カール・ベッカー教授は、本書 第4章において、
「意識は肉体を持つ -体外離脱体験-」と題し、臨死体験者が見た「この世」
の様子を考えてみたいとして次のように述べています。
普通に生きている間→我々の視覚と聴覚は頭の中にあるように思われる。
つまり、周囲の出来事をすべて頭の位置から観察
したり、聞いたりしている。
しかし・・・
「臨死体験者の中には、頭の中から視覚や聴覚を含む意識が浮き上がり、自分
の体や周囲の様子を上の方から見おろした、と発言する者がいるのである。」
と、瀕死の状態のとき、体から何かが浮き出てくる、そして上から下を見下ろした
体験を語る者がいることに触れ、下記の例を挙げています。
「イタリアのアルフォンソ・デ・リグオーリは、1774年にアレッツォの牢獄
に拘留されている際に体外離脱を体験し、ローマへ行ったと記されている。その当
時ローマ法皇クレメント14世が危篤状態にあり、多くの近臣が法皇のまわりに集
まっていた。そして体外離脱をしたアルフォンソの姿が法皇の横に現れたのを、近
臣たちが目撃したのである。」
「F・S・スマイスという登山家は、絶壁から落ちた瞬間に体外離脱体験をした
が、落ちていく自分の肉体を見ながら、自分の体が傷つくことにまったく無関心
だったと語っている。」
「心理学者C・G・ユングは心臓麻痺の際に体外離脱を体験したが、意識が体に
戻った時点で、体外離脱中のユングの肉体は光に包まれていたと看護婦(師)は
語った。体験者が感じる肉体を離れた異質の体と、第三者が見る雲や光が同じも
のであるとは断定できないが、両者の証言から、その位置や距離が一致する場合
が多いのである。」
など
カール・ベッカー教授は、体外離脱といわゆる幻覚とを区別するためには、
繰り返しの可能な実験が必要であると述べ、その一つの試みを紹介しています。
「1934年にロンドンのアイリーン・ガーレットは、体外離脱させた自分の意識
をアイルランドのレイキャビックまで何度も行かせ、そこで行われていた複雑な行
動の様子をその都度語った。」「この実験にはアイルランド厚生省も協力し、
ガーレットの証言がすべて正しかったことを認めた。」
そうです。
このような体外離脱に関して、カール・ベッカー教授は、
「体外離脱の厳密な定義づけは依然難しいが、体外離脱の代表的な特徴を
いくつか挙げることはできる。」と述べ、
・ほとんどの場合、離脱体験中は肉体は寝転んでいるか、楽に坐った姿勢を
とっている
・意識が一、二メートルほど浮き上がり、硬直状態の体を見おろす
・場合によっては、その意識と体が銀色の糸によって結ばれているのを見る
体験者もいる
(まさに、江原氏の著書 スピリチュアル夢百科に出てくる「シルバーコード」や
「いのちの緒」、死後世界地図に出てくる「連結リンク」と言われるものですね)
・自分の体を離れてもまったく別の体を持っているように思え、その体は地球
の物質とは異なるものからなる
・自分の意のままに動く
・壁や木なども通り抜ける
そうだと、紹介している。
そして、①しばらく動き回って地上の様子を観察した後、トンネルを経て
臨死体験の際の「あの世」を見るものもいれば、②軽い衝撃を伴いながら
自分の体に戻る者もいる。
と本書に記しています。
カール・ベッカー教授は最近欧米でかなり研究されるようになってきた
「アウト・オブ・ボディ・エクスペリエンス(体外離脱)」OBEを、
このように実例を交えながら、我々に「そこで貴方はどう感じ、どう捉えるか」
と、私たちに問いかけているように思います。
また、このような体外離脱を記録した書物の歴史的変遷を通して、世界中で
非常に古い時代から体外離脱をしたと思われる記述を緻密に見つけ出し、現在の
体験者の証言だけではなく、歴史的に見たときに見えてくる「脳」と「意識」の
関係を探ってこられたのでしょう。
体外離脱の体験率を、ホーネル・ハード氏がデューク大学の学生を対象に調査した
結果、3割近くが体外離脱の経験があると答えたことや、シリア・グリーン氏は
オックスフォード大学で34%、サウスハンプトン大学で19%という体外離脱
の体験率データを得たなどとも述べています。
学者の先生がいいのかな・・・と、思いましたが最後まで文面を読むと、なるほど
