久し振りに、江原啓之氏の書籍を読みたくなり「江原啓之のスピリチュアル人生相
談室」中央公論新社を購入しました。
・・・
そう言えば、彼女の街の地元紙に訃報(亡くなった人の氏名、年齢、喪主、葬儀会
場、葬儀委員長など)が乗るのですが、亡くなった方の年齢は、70~80歳代や
60歳代、若い方でも50歳代後半のなか、彼女だけぽつんと20歳代の年齢で記
載があるのを見たときは、悲しくてしょうがなかった・・・です。
亡き彼女に逢いたい。逢って一体何がどうだったのか聞きたいです。。。
江原啓之氏は、本書の中で、
「夫や妻、親や子どもを亡くした人。あるいは将来ともに生きる夢を描いていた恋
人を亡くした人。みんな悲しみに暮れ、ときには自分を責めたりしています。」
「私は自分の仕事の中で、こうした死別を乗り越えるためのカウンセリングは最大
のものだと思っています。あの世にいる死者のメッセージを伝えてさしあげること
は、スピリチュアル・カウンセラー冥利に尽きるといっていいでしょう。」
「愛する誰かに遺された人たちにとって、死者からの通信は最も重要な福音となる
のですから。」とおっしゃっています。
・・・
亡き彼女が、死後に『無』などならずに『あの世で生きている』ことさえ分かれ
ば、もうそれで私は十分満足です。
あとは、私自身は生かされている年月の間は、この世を何とか生き抜き、いつか逝
くべき時,逝った時に、亡き彼女と会えさえすれば思い遺すこともないでしょう。
江原啓之氏は、
「先日も結婚直前に婚約者を亡くした女性が見えました。霊視を始めると、その男
性がいきなりバイクに乗って現れました。それをお伝えすると、彼女は突然泣き始
めたのです。」
「なぜなら彼はバイクが大好きで、バイクの事故で亡くなっていたからです。」
「生前の彼の夢は、世界をツーリングして回ることでした。今はあの世をバイクに
乗って旅しているとのこと。元気で幸せにしているから、安心してほしい。と彼女
に言っています。」と、彼氏を亡くされた女性にそう伝えたそうです。
・・・
こういう話を聞きますと、「あの世があると信じて生きよう」と強く思います。
そして、江原啓之氏がいうには、その男性はこう伝えてきたそうです。
「『ぼくが死んだのは寿命なんだよ。バイクでの事故だったけれど、ぼくは寿命だ
と思ってあきらめているから、お互いあきらめよう。でも、いつもぼくの写真に向
かって話しかけてくれているね。ありがとう。これからもずっとそうしてほしい。
ちゃんと相談相手になるから。』と。」
・・・
切ない話ですが・・・こういう対話を見聞きしますと生きる勇気が出ます。
諦める・・・諦めよう・・・ですか。。。
いつかは自分の心に仕舞い込まないといけないこともあるでしょうね。
・・・
江原啓之氏は、3つの例を挙げて、
「私が霊視する前に、これらが死者たちにとって特別なものだと聞いていたわけで
はありません。」
「だからこそ彼女たちは『ああ、ほかの誰でもない、まさにあの人のメッセージだ』
と確信することができたのです。」
「そして、いつでも見守られていることを実感し、それがわかった自分たちもしっ
かり生きていこうと気持ちを奮い立たすことができたのです。」
とおっしゃっています。
江原啓之氏は、「あの世の霊たちは、短いメッセージの中でも、自分はここにいる
よとわからせるためのツボを絶妙押さえています。」「死者のほうでも伝えたいこ
とがあるのでしょう。霊視に入る前からすでに、カウンセリングルームに姿を現し
ていることがしばしばです。」ともおっしゃっています。
死後も、想いや考える思考、意識があるんですよね。
逝くべき時に、死の瞬間さえ乗り越えられれば、そこにはまた自分が存在する-読
んでいて、そう期待できるように感じました。
少なくとも、間違いないことは・・・
必ず「死の瞬間」「死の壁」は全ての人が通らなければいけない場所ですから、死
ぬ瞬間って、私はとても怖く感じていますが、逃げることもまた避けて通ることも
できないんですよね。。。いくら科学や医学が発展しようとも。
私の心の中に、
先立った彼女に逢いたいですが、死ぬのも恐いという思いがあるのも事実です。
怖がりの私だからこそ、先に彼女が向こう側(あの世)に行って、待っていてくれ
