったりと孫に囲まれて過ごす
などという道が素敵であり、皆が目指すべき、模範とすべき道である
なんて法則や決まりがあるわけではないのですから。
「カタチ」なんて、有ってないようなもの。
何が幸せで何が不幸せという基準もありません。
多少裕福な生活をしていて、自分は幸せだと思っている方がいたとして・・・
アラブの大富豪がその生活水準まで身を落とすと、
「なんて貧しい生活で不幸せなんだ・・・」と言うかも知れませんしね。
自分の固定概念や想像で作り上げた「あるべき姿」
にこだわり過ぎず、とにかくあの世から「もう終わりだよ」お迎えが
来るまでは生き抜いてみましょうよ。
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