という紹介例もあります。
ヨーロッパの超能力者インゴ・スワン氏の体外離脱実験
スワン氏は、瞑想中に自分の意識を水星と木星
まで行かせたと言い、それらの惑星の様子を述べた
↓
↓ここまでの話だけなら「超能力者・・・」
↓とか「本当?」と思うような記述ですが、
↓
↓
1975年にアメリカのNASAが水星と木星に探査機を送った時点で
スワン氏の発言が全て正しかったことが判明し、アメリカ科学界が騒然
となった。(さすがに、先にそっと行って見て来れるところではないですね)
□そこで、カール・ベッカー教授は、何が言いたいのか
西洋では17世紀のデカルト哲学以来、意識と物体はまったく別のものである
という二元論が広く信じられていた。
↓
しかし・・・
20世紀にはいると、脳の作用を科学的に解明するために、医学や生物学は
脳を「単なる計算機」のように扱いはじめた。
↓
さらには、マルクス主義や実存主義の唯物論と併せて「脳・意識一説」まで
唱えられるようになった。
↓
この説によると、意識は脳以外の何ものでもないという結論に達する。
↓
↓ と述べられています。
↓
↓
↓カール・ベッカー教授は、このような物質世界に浸り
↓唯物論が広く指示される今日は、近年のことであって、
↓昔の人々は見えない世界のこともきちんと自分たちの
↓心の中で受け止めていたと言いたいのだと思います。
↓
↓
しかし・・・
↓
カール・ベッカー教授は、「イギリスの哲学者C・D・ブロード氏が指摘するよう
に『体外離脱体験の研究』によって、この『脳・意識一説』は覆されつつある。」
と延べ、人々の思考の中での二元論復活に期待しているようです。
「人間の経験する主観的な意識と、生物学者が研究する物質的な脳は、密接な
関係を持ちながらも別ものであるといわざるをえないのである。」として第4章を
締めくくっています。
□ カール・ベッカー教授は、そこまでして我々に何が言いたいのか、
何を伝えたいのか。
もう、お分かりかも知れませんが・・・私が本章を読んだ感想として、
今の世の中、皆が科学の発展の恩恵のもとで、見えない何か(非物質の世界、
精神の世界など)を信じる人は少なくなってきた。
いわゆる物質的な世界を唯一の世界と思い、いつか機械が壊れて使えなくなる,
あるいは壊れて無くなるのが当然のことと受け止めながら生活しているもの
だから、いつか必ず来る我々の死も機械やものと同じで、死ねば肉体は朽ち
果て、それまでの全ての出来事もなにも無かったように無に帰すと思う中で
生きていっている。今の金銭的評価至上主義の世の中では当然のごとく仕方の
ないことなのかもしれない。
だが、「死ねば終わり」という考えが蔓延すると、皆が自己中心の殺伐とした
世の中(今の世のように混沌とした世界)となり、一時の栄華のあとは、格差
社会を生み、不満を生み、より多くの物質を手に入れるために争いを生むだけ
である。
多くの人々の笑顔は消え、自ら(この世の人間)が作り上げた物質的な世界の
中で、欲望のみ追いかける空虚な世界がどんどん広がっていく。
しかし、意識(いわゆる魂)と肉体は別々のものであるという二元論で自らの
心や姿を捉える事が出来れば、幽体離脱の体験をもってしてもそうだが、肉体
は無くなっても、意識はあり続けることを理解することで、目先の物質的なも
のばかりを追い求めるのではなく、本来の我々の目的である「愛・感動・経験」
をより多く、この限りある生の中で学ぶことができる。
また、死に対する恐怖も和らぐ。
死別の悲しみからも解放される。
本来、人間が自然と受け入れてきた二元論は、我々が心豊かに生きる重要な心の
支えであったと言える。
それなのに、今人々の心の中から自らの本質を忘れ去ろうとしている、忘れ去って
しまうような世界(現世)にいるからこそ、改めて見えない世界について真剣に向
き合うときが来ているのだ、と思う。
などと、感じました。
実際、臨死体験や体外離脱体験の結果を、全て脳の妄想や錯覚で片付けることが
できないのですから。妄想と捉えるよりもこのような報告を見て、我々への何ら
かのメッセージ、さらには警鐘だと捉えるべきではないでしょうか。