ているのかも・・・
・・・
相談に来た人たちは、来るときと帰るときの顔がまるで違うそうです。
江原啓之氏は、
「自分はただ一人取り残されたのではない。」
「死者はスピリチュアルな存在となって、いつも、今も、これからもずっと、
一緒にいてくれるんだと実感することができたからです。」と言っています。
・・・
「いつもぼくの写真に向かって話しかけてくれているね。ありがとう。これからも
ずっとそうしてほしい。」という言葉こそ、死後にもちゃんと意識もあって存在し
ていて、またこの世に生きている人間とまるで同じように「そうしてほしい」とも
思うのだなぁと思うと、改めて「語りかけることは大事だ」と感じました。
そうかぁ。。。じゃぁ、今夜も亡き彼女に話しかけてから寝ることにします。
談室」中央公論新社を購入しました。
・・・
そう言えば、彼女の街の地元紙に訃報(亡くなった人の氏名、年齢、喪主、葬儀会
場、葬儀委員長など)が乗るのですが、亡くなった方の年齢は、70~80歳代や
60歳代、若い方でも50歳代後半のなか、彼女だけぽつんと20歳代の年齢で記
載があるのを見たときは、悲しくてしょうがなかった・・・です。
亡き彼女に逢いたい。逢って一体何がどうだったのか聞きたいです。。。
江原啓之氏は、本書の中で、
「夫や妻、親や子どもを亡くした人。あるいは将来ともに生きる夢を描いていた恋
人を亡くした人。みんな悲しみに暮れ、ときには自分を責めたりしています。」
「私は自分の仕事の中で、こうした死別を乗り越えるためのカウンセリングは最大
のものだと思っています。あの世にいる死者のメッセージを伝えてさしあげること
は、スピリチュアル・カウンセラー冥利に尽きるといっていいでしょう。」
「愛する誰かに遺された人たちにとって、死者からの通信は最も重要な福音となる
のですから。」とおっしゃっています。
・・・
亡き彼女が、死後に『無』などならずに『あの世で生きている』ことさえ分かれ
ば、もうそれで私は十分満足です。
あとは、私自身は生かされている年月の間は、この世を何とか生き抜き、いつか逝
くべき時,逝った時に、亡き彼女と会えさえすれば思い遺すこともないでしょう。
江原啓之氏は、
「先日も結婚直前に婚約者を亡くした女性が見えました。霊視を始めると、その男
性がいきなりバイクに乗って現れました。それをお伝えすると、彼女は突然泣き始
めたのです。」
「なぜなら彼はバイクが大好きで、バイクの事故で亡くなっていたからです。」
「生前の彼の夢は、世界をツーリングして回ることでした。今はあの世をバイクに
乗って旅しているとのこと。元気で幸せにしているから、安心してほしい。と彼女
に言っています。」と、彼氏を亡くされた女性にそう伝えたそうです。
・・・
こういう話を聞きますと、「あの世があると信じて生きよう」と強く思います。
そして、江原啓之氏がいうには、その男性はこう伝えてきたそうです。
「『ぼくが死んだのは寿命なんだよ。バイクでの事故だったけれど、ぼくは寿命だ
と思ってあきらめているから、お互いあきらめよう。でも、いつもぼくの写真に向
かって話しかけてくれているね。ありがとう。これからもずっとそうしてほしい。
ちゃんと相談相手になるから。』と。」
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切ない話ですが・・・こういう対話を見聞きしますと生きる勇気が出ます。
諦める・・・諦めよう・・・ですか。。。
いつかは自分の心に仕舞い込まないといけないこともあるでしょうね。
・・・
江原啓之氏は、3つの例を挙げて、
「私が霊視する前に、これらが死者たちにとって特別なものだと聞いていたわけで
はありません。」
「だからこそ彼女たちは『ああ、ほかの誰でもない、まさにあの人のメッセージだ』
と確信することができたのです。」
「そして、いつでも見守られていることを実感し、それがわかった自分たちもしっ
かり生きていこうと気持ちを奮い立たすことができたのです。」
とおっしゃっています。
江原啓之氏は、「あの世の霊たちは、短いメッセージの中でも、自分はここにいる
よとわからせるためのツボを絶妙押さえています。」「死者のほうでも伝えたいこ
