光市・母子殺害差し戻し審初公判 本村さん「2人の命 無駄にしたくない」
5月24日16時9分配信 産経新聞
山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が無期懲役の2審・
広島高裁判決を破棄した元会社員の男性被告(26)=事件当時(18)=に対す
る差し戻し控訴審の初公判が24日午後、広島高裁(楢崎康英裁判長)で始まっ
た。事件当時未成年だった被告への死刑適用の是非をめぐり、検察側と弁護側の激
しい攻防が予想される。
1、2審判決はいずれも、事件当時、被告の年齢が18歳と30日で、少年法が死
刑の適用を禁じていない「18歳」に達したばかりだった点を重視し、無期懲役を
選択。
しかし、最高裁は昨年6月、下級審が死刑回避にあたって考慮した事情を「十分と
はいえない」と退け、「特に酌量すべき事情がないかぎり、死刑を選択するほかな
い」と判示した。
検察側はこの日の公判で、これまでと同様、「死刑を回避する理由がない」とする
意見書を陳述するとみられる。
これに対し、弁護側は被告に殺意はなく、傷害致死罪が相当とする意見書を陳述
し、事実関係についても争う方針。弁護側が独自に依頼して作成した被害者の死因
鑑定書などを証拠請求し、殺意の認定を突き崩して死刑回避を図るとみられる。
◇
「2人の命を無駄にしたくない」-。被害者の遺族、本村洋さん(31)はこの日
の法廷で、2審判決以来約5年2カ月ぶりに被告と対面した。事件から8年余り。
会社勤めのかたわら裁判を傍聴し、被害者や遺族の権利拡充を求め全国で講演活動
を続けてきた。天国で妻と長女に再会したとき、「パパは一生懸命に生きたよ。頑
張ったよ」と言えるよう闘ってきたという。
平成11年4月14日の朝、「パパ、早く帰ってきてね」と笑顔で送り出してくれ
た妻、弥生さん=当時(23)。ハイハイしながら、うれしそうにジッと自分を見
つめていた長女、夕夏ちゃん=同11カ月。事件現場に足を運べば、8年前の記憶
がよみがえる。
・・・
妻子を無残にも殺された本村洋さんの心痛は、本人しか分からないでしょう。
当初「犯人を殺す」とまで言っていた本村さん、よくここまで耐えて頑張って来ら
れたと思います。
弁護側は、あくまでも「殺意はなかった」などと相変わらずの主張をしていますが
2人の人が亡くなっているのは事実です。
いくら弁護士の仕事とは言え、死刑回避のために本村さんの遣る瀬無い,抑えるだ
けで精一杯の怒りと憎しみを逆なでするような発言は、この事件の行方を見守る者
でさえ、憤りを感じます。
弁護側の弁護士先生がもし本村さんと同じ境遇に置かれても今のような立場や考え
を貫けることが出来るのでしょうか。
「『仕事』と思って割り切っているからこそ、できる。」のではないでしょうか。
「仕事として割り切る」
仕事が出来る(出来そうに見える)人は、そういって自分自身の二面性を弁護します。
「家庭に仕事を持ち込まない」
そのためには、割り切るしかない。
それは、そうでしょう。
しかし、明らかに本村さんの奥様に暴行を加え、そして幼い子どもを床に叩きつけ
て、2人とも殺した被告は、「殺害」の意思ありと見るべきでしょう。
奥様も子どもも死んでいるのですから。
たとえ、あの世があったとしても、もうこの世には居ないんですから。
ようは、私は所詮「仕事は仕事」という人は、「他人事(ひとごと)」にしか見て
いない、あるいは「自分自身が他人の悩み事を抱えるのから逃げているだけ」だと
思うのです。
割り切って仕事が出来る者が、素晴らしく偉いのではない。
「まずは、人として『心ありき』」
ではないでしょうか。
・・・
スピリチュアルな視点からは、「死刑(死罪)」はいけないこととされています。
神でもない、人が人を裁くことはいけないと。
あの世に任せなさいとも。
分かっています。
しかし、「あの世の存在」云々よりも、私は本村さんへの「同情」の気持ちのほう
がはるかに勝ります。
「もし、自分が本村さんのような立場であったなら・・・」
本村さんの妻子のような殺され方をされ、自分だけが生き残ったら「仇討ち」を考
えても当然です。私も当初の本村さんと同じ考えになると思います。
・・・
「法」を守るのも大事。
しかし「命」は法よりも大事。
さらには、最愛の人の命は、自分の命よりも大事に思う。
・・・
本村さんは、
天国で妻と長女に再会したとき、「パパは一生懸命に生きたよ。頑張ったよ」と言
えるよう闘ってきたそうですね。
もう逢えるとしたら、あの世しか・・・ない。
しかし、このブログに取り上げているように「あの世は存在する」と確信できる事
例や言葉が多々ありますから、それを信じて生き抜いてほしいです。
いつかきっと奥様や子どもさんに逢えますよ。絶対に逢える。