「意識は肉体を持つ -体外離脱体験-」と題し、臨死体験者が見た「この世」
の様子を考えてみたいとして次のように述べています。
普通に生きている間→我々の視覚と聴覚は頭の中にあるように思われる。
つまり、周囲の出来事をすべて頭の位置から観察
したり、聞いたりしている。
しかし・・・
「臨死体験者の中には、頭の中から視覚や聴覚を含む意識が浮き上がり、自分
の体や周囲の様子を上の方から見おろした、と発言する者がいるのである。」
と、瀕死の状態のとき、体から何かが浮き出てくる、そして上から下を見下ろした
体験を語る者がいることに触れ、下記の例を挙げています。
「イタリアのアルフォンソ・デ・リグオーリは、1774年にアレッツォの牢獄
に拘留されている際に体外離脱を体験し、ローマへ行ったと記されている。その当
時ローマ法皇クレメント14世が危篤状態にあり、多くの近臣が法皇のまわりに集
まっていた。そして体外離脱をしたアルフォンソの姿が法皇の横に現れたのを、近
臣たちが目撃したのである。」
「F・S・スマイスという登山家は、絶壁から落ちた瞬間に体外離脱体験をした
が、落ちていく自分の肉体を見ながら、自分の体が傷つくことにまったく無関心
だったと語っている。」
「心理学者C・G・ユングは心臓麻痺の際に体外離脱を体験したが、意識が体に
戻った時点で、体外離脱中のユングの肉体は光に包まれていたと看護婦(師)は
語った。体験者が感じる肉体を離れた異質の体と、第三者が見る雲や光が同じも
のであるとは断定できないが、両者の証言から、その位置や距離が一致する場合
が多いのである。」
など
カール・ベッカー教授は、体外離脱といわゆる幻覚とを区別するためには、
繰り返しの可能な実験が必要であると述べ、その一つの試みを紹介しています。
「1934年にロンドンのアイリーン・ガーレットは、体外離脱させた自分の意識
をアイルランドのレイキャビックまで何度も行かせ、そこで行われていた複雑な行
動の様子をその都度語った。」「この実験にはアイルランド厚生省も協力し、
ガーレットの証言がすべて正しかったことを認めた。」
そうです。
このような体外離脱に関して、カール・ベッカー教授は、
「体外離脱の厳密な定義づけは依然難しいが、体外離脱の代表的な特徴を
いくつか挙げることはできる。」と述べ、
・ほとんどの場合、離脱体験中は肉体は寝転んでいるか、楽に坐った姿勢を
とっている
・意識が一、二メートルほど浮き上がり、硬直状態の体を見おろす
・場合によっては、その意識と体が銀色の糸によって結ばれているのを見る
体験者もいる
(まさに、江原氏の著書 スピリチュアル夢百科に出てくる「シルバーコード」や
「いのちの緒」、死後世界地図に出てくる「連結リンク」と言われるものですね)
・自分の体を離れてもまったく別の体を持っているように思え、その体は地球
の物質とは異なるものからなる
・自分の意のままに動く
・壁や木なども通り抜ける
そうだと、紹介している。
そして、①しばらく動き回って地上の様子を観察した後、トンネルを経て
臨死体験の際の「あの世」を見るものもいれば、②軽い衝撃を伴いながら
自分の体に戻る者もいる。
と本書に記しています。
カール・ベッカー教授は最近欧米でかなり研究されるようになってきた
「アウト・オブ・ボディ・エクスペリエンス(体外離脱)」OBEを、
このように実例を交えながら、我々に「そこで貴方はどう感じ、どう捉えるか」
と、私たちに問いかけているように思います。
また、このような体外離脱を記録した書物の歴史的変遷を通して、世界中で
非常に古い時代から体外離脱をしたと思われる記述を緻密に見つけ出し、現在の
体験者の証言だけではなく、歴史的に見たときに見えてくる「脳」と「意識」の
関係を探ってこられたのでしょう。
体外離脱の体験率を、ホーネル・ハード氏がデューク大学の学生を対象に調査した
結果、3割近くが体外離脱の経験があると答えたことや、シリア・グリーン氏は
オックスフォード大学で34%、サウスハンプトン大学で19%という体外離脱
の体験率データを得たなどとも述べています。
学者の先生がいいのかな・・・と、思いましたが最後まで文面を読むと、なるほど
という紹介例もあります。