とがあるのでしょう。霊視に入る前からすでに、カウンセリングルームに姿を現し
ていることがしばしばです。」ともおっしゃっています。
死後も、想いや考える思考、意識があるんですよね。
逝くべき時に、死の瞬間さえ乗り越えられれば、そこにはまた自分が存在する-読
んでいて、そう期待できるように感じました。
少なくとも、間違いないことは・・・
必ず「死の瞬間」「死の壁」は全ての人が通らなければいけない場所ですから、死
ぬ瞬間って、私はとても怖く感じていますが、逃げることもまた避けて通ることも
できないんですよね。。。いくら科学や医学が発展しようとも。
私の心の中に、
先立った彼女に逢いたいですが、死ぬのも恐いという思いがあるのも事実です。
怖がりの私だからこそ、先に彼女が向こう側(あの世)に行って、待っていてくれ
ているのかも・・・
・・・
相談に来た人たちは、来るときと帰るときの顔がまるで違うそうです。
江原啓之氏は、
「自分はただ一人取り残されたのではない。」
「死者はスピリチュアルな存在となって、いつも、今も、これからもずっと、
一緒にいてくれるんだと実感することができたからです。」と言っています。
・・・
「いつもぼくの写真に向かって話しかけてくれているね。ありがとう。これからも
ずっとそうしてほしい。」という言葉こそ、死後にもちゃんと意識もあって存在し
ていて、またこの世に生きている人間とまるで同じように「そうしてほしい」とも
思うのだなぁと思うと、改めて「語りかけることは大事だ」と感じました。
そうかぁ。。。じゃぁ、今夜も亡き彼女に話しかけてから寝ることにします。
スー様、ご心中お察し申し上げます。。。
最愛の方を亡された悲しみ、今まで互いに寄り添って生きてきた伴侶を失った淋しみの深さは、スー様のご主人様への愛情が深ければ深かったほど、なかなか拭い去ることはできないものだと、少なからず私の経験からもそのように思います。
心から愛していたのですから。
私は、一緒に暮していた彼女を突然の事故で失ってから、1年4ヶ月という日々が経ちました。いまだについ昨日まで楽しく話をしていた感覚が残っていまして、深夜に突然悲しくなったり、「どうして死んじゃったの・・・」と気持ちがこみ上げてくることもしばしばあります。
本当に辛いです。
私もまだまだ乗り越えられていません。
ただ、私の場合は、亡き彼女が枕元に江原啓之さんの書籍を置いていっていたこと、そして生前、ブログを書くことを薦められて書いていたことで気を紛らわせ、あの世の世界という存在を信じてとにかく生き抜こうと思いました。
彼女がこの世を去ってから、2ヶ月近くは何もする気もしませんでしたし、一人になると仕事中であっても涙が出てきて止まりませんでした。生前に、彼女は私が死んだらどうする?などと何度か聞かれたことがあります。私もその後すぐにでも一緒に逝くよと話をしてきました。
彼女を失ってから、
本当に、もうどうでもいい、死んでもいい、とも思いました。
ですが、それで本当に彼女に逢えるならそうしますが、江原さんの書籍からはじまって色々なスピリチュアルな書籍を読みましたら、生き抜くほうが亡き彼女に逢える近道だということを知り、思い留まりました。
・・・
哀しくて淋しい思いを乗り越える・・・
正直言いまして、私自身もまだ乗り越えられておらず、仕事を辞めてから丸6ヶ月も経ち、それでも彼女がいた頃のような気力が出てきません。。。
何で?何でだよ・・・
と思ってばかりです。
乗り越えるには、何か他に気を向けないといけないと思いますが、出かけて行っても心から楽しめません。
スー様、「元気を出して」と申し上げても出せないことは承知しています。でも・・・生きる気力だけは持っていてください。
スー様の愛したご主人様は、きっと今のスー様の姿を見えない世界からご覧になられて心配しておられますよ。
何で死んじゃったの・・・と思う気持ちは、言葉に出して語りかけ、言いたいだけおっしゃってください。その愛深き思いもきっとご主人様にも届くはずです。
どれだけ愛していたのか、それは最愛の人が居なくなってはじめて、自分自身も信じられないくらいよく分かるものだと思います。そして、その方がどれだけ一緒に生きてきた中で全てにおいて支えてくれていたのかも。