5月24日16時9分配信 産経新聞
山口県光市の母子殺害事件で、殺人などの罪に問われ、最高裁が無期懲役の2審・
広島高裁判決を破棄した元会社員の男性被告(26)=事件当時(18)=に対す
る差し戻し控訴審の初公判が24日午後、広島高裁(楢崎康英裁判長)で始まっ
た。事件当時未成年だった被告への死刑適用の是非をめぐり、検察側と弁護側の激
しい攻防が予想される。
1、2審判決はいずれも、事件当時、被告の年齢が18歳と30日で、少年法が死
刑の適用を禁じていない「18歳」に達したばかりだった点を重視し、無期懲役を
選択。
しかし、最高裁は昨年6月、下級審が死刑回避にあたって考慮した事情を「十分と
はいえない」と退け、「特に酌量すべき事情がないかぎり、死刑を選択するほかな
い」と判示した。
検察側はこの日の公判で、これまでと同様、「死刑を回避する理由がない」とする
意見書を陳述するとみられる。
これに対し、弁護側は被告に殺意はなく、傷害致死罪が相当とする意見書を陳述
し、事実関係についても争う方針。弁護側が独自に依頼して作成した被害者の死因
鑑定書などを証拠請求し、殺意の認定を突き崩して死刑回避を図るとみられる。
◇
「2人の命を無駄にしたくない」-。被害者の遺族、本村洋さん(31)はこの日
の法廷で、2審判決以来約5年2カ月ぶりに被告と対面した。事件から8年余り。
会社勤めのかたわら裁判を傍聴し、被害者や遺族の権利拡充を求め全国で講演活動
を続けてきた。天国で妻と長女に再会したとき、「パパは一生懸命に生きたよ。頑
張ったよ」と言えるよう闘ってきたという。
平成11年4月14日の朝、「パパ、早く帰ってきてね」と笑顔で送り出してくれ
た妻、弥生さん=当時(23)。ハイハイしながら、うれしそうにジッと自分を見
つめていた長女、夕夏ちゃん=同11カ月。事件現場に足を運べば、8年前の記憶
がよみがえる。
・・・
妻子を無残にも殺された本村洋さんの心痛は、本人しか分からないでしょう。
当初「犯人を殺す」とまで言っていた本村さん、よくここまで耐えて頑張って来ら
れたと思います。
弁護側は、あくまでも「殺意はなかった」などと相変わらずの主張をしていますが
2人の人が亡くなっているのは事実です。
いくら弁護士の仕事とは言え、死刑回避のために本村さんの遣る瀬無い,抑えるだ
けで精一杯の怒りと憎しみを逆なでするような発言は、この事件の行方を見守る者
でさえ、憤りを感じます。
弁護側の弁護士先生がもし本村さんと同じ境遇に置かれても今のような立場や考え
を貫けることが出来るのでしょうか。
「『仕事』と思って割り切っているからこそ、できる。」のではないでしょうか。
「仕事として割り切る」
仕事が出来る(出来そうに見える)人は、そういって自分自身の二面性を弁護します。
「家庭に仕事を持ち込まない」
そのためには、割り切るしかない。
それは、そうでしょう。
しかし、明らかに本村さんの奥様に暴行を加え、そして幼い子どもを床に叩きつけ
て、2人とも殺した被告は、「殺害」の意思ありと見るべきでしょう。
奥様も子どもも死んでいるのですから。
たとえ、あの世があったとしても、もうこの世には居ないんですから。
ようは、私は所詮「仕事は仕事」という人は、「他人事(ひとごと)」にしか見て
いない、あるいは「自分自身が他人の悩み事を抱えるのから逃げているだけ」だと
思うのです。
割り切って仕事が出来る者が、素晴らしく偉いのではない。
「まずは、人として『心ありき』」
ではないでしょうか。
・・・
スピリチュアルな視点からは、「死刑(死罪)」はいけないこととされています。
神でもない、人が人を裁くことはいけないと。
あの世に任せなさいとも。
分かっています。
しかし、「あの世の存在」云々よりも、私は本村さんへの「同情」の気持ちのほう
がはるかに勝ります。
「もし、自分が本村さんのような立場であったなら・・・」
本村さんの妻子のような殺され方をされ、自分だけが生き残ったら「仇討ち」を考
えても当然です。私も当初の本村さんと同じ考えになると思います。
・・・
「法」を守るのも大事。
しかし「命」は法よりも大事。
さらには、最愛の人の命は、自分の命よりも大事に思う。
・・・
本村さんは、
天国で妻と長女に再会したとき、「パパは一生懸命に生きたよ。頑張ったよ」と言
えるよう闘ってきたそうですね。
もう逢えるとしたら、あの世しか・・・ない。
しかし、このブログに取り上げているように「あの世は存在する」と確信できる事
例や言葉が多々ありますから、それを信じて生き抜いてほしいです。
いつかきっと奥様や子どもさんに逢えますよ。絶対に逢える。
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