ヨーロッパの超能力者インゴ・スワン氏の体外離脱実験
スワン氏は、瞑想中に自分の意識を水星と木星
まで行かせたと言い、それらの惑星の様子を述べた
↓
↓ここまでの話だけなら「超能力者・・・」
↓とか「本当?」と思うような記述ですが、
↓
↓
1975年にアメリカのNASAが水星と木星に探査機を送った時点で
スワン氏の発言が全て正しかったことが判明し、アメリカ科学界が騒然
となった。(さすがに、先にそっと行って見て来れるところではないですね)
□そこで、カール・ベッカー教授は、何が言いたいのか
西洋では17世紀のデカルト哲学以来、意識と物体はまったく別のものである
という二元論が広く信じられていた。
↓
しかし・・・
20世紀にはいると、脳の作用を科学的に解明するために、医学や生物学は
脳を「単なる計算機」のように扱いはじめた。
↓
さらには、マルクス主義や実存主義の唯物論と併せて「脳・意識一説」まで
唱えられるようになった。
↓
この説によると、意識は脳以外の何ものでもないという結論に達する。
↓
↓ と述べられています。
↓
↓
↓カール・ベッカー教授は、このような物質世界に浸り
↓唯物論が広く指示される今日は、近年のことであって、
↓昔の人々は見えない世界のこともきちんと自分たちの
↓心の中で受け止めていたと言いたいのだと思います。
↓
↓
しかし・・・
↓
カール・ベッカー教授は、「イギリスの哲学者C・D・ブロード氏が指摘するよう
に『体外離脱体験の研究』によって、この『脳・意識一説』は覆されつつある。」
と延べ、人々の思考の中での二元論復活に期待しているようです。
「人間の経験する主観的な意識と、生物学者が研究する物質的な脳は、密接な
関係を持ちながらも別ものであるといわざるをえないのである。」として第4章を
締めくくっています。
□ カール・ベッカー教授は、そこまでして我々に何が言いたいのか、
何を伝えたいのか。
もう、お分かりかも知れませんが・・・私が本章を読んだ感想として、
今の世の中、皆が科学の発展の恩恵のもとで、見えない何か(非物質の世界、
精神の世界など)を信じる人は少なくなってきた。
いわゆる物質的な世界を唯一の世界と思い、いつか機械が壊れて使えなくなる,
あるいは壊れて無くなるのが当然のことと受け止めながら生活しているもの
だから、いつか必ず来る我々の死も機械やものと同じで、死ねば肉体は朽ち
果て、それまでの全ての出来事もなにも無かったように無に帰すと思う中で
生きていっている。今の金銭的評価至上主義の世の中では当然のごとく仕方の
ないことなのかもしれない。
だが、「死ねば終わり」という考えが蔓延すると、皆が自己中心の殺伐とした
世の中(今の世のように混沌とした世界)となり、一時の栄華のあとは、格差
社会を生み、不満を生み、より多くの物質を手に入れるために争いを生むだけ
である。
多くの人々の笑顔は消え、自ら(この世の人間)が作り上げた物質的な世界の
中で、欲望のみ追いかける空虚な世界がどんどん広がっていく。
しかし、意識(いわゆる魂)と肉体は別々のものであるという二元論で自らの
心や姿を捉える事が出来れば、幽体離脱の体験をもってしてもそうだが、肉体
は無くなっても、意識はあり続けることを理解することで、目先の物質的なも
のばかりを追い求めるのではなく、本来の我々の目的である「愛・感動・経験」
をより多く、この限りある生の中で学ぶことができる。
また、死に対する恐怖も和らぐ。
死別の悲しみからも解放される。
本来、人間が自然と受け入れてきた二元論は、我々が心豊かに生きる重要な心の
支えであったと言える。
それなのに、今人々の心の中から自らの本質を忘れ去ろうとしている、忘れ去って
しまうような世界(現世)にいるからこそ、改めて見えない世界について真剣に向
き合うときが来ているのだ、と思う。
などと、感じました。
実際、臨死体験や体外離脱体験の結果を、全て脳の妄想や錯覚で片付けることが
できないのですから。妄想と捉えるよりもこのような報告を見て、我々への何ら
かのメッセージ、さらには警鐘だと捉えるべきではないでしょうか。
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