5月31日、昨年の今日までは彼女と仲良く過ごしていました。
0時過ぎに江原啓之氏のオーラの泉を見ようよと言っていた彼女。
あれから1年。
寂しいというと亡き彼女もあの世で戸惑うでしょうけど・・・
やっぱり寂しいし、悲しいです。
今朝方、ふと「彼女が枕元に残していった 江原啓之 著『幸運を引きよせる
スピリチュアルブック』三笠書房はどこ?」
と思いました。
引越しの際に、他のスピリチュアルな書籍と一緒になってしまい、ダンボールに入
れ倉庫に置いたままでした。
駄目ですね。
出歩くときには持ち歩こうと決めていたのに・・・
今日から、彼女の遺骨と共に「幸運を引きよせるスピリチュアルブック」三笠書房
も置いて寝ます。
夢を見なくなった原因は・・・これだったのかも。
・・・
また少し、
江原啓之 著 「一番幸せな生き方がわかる!スピリチュアル・ジャッジ人生の質
問箱」 王様文庫を読んでいました。
江原啓之氏は、
「人は死んだら、たましいのふるさとであるスピリチュアル・ワールドに帰るので
す。亡くなった人がお墓にいるわけではありません。」とおっしゃっています。
最近、歌でヒットした歌詞にお墓になんかいないという詞がありましたから、あま
りあの世の存在を信じていない人でも、そうなのかなぁ・・・と、考えたことがあ
るのではないでしょうか。
では、お墓はどのような役割があるのでしょうか。
江原啓之氏は、
「お墓は、スピリチュアル・ワールドとこちらの世界をつなぐアンテナのようなも
のと思ってください。」
「亡くなった人とコンタクトをとりたい、亡くなった人を偲びたい、と思ったとき
に、何もないよりは、お互いの念をキャッチできる受信機があるほうが便利です。
そういう意味ではお墓があるほうがいい。」
「対象物があるほうが念は届きやすいからです。」
とおっしゃっています。
しかし、
「でも、その対象物はお墓でなくてもかまいません。」
「たとえば写真を見て亡き人を偲べば、その念は届くのです。」
「さらに言えば何もなくても、目を閉じてその人を思いさえすれば、電車に乗って
いても供養はできます。」
なのだそうです。
そうですよね。。。
私は、遺品や写真、遺骨に向かっては、その後話しかけるようにしています。
しかし・・・昨日、久し振りに携帯に保存している写真や遺影代わりに飾っている
写真以外のプリントした写真をみたら・・・やっぱり、まだ駄目です。
涙が出てしまいます。
「何より、遺された人がクヨクヨせず、悲しみを乗り越えて人生を前向きに生きる
ことこそが、本当の供養なのです。亡くなった人が気にしているのは、その点だけ。」
「肝心の生き方をおろそかにして、お墓やお墓参りという形だけにこだわっても、
それは意味のないことです。」とも、江原啓之氏は語っています。
・・・
改めて、自分自身がしっかりするためにも、久し振りに本書を読みました。
生前「グループ・ソウルって知ってる?」と聞いてきた彼女。
そう聞いてきた日にちは正確には思い出せませんが、間違いなく5月でも下旬頃で
した。
その彼女が、江原啓之氏の言葉と書籍を遺していったのですから、また必ず逢える
と信じて、生かされている間は、頑張って生き抜かないといけませんよね。
1年前と同じように、23時~日付が変わった6月1日の1時か2時までの間、少
し寝てみようと思います。
0時過ぎに江原啓之氏のオーラの泉を見ようよと言っていた彼女。
あれから1年。
寂しいというと亡き彼女もあの世で戸惑うでしょうけど・・・
やっぱり寂しいし、悲しいです。
今朝方、ふと「彼女が枕元に残していった 江原啓之 著『幸運を引きよせる
スピリチュアルブック』三笠書房はどこ?」
と思いました。
引越しの際に、他のスピリチュアルな書籍と一緒になってしまい、ダンボールに入
れ倉庫に置いたままでした。
駄目ですね。
出歩くときには持ち歩こうと決めていたのに・・・
今日から、彼女の遺骨と共に「幸運を引きよせるスピリチュアルブック」三笠書房
も置いて寝ます。
夢を見なくなった原因は・・・これだったのかも。
・・・
また少し、
江原啓之 著 「一番幸せな生き方がわかる!スピリチュアル・ジャッジ人生の質
問箱」 王様文庫を読んでいました。
江原啓之氏は、
「人は死んだら、たましいのふるさとであるスピリチュアル・ワールドに帰るので
す。亡くなった人がお墓にいるわけではありません。」とおっしゃっています。
最近、歌でヒットした歌詞にお墓になんかいないという詞がありましたから、あま
りあの世の存在を信じていない人でも、そうなのかなぁ・・・と、考えたことがあ
るのではないでしょうか。
では、お墓はどのような役割があるのでしょうか。
江原啓之氏は、
「お墓は、スピリチュアル・ワールドとこちらの世界をつなぐアンテナのようなも
のと思ってください。」
「亡くなった人とコンタクトをとりたい、亡くなった人を偲びたい、と思ったとき
に、何もないよりは、お互いの念をキャッチできる受信機があるほうが便利です。
そういう意味ではお墓があるほうがいい。」
「対象物があるほうが念は届きやすいからです。」
とおっしゃっています。
しかし、
「でも、その対象物はお墓でなくてもかまいません。」
「たとえば写真を見て亡き人を偲べば、その念は届くのです。」
「さらに言えば何もなくても、目を閉じてその人を思いさえすれば、電車に乗って
いても供養はできます。」
なのだそうです。
そうですよね。。。
私は、遺品や写真、遺骨に向かっては、その後話しかけるようにしています。
しかし・・・昨日、久し振りに携帯に保存している写真や遺影代わりに飾っている
写真以外のプリントした写真をみたら・・・やっぱり、まだ駄目です。
涙が出てしまいます。
「何より、遺された人がクヨクヨせず、悲しみを乗り越えて人生を前向きに生きる
ことこそが、本当の供養なのです。亡くなった人が気にしているのは、その点だけ。」
「肝心の生き方をおろそかにして、お墓やお墓参りという形だけにこだわっても、
それは意味のないことです。」とも、江原啓之氏は語っています。
・・・
改めて、自分自身がしっかりするためにも、久し振りに本書を読みました。
生前「グループ・ソウルって知ってる?」と聞いてきた彼女。
そう聞いてきた日にちは正確には思い出せませんが、間違いなく5月でも下旬頃で
した。
その彼女が、江原啓之氏の言葉と書籍を遺していったのですから、また必ず逢える
と信じて、生かされている間は、頑張って生き抜かないといけませんよね。
1年前と同じように、23時~日付が変わった6月1日の1時か2時までの間、少
し寝てみようと思います。
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