マンション管理のお勉強日記+スピリチュアルなブログ:飯田史彦教授 江原啓之氏 坂本政道氏等の精神世界の書籍を読んで

先立った最愛の彼女といつか必ず逢いたい…彼女が枕元に置いて逝った江原啓之氏の書籍…Spiritualな世界の存在を信じて

鎌倉観光へ行って来ました=高徳院(鎌倉大仏).鶴岡八幡宮.建長寺.円応寺

2024年09月17日 01時57分04秒 | □私の気ままな話
せっかく関東へ来ていますので、一度は行っておきたいと思って
いました鎌倉へ行ってきました。
8/13(火)に訪れましたが、当日は晴天と言いますか酷暑で最高
気温は36℃程ありました。

まず訪れたのは、鎌倉市長谷にある浄土宗の高徳院です。
本尊は国宝銅造 阿弥陀如来坐像の鎌倉大仏

正式には大異山高徳院清浄泉寺という寺院だそうですね。

せっかくなので坐像の中にも入りました。
とても蒸し暑かったです。

造立が開始されたのは1252(建長四)年。その後、大仏殿は台風や
大津波のため倒壊して室町時代の末までには今の「露坐の大仏」
の姿になったそうです。

なかなか、勇壮なお姿で見に来てよかったです。

その後、
鎌倉市雪ノ下にある鶴岡八幡宮へ。
1063年(康平6年)8月、源頼義が河内源氏氏神の壷井八幡宮あるいは
京都の石清水八幡宮を鶴岡若宮として勧請と伝えられています。
私は石清水八幡宮と聞いたことがありました。

源氏の守り神として創建されて以後、鎌倉武士の守護神として祀られて
きたそうです。


1219年(建保7年)1月27日、三代将軍源実朝は鶴岡八幡宮で右大臣
拝賀式の後、帰途に就いたときに甥の公暁(源頼家の子)に殺された
のが有名ですよね。

その場所ですが・・・大石段の下から数えて13段目という噂がある
そうです。

そして、
鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。
巨福山建長興国禅寺に立ち寄りました。
1253年(建長5年)の創建で本尊は地蔵菩薩です。


建長寺は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼により創建されたそうで
開山(初代住職)は南宋からの渡来僧・蘭渓道隆(大覚禅師)です。

・・・

実は、会社で「鎌倉へ行くのであれば、閻魔大王様に会って反省
してきてくださいッ!」と勧められた?のが、建長寺から歩いて
すぐにあります、
臨済宗 建長寺派 円応寺(圓應寺)でした。
智覚禅師により建長2年に創建。


本尊は閻魔大王座像(国重要文化財)で、仏師はナント「運慶」作
と伝わっているそうです。

懺悔文
「我れ昔、造る所の諸の悪業は、皆はてしなき貪瞋痴に由る。 身口
意に従って生ずるところのもの、すべて我れ今みな懺悔し 奉る」

この懺悔文を閻魔大王様の前にて合掌して心静かに三度唱えると
今まで犯した罪は全て許されるそうです。

よく?仕事を押し付けたり、急がせたりしてるから・・・反省?懺悔?
して来てくださいと言われて訪れました。

・・・

実は、銭洗弁財天宇賀福神社や佐助稲荷神社等にも立ち寄る計画で
したが、銭洗弁財天宇賀福神社へ歩いていってましたら、立ち眩み
と言いますか、ドッとしんどくなってしまい、途中で引き返しました。。。

ですが、久しぶりに名所巡りをして、とても気晴らしになりました☆彡

鎌倉は、まだまだ訪れたい寺社仏閣がありますので、再度訪れたい
と思います。
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