スー様、今のご主人様を亡くされた悲しみは、きっといつの日か「今まで一緒にいてくれて有難うね。絶対に私が逝くべき時が来た際には迎えにきてね。その代わり辛くても生き抜くからね。」という思いに変えられるはずです。
私は、「悲しみは『故人への依存心』」という否定的な見方や意見だけが全てだとは思っていません。だって、本当に大好きで愛していたんですもの。出来ることなら代わってあげたいくらいに愛していました。スー様も、同じようなお気持ちではないでしょうか。
私は、悲しみを乗り越えられる何かがあるとするならば、それは「『亡くなった故人(スー様は、ご主人様)にいつか絶対に逢える。』という気持ちを持つ」ことと、「『楽しかったよ。あなたに出会えて本当に幸せでした。そのことがあなたが居なくなってよく分かりました。本当に有難う。』という感謝の気持ち」の2つをしっかりと持ち続けることで、悲しみの心を持ちつつも、前に向いて少しずつ歩き出せるのではないかなぁと感じています。
悲しみは、心から来るものです。
愛した、ご主人様を本当に愛していたスー様の素直な気持ちから来るものです。
私は、乗り越えるといいますか捨てなくてもいいことだと思います。愛の証でもあるわけですから。
ただ、自分自身がその思いに潰されないように、負けないように生き抜いていく努力は必要だと思います。
努力といっても何か習い事をするとかではありません。
「先立った主人のためにも、私は生きよう、生き抜こうと思う気持ちを持つ」努力のことです。
心の中での努力です。
お互い苦境のときではありますが、このブログに書きました「見えない世界」の話をご覧になって頂きまして、亡きご主人様の心はスー様の元に、今もこれからもずっとそばにいるのだと感じていただければ、幸いです。
スー様、人生には模索がつきものではないでしょうか?それに負けずにお互いに生き抜きましょうね。
コメントありがとうございました。またお気軽にお立ち寄りください。
自殺でした。
別れ話をしていて、
お前が居ないのなら幸せになんてなれない。人生に幕を下ろすといって死にました。
私があの時止めていたら。
側に居たら。
少しでも話を聞いてあげていたら彼は亡くならなかったのに。
悔やんでも悔やみきれません。
彼に会いたい一心で自殺未遂もしました。
それでも死ねなかった。
それは彼からのメッセージなのか、自分の甘えなのかは分かりません。
出来る事ならもう一度会いたい。
会って謝りたいし、一番大切なのは彼だと伝えたいです。
どういう理由で別れ話を持ち出すことになったのかは、分かりませんが・・・別れの話をしていても、彼氏さんが大切な存在だったわけですね。。。
色々とご事情があるのでしょうけど。
亡くなった故人を責めるわけではないですが、やはり自殺、自らの命を絶つという行為は取ってはいけなかったと思います。
れんさんに思いを残すため、あなたに自分はどれだけ想っていたのか伝えるために、取った行動(自殺)だということは・・・確かにそうかも知れません。
しかし、自殺した彼氏さんもあなたにどれだけのショックを与えるのかも、ある程度は想像がついたのではないかなと思います。
そこが、故人を責めるわけではないのですが、思いの伝え方で間違った選択をしてしまったように思います。
「死をもって想いを伝える」
しかし、それは、今のあなたのように悲しませる、取り戻しのつかない行為であって、決して想いを伝えたくてもしてはならなかった行動です。
厳しいようですが、亡くなった彼氏さんは一方的過ぎですし、あなたに振り返ってもらいたい一心の「自分だけの気持ちだけの押し付け」だと感じました。
しかし、すでに亡くなってしまった方にどう言っても、現実として生き返ることは・・・残念ながらありません。
ただ、再び逢う、再会する道はあります。
それは、私も色々と書籍を読みましたが、あなたが生き抜いて、そして、寿命を迎えてこの世を去ったときには、あなたの想い(彼氏に逢いたい)で逢えることと思います。
それまでは、れんさんは、彼氏さんが自殺して亡くなったことを背負って、彼の分まで、生かされている間は、懸命に生きるべきだと思います。
それが、れんさんに遺された生き方ではないでしょうか。
・・・
今日、先ほどご近所の奥さんと話をしていました。
このご近所さんの奥さんは、ブログにも書いたのですが、母親の死後、そのお母さんが、何度もお父さんのところに出てきていまして、その後の話を聞いていました。
葬儀場では、参列者に挨拶をしている故人:母をみていた霊感のある親戚の方の話や生まれて70歳過ぎまで、いわゆる「幽霊」など見たことがなかったお父さんが、お母さんが出てきて「生きたかった」という話や冷蔵庫の中は片付けなさいねという話、49日の法要前にお父さんと娘(ご近所の奥さん)が口喧嘩して、喧嘩別れして自宅へ帰ったあとに、お父さんのところにお母さんが出てきて「娘の言っていることが正しい」「言うことを聞きなさい」と亡くなったお母さんが出てきて、お父さんを叱ったり、3年経った今でも、たまにお母さんが片付けをしなさいと出てくる話など、色々と不思議な話を聞いていました。
TVなどのオカルト番組は、正直、本当かなぁと思うことも多いですが、ご近所さんから、お父さん自身も驚くような体験(心霊体験)をしたことを聞きますと、「やっぱり、あの世、見えない世界はあるのでは」と思えてきます。
ですので、たぶん、死後には、普通は目には見えない世界(精神世界)があるのではないでしょうか。
そして、事細かく伝えてくることが出来るということは、「心」も魂・意識体として、死後も存在するのではないかなぁと思います。
ですので、今の辛さは「死」を選んで、この現実の世からは逃れられても、心(魂・意識体)は生き続けるであれば、つらい思いは消えないと思います。
死して「無」になるのであれば、悩みや悲しみから開放されるでしょう。しかし、どうも、そういうものでは無さそうだと私は感じています。
「死んでも、(心は)生きている」ということです。
ですので、れんさんは、お辛いでしょうけど、死を選んではいけません。
また、色々な書籍にも書いていますが、自ら死を選ぶと、逢いたい人(故人)にもすぐには会えないようです。
それは、あなたが万一、自殺して命を絶ってしまうと、必ずあなたの死を悲しむ人がいるからです。
そして、あなたは「死」を選んで死んでしまったことを、見えない世界から必ず後悔するからです。
申し訳なかったと。
そうなると、あなたは、先立った彼氏さんにさえ、あの世で逢えるまでに相当の期間(あの世では時はないようですが)を得ないと、自分は何をしたのか反省して悟らないと彼氏さんにさえ逢えません。
ある書籍では、そのような自責の念で深い悲しみの中に居る魂を救う霊もいるというのを読みました。
彼氏さんは、とても後悔しているはずです。あなたがあの世へ逝ったとき、まだ打ち拉がれているかも知れません。その彼氏さんへ「もういいよ」「私も来たよ(寿命を迎えて)」と救い出せるのがあなたしかいないと私は、そう思います。
ですので、彼氏さんに、また、いつか必ず逢いたいのであれば、私のように、生き抜いてください。
生き抜いて、死を迎え、そして、この世を去るのが一番の近道だと思うからです。
ご近所さんのお話もそうですが、「必ずあの世のような世界があり、また再会できる」はずです。
故人に逢いたい。その気持ちは痛いほど分かります。しかし、自分で死を選び、あのような世界があって、そこでも彼氏と逢えなかったら辛過ぎますよね。
「生き抜くほかない」「寿命まで生きる」しかないのです。
れんさんは、3/3と最愛の人を亡くしてから、日が経っていませんので、あと追いのような気持ちでいっぱいだというのは分かります。自分が彼氏さんの死の原因を作ったとも思っているから、尚更です。
しかし、亡くなった彼氏さんは、自殺などでこっちへ来るなと止めているのだと思いますよ。だから死ねないのです。それなのに無理矢理死を選びますと、あの世でも逢えないのだと思いますよ。
お互いが好きだという気持ちのなかで、別れを告げて、このような事態となったようですが、人には好きでも別れる何かがあることと思いますので、そこは触れませんが、彼氏さんは自分のように自殺などして、こちらの世界へ来るなと警鐘しているのは確かです。
2人がどちらも自殺でこの世を去ったら、救う方法が非常に難しいのだと思います。
どういうことか。彼氏さんは自殺を選びました。今、あの世で心・魂・意識体として、あなたと普段何気なく会話していた当時そのままの感覚を持ったまま、肉体が無くなっているだけの状態で、何ら生きていたときと変わらないことを彼は死後に知ったのだと思います。
死んでも生きている。では、なぜ物質の世界を生きていたのか。そのモノを触れる、お互いが出会って楽しく過ごせた時期もあった、そのときの「生かされている(いた)」ことを、亡くなったのちに何となく分かってきているのだと思います。
死んでも、心はあるということでです。
飯田先生の書籍には、この自殺、そして自殺後の心境を書いたものが多くあります。
たぶん、死後、その通りの後悔の念を持つのだと思います。
ですので、れんさんには、自殺などして自分のように死後の世界に来るなと伝えているのだと思います。
あなたほどの経験なら、飯田先生(今、大学教授も辞めて岐阜にいるはず)も見てくれるのではないでしょうか。
死を選ぶ前に、残された自分は何をすべきかを、落ち着いて考えてみてはいかがでしょうか。
死ぬのは・・・死を選ぶのは簡単だと思います。辛いと思いながら生き抜くのは地獄です。
しかし、それもあなたに科せられた試練、この世を生きる中での試練なのかも知れませんよ。
私は、生き抜いて、そして死を迎えた時にこの世を去り、最愛の彼女に逢う道を選びました。
れんさんにもそうして欲しい願っています。
生き抜きましょう。そして、再会を楽しみに頑張りましょうよ。
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。
はじめまして。
過去の記事にコメント失礼します。
死の、スピリチュアルな乗り越え方を検索して、
この記事にたどりつきました。
江原さんの言葉、ご紹介くださり本当にありがとうございます。
管理人さまのブログを読み、
私もまた少し大切な方の死を乗り越えていけそうです。
本当にありがとうございます。
返信が遅くなってすみません。
最愛の方、よく知っている知人や友人を亡くすと、どうしても「死とは何か」を考えさせられますよね。
人はいつか必ずこの世を去るときが来ます。
こればかりは、みんなに必ず訪れる試練ですが、やはり、身近な人が亡くなると、先ほどまで、ごく普通に会話していた相手がプッツリと途絶えて居なくなるという体験は、どうしても「生と死」について考えてしまうこともあるかと思います。
私は経理兼任で総務職をしていますが、同僚社員やそのご家族が無くなり、葬儀に参列することがよくあります。
葬儀に行きますと、その故人の生い立ちや当時の写真、動画など、最近では生きてきた姿をVTRで紹介する葬儀も多いです。
そのような画像を見ますと、亡くなった方も確かにこの世に生きていたんだと感じます。そして、同時に死生観といいますか、生と死とはよく言われるように隣り合わせなのだなぁと感じます。
いつかは、私たちもこの世を去るときがきますが、それまでは、やはり「生かされている」と思って、生きていくことが大事かなと思いますね。
死後は「無」になるという人もいます。
それはそれでよいかと思います。しかし、この世を去った後に、死後にも見えない世界があると思って生き抜いたほうが、死の直前を迎え苦しいときに、これを乗り越えると、また知らない何かしらの世界があると思ったほうが、楽しみもあってよいのではないかなと思い、死後の世界について、見えない世界について、そして最愛の人にもう一度出会うことを願い、再会があるのかどうか等を色々と調べて見たりしています。
最近は、スピリチュアルな話から遠ざかっていましたが、またぼちぼちと読んで行きたいと思います。
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください☆
亡くなられた妹さまの心境は分かりませんが・・・自分勝手、身勝手なことばかり言っておられたようですが、何かしら、心の中で闇を持っていたり、情緒不安定だったりしたのではないでしょうか。。。
死後にあの世、見えない世界のような精神世界があるのであれば、そこで自分自身の行動や言動、そして自殺までしてしまったことを深く考えさせられていることと思います。
人は、死んで「無」になるのであれば、どのような生き方をしても、最後は何も無い、また私達自身も、真面目に生きようが、つつましやかに生きようが、倫理に沿って生きようが、または人様に迷惑をかけようが、派手に好き勝手に生きようが何も無しで終わりでしょうけど、スピリチュアルな書籍を読んだり、身近な人で亡くなった人が見える等の話を聞きますと、私は「『無』にはならないのえではないかなぁ」という思いのほうが強いです。
ですので、妹さまとは、もうこの世では会えませんが、いつか私達にも「死」は必ず訪れますので、その死後に、もし精神世界のようなものがありましたら、一体、なぜあのような振る舞いをしたのか語り合う他ないことと思います。
心の弱い人、強かったけど弱くなってしまった人、心が強い人、いい加減な人、自分に甘い人、他人のせいにばかりする人、きっちりしている人、色々いますよね。
亡くなられた妹さまの当時の心理は、本人しか分からないものですが、他から見て異常(奇怪)のように見えていたなら、遺された遺族は、一体何があったのか、何だったのだろうと考えさせられますよね。
ただ、今はご自身の寿命が来るまで、生き抜くことを第一に考えて生活されることをお勧めします。
亡くなった人に夢でもいいから会いたいと検索していてここにたどり着きました。
もうすぐ亡くなった彼の命日です。26歳でなくなり、もう今年で25年になります。
いろんな事がありました。彼以外の人と結婚をし離婚。
好きな人が出来たこともありましたが・・・やっぱり思い出して泣いてしまったりします。寂しくなったりつらいことがあると彼のことを思い出してしまう。勝手だなと思います。
こんな勝手な私で亡くなってから会えるのかな・・・なんて寂しくなります。
夢でもいいから会いたいです。
大丈夫だよって伝えられるようにしておかないといけないですね。
最愛の方を亡くされてから、25年もの月日が流れたのですね。。。
その後、色々と出会いもあり、また別れもあり、そして、今があるんですよね。。。
ですが、「あの人が生きていたなら」と、思うときってありますよね。
私も、最愛の彼女を亡くしたのち、色々な出会いがありました。比較したり、比べているわけではないのですが、やはり、何かありますと、当時の思いや思い出が浮かんできます。
私の場合、コンビニで、手作り風の大きなおにぎり(丸い3つくらいの味が入った)を見ますと、涙が出そうになります。
急いで仕事を行くときやお昼食事が取れそうにない時などには、無き彼女がサランラップに巻いて「ほい」と渡してくれていました。
昨日(2/28)、どうしても仕事が片付かず、朝4時30分過ぎに出社しました。その際に、コンビニへ立ち寄ったのですが、やはり、丸い大きな手で握った感のあるおにぎりを見ますと、思い出して、「どうして死んでしまったんだよ。。。」と思ってしまいます。
そして、その売っている丸い大きなおにぎりを食べたいのですが、買うことが出来ません。
2度ほど、買ったことがあるのですが、食べたら、涙が出て来ました。やっぱり、ダメだぁーーーと思いましたよ。
・・・
るるるさま、私には「霊感」というものは、残念ながらありません。ですので、あれこれと書籍を探して読んでは、「亡くなった最愛の人に、自分自身の死後、また逢えるのだろうか」「必ず逢いたい」という思いに対しての答えを見つけたくて、調べました。
・あの世、見えない世界はある
・死んだら「無」になる
果たして、どちらなのだろうか。
その答えを探して、書籍を探訪しました。
一番の、きっかけは、亡き彼女が枕元に置いてあった、江原啓之氏のスピリチュアルブックでした。
「この本、良いこと書いてあるよ」「あんたには分からないか・・・」と言っていたのを覚えています。
彼女が亡くなった後、片付けをしていたとき、江原啓之氏の書籍を見て、激震が走りました。
「こんな『縁』や見えない世界のことを書いた本を読んでいたのか」と驚きました。
確かに、当時は、スピリチュアルな番組も流行っていて、オーラの泉などを、亡き彼女は好んで見ていました。
事故で意識不明になる前日(当日の深夜0:30)にも、江原さんの番組始まるよと言っていました。
私は、その日は寝てしまいました。。。
ですが、これらブログに載せています書籍を読んで、著者によって、あの世の捉え方や仕組み、人は死んだらどうなるのかについて、若干違いもありますが、「人は死んでも生きている」のではないか、と思えるようになりました。
本当の答えは、自分自身が亡くなったのちに、はっきりと判るのでしょうけどね。
これらの書籍を読んだり、実際に「視える」という人から直接話を聞いたりしましたら、「見えない世界は、ありそうだな」と思えました。
・・・
人って、やはり「心」を持っている生きものですので、どうしても、思い出して泣いてしまったり、寂しくなったりしますよね。
私は、これらの書籍を読んで、こちらが悲しがっている気持ちは、亡くなった最愛の人に伝わっている(念)と思っています。
思い出したり、また話しかけたりしましたら、るるるさまの最愛の彼にも必ず、その思いが伝わっていますよ。
私は、総務課で経理と総務の業務を行っていますが、1日に3件の葬儀に参列したこともあります。
ですが、清めの「塩」はふりかけません。
それは、葬儀に来た者に対して、災いをふりかける?霊として出て来る?霊として出てきたら、なぜそんなことをするのか聞いて説教してやろう&幽霊というのを見てみようと思い、塩は使っていません。
一度も霊を見たことはありませんけどね。
気配を感じたり、金縛りはあります。
これは、ヤバい(何かしらある)というのは滋賀県に住んでいたときありました。
ブログの記事にも書いたと思います。
・・・
長くなりましたが、
私は「自分自身の死後、死んでも魂・霊・意識体そして生きていたなら、必ず逢える」と信じています。
そして、寂しくなったら「何で居なくなったの?」「○○へ行ったよね」等、心の中で、または声に出して語りかけ
ましょう。そうしていますと、必ず近くに魂と言いますか、霊と言いますか、亡くなった最愛の彼の意識体が来ていることと思います。
私は、寝る前に「今日もしんどかったよ」とか声掛けしたりしています。
電気を消して、寝る前に部屋でぶつぶつと、こうだった、ああだったと言っていますと、「んっ?」ということもありますよ。試してみてはいかがでしょうか。
「夢」
私も最近、亡き彼女が出て来る夢を見ていません。
あの世で、元気にしているのだろう、と勝手に思っています。
るるるさまの彼氏さんは、26歳で他界されたのですよね。私は、女性が先にこの世を去るよりも、男性側が先に思いを残して先に去った場合、この世に残した女性のことを相当心配していることと思いますよ。
そして、きっと見守ってくれています。
その亡き彼氏さんの存在(見えないけど、本当にいるの?)と感じたい場合、話しかけてみてはいかがでしょう。周りには分からないように(変わった人と思われますからね)
先だった最愛の人にとっても、それは試練・修行ではないでしょうか。ですから、寂しい!辛い!と言って、甘えていいと私は思っています。
・・・
視える人は、「幽霊が出た」「視えた」と言いますよね。そして、その話の中には、当事者しか知りえないこともあり、本当に不思議なことだと思う話もあります。
私のご近所さん(奥さんのお父さんや親せきの人)もそうです。
そのようなことことが起こるということ自体、少なくとも「何かしら」説明のつかないことがある、見えない世界があるということではないでしょうか。
最近、気になるのが「お迎え現象」についてです。
確かに、ご近所さんのお父さんは70歳を超えて、初めて霊を見られています。がんを患っており容体は安定していますがステージⅢと聞きました。
亡き奥様の霊が出てきて話しかける等の現象が出ています。
不思議ですよね。
・・・
るるるさま、私がはっきりと言えますのは、「死後、あの世という世界があれば、必ず逢える」ということです。
ですので、今は、とにかく寿命がくるまでは生き抜くことが大事だと思っています。いつか、人は必ず死にますし。
そして、自分自身の死の直前、多くの皆さんは、「この世」への心残りもたくさん持っているかと思いますが、私もるるるさまも、1つ違うもの(気持ち)を持って、死に臨めます。
それは、死後にあの世があれば最愛の人に逢える、という楽しみです。万一、すぐに会えなくても、死後、あの世があれば、相手も同じように見えない世界で生きているわけですから、あとは探し出しましょうよ。
この世を旅立つ前、そして、死の直前、先だった人に逢えるのではないか、という楽しみを持って、今はお互いに生き抜いていきましょう。
コメントありがとうございました。
またお気軽にお立ち寄